no.36 2018.4 アムステルダムまちぶら
昨年の台湾に続き二度目の海外旅行に行きました。初欧州、オランダ。
とにかくかわいい。レンガ作りの建物群が郊外に行っても、どこまでも続くので、目を疑う。信じられない景観。ハウステンボスは空想の国じゃなかったんや……絵本の世界も現実やったんや。果たして表の壁に裏はあるのか、二階以上に人が住んでいるのかについては、まだ半信半疑です。
オランダは交通の要所で移民にも寛容、多種多様な人種のサラダボウル。厳格な管理・監視のもと売春、大麻、安楽死が合法で、少数派も暮らしやすい国。少数派も政治参加しやすいよう政党を作りやすくなっているとか。(「動物党」なる政党があるらしい)生徒が200人いれば学校も作れるそうです。ずぶ党もずぶの学校も夢じゃない。
アムステルダムのまちを歩いていて、売春を行う飾り窓地帯の路地でポーズする女性を見たり、大麻を販売している「コーヒーショップ」の前を通る時に匂ったことのないにおいをかいだりして、どきっとしました。(どきっとしたらすぐに「SEXミュージアム」や「大麻ミュージアム」などがあり、オープンにするというのはこういうことなのかと納得)
人間の主体性を前提としたまち。自由、幸福にはいろんなかたちがあるのであり、いろんなひとに配慮するぞというやさしい意志を感じました。
長時間フライトを経験して、行きたいと思ったところには時間がかかっても行けるのだということを実感。また、したいと思ったことは「粘る」ことも大切でした。一日目二日目はイースターとイースターマンデーでお目当てのマーケットはお休みだったのですが、三日目も粘ってようやく行くことができました。(飾り窓の女性もすぐには見つからなかったのですが、わざわざ引き返すという粘りを見せて発見……)
常に時差を考えながら旅をしていて、時空を超えて遠いところにいるひとを感じながら暮らすのもいいなぁと思いました。手紙を書くのも、本を読むのもそういうことなのかもしれない。発信、受信、交信。
一人でイギリスに留学した漱石が、曇り続きで、言葉が通じなくて神経衰弱になった気持ちもよく分かったし、窓ガラスに映る黄色い自分をみて劣等感を抱くシーンも何度も思い出しました。
そもそも日本のひとの多くは自由も幸福も民主主義も実存主義も、特に目指して生きていないように思える。自己肯定感が低く、一人で立つ意志も必要性も特になく、日々どうしていいかわからないのかもしれない。
何らかの理想を追求するような社会ではなく、なんとなくみんなでわらわらっと淀んでいるように思える。リーダーがいない。それは日本独特の文化で、開国したとはいえ、さしせまった危機感がないため西洋の考え方は根付かなかったからかもしれない。まったりのんき人任せ。それはそれでJapanというひとつの生き方なのかもしれない。
私ももじもじしたり、泣き寝入りしたり、やさしくなかったりする弱さが大いにある。自分の言葉や行動に対して相応の責任をとれるように年をとっていきたいと改めて反省しました。
オランダでは年配の女性が生き生き働いているのをよく目の当たりにしました。バス、駅、トラム、ホテル、ミュージアムなどなど。いいなぁと思って、私も新学期からひねくれずに素直に楽しく働こうと決意しました。好きな仕事をできることは幸せでありがたいことです。それとは別におかしいと思ったことは黙り込まず、少しずつでも(普通に)言ってみればいいかなとも思います。それも意志。
自分の自由や幸福は、今あるものを大切にして、考え、探し、目指しつづければいつかはそのあたりにいるんじゃないかな。実際今もそうだから。ずぶ邸はアムスのお家に負けないぐらい非現実的でかわいいと思っています。
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2015年の開校から毎月一回書き始めたずぶの学校新聞の第一期。冊子の方はなくなりましたのでオンラインマガジンにしました。全50本です。転機…
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