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2018.7 今学校で起きていること

6月29日金曜日、放課後遅くに質問を受けていてテストが完成していなかったので、夜の8時ごろまで職員室に粘っていたら

「あいつの言ってることは意味がわからん」
「もうテストを受けさせるのもどうかとさえ思ってきた」
というような言葉が聞こえてきて、(え、何事…)と思っていたら
「校長訓戒まで受けさせたらいいやん」
「それでも反抗するようやったらしめたものやん」
「担任は何をしてんのや、がつんと怒らへんのか」
と聞いていた男性体育教師が答える。

耳をそばだててきいていて驚いたが、それは去年から私ももっていた高3のクラスのNさんだった。ムードメーカーで、鋭くてとても面白い子だ、(これはあかん)と思った。

身勝手な感情なのだが、私はいいなと思っていた子から順番に、私の知らない間に学校を辞めていくことがいつも残念に思っていたので、今回は聞きつけたからには何かできることはないかと思い、とりあえず何があったのか話だけでも聴いてみようと思った。これが余計なお世話だったかもしれないのだが。

その三十代男性教師Aは4月から三年の生活指導担当になった。新学期早々、Nさんが制服のリボンをわすれたり、こまごましたことで生徒指導室に呼ばれたとき(そんなことで生徒指導室に呼んだり反省文を書かせたりする指導はいらん)に「ルールを守れないやつは看護師になれない」とほぼ初対面で将来を否定されたり、怒鳴られたりすることがあって、Aの言葉は早い段階で彼女の耳に受けつけなくなっていた。

Aの授業中も言葉が耳に入ってこないのでそれをそのまま伝えると怒鳴られる。小テストのコメントでテストの内容に関するコメントの最後に「マイナスの発言はなくなるといいですね」と書かれ、最後の一文は学習内容に関係がなく気分を害したので「私に対してはコメントは結構です」と書いて断ると、その返事に「そんなん書く必要ないやん、あ、書いてもうたわ」とあった。その後、生徒指導室で出くわしたときに「お前のせいで全員にコメント書くのやめたわ」と言われた。

言葉が耳に入ってこないのに、授業には出席しなければいけないし、「寝るのも、話すのも、別のことをするのも、すべてだめだ、俺の話を聞け」と繰り返し言われて、仕方がないから天井の点の数を数えるという無意味な時間の過ごし方をしていた。

ついにある日、小テストが返却されてすぐ紙を破ってしまった。(もともといらない紙の破り癖はあったのだが)Aはそれを見て「復習に使うんやから破ったらあかん」と笑いながら軽く注意してきたのだが、Nさんはそのテストで復習をする気はなかったのでそのまま破り続けたところ、Aは急に怒鳴りだした。そのあと30分ほど怒鳴り続けたという。他の生徒も同じように不満があったので、彼女がテストを破ったり言い返したりすることを陰で応援はしていたらしいのだが、表立って助太刀できるものがいなかった。
その日、担任Uから家に連絡があり、彼女は数時間、両親から注意を受けた。

次の日、Aから生徒指導室に呼ばれたがやはり話がかみあわない。Nさんは「(Aの)言葉が耳に入ってこないから別の人を通してくれ」というのだが、それがAに「指導拒否」ととらえられた。

そして私が冒頭で、職員室で聞いた話につながっていったということだった。

Nさんが一年の時に担任だった女性ベテラン教師Fがどこからともなくその話を聞きつけて、Nさんの話を一切聞かずに「謝りに行こう」と言いだしており、無理やり謝らせられそうな状況だということだった。

いつのまにか退学のフラグが立ってしまっていた。(まさかそんな個人的なことで…って思うけど、だいたい個人的なことで辞めさせられるんだった)私から見ていると、Nさんはしっかり物事を自分の頭で考えて、判断する生徒なので、悪いことは悪いと自分でも分かっているし、それほど問題があるようにはどうしても思えないのだった。

とりあえず私はテストを受けられないという事態は避けるべきだと思ったので、もし今謝りに行けた(謝りに行くって何や)としてもより状況が悪化する可能性を感じて「テストが終わるまではその話をしないでほしいことを担任または学年主任に伝えたらどうか」と言った。

Nさんが温和なベテラン男性教師の学年主任Sに伝えると、Sは「(一時保留に関して)先生もそう思っていた」と聞いてくれ、テストは無事受験。Sには試験が終わってからも二度ほど空き教室で話を聞いてもらっていた。

試験のあと大雨で休校になり、私は謝罪の話はこのままうやむやになればいいと思っていたが、週明けにまたSに呼ばれ、今度は応接室で話をした。そのときも「また話そう」と言われて終わった。

ところがその翌々日、13日の金曜日、「メモ」で、再度学年主任Sに職員室に呼び出されたので行ってみると、女性ベテラン教師Fに無理やり応接室に連れていかれた。応接室に入ると女性の現担任Uが来た。Aが来るまでの間、Fから説教を受けた。

「こんなことしてたらあかんねん私も一緒に謝ったるから」
「自分が悪くないと思ってても謝らなあかんねん。上の人の言うことは絶対やねん。嫌とか言うてやんと聞かなあかんねん」
「それが社会やねん」
「何でも疑問に思ったこと聞いたらあかんねん。そんなん聞いても仕方ないねん」
などという話を聞かされるうちに、相手の教師Aが来た。学年主任Sは来なかった。

Nさんの前に相手の男性教師Aが座り、Aの隣に現担任Uが座り、Nさんの右に一年時の担任Fが座った。Fに「ほら、はよ、言うことあるやろ。」とうながされて、「紙破ったことに関しては悪かったです。申し訳ありませんでした。」としぶしぶ言うと、「ほんで!」とたたみかけられ、「え?」と戸惑っていると「今後の授業は!」と問われ、仕方なく「授業に意識を集中させることを心がけます」と言うと、さらに「んで!今後の指導は!」と言われ、言葉は耳に入らないからどうにもならないのだが「聞けるようにがんばります」と言わされ、最後にFが「私が1年の時にちゃんと教育できなかった私も悪いです。すみません。」と謝った。Aは何かを言ったそうだが覚えていない。担任Uは終始無言だった。

紙を破ったことに関して謝罪する際、Nさんは最初いすに深く腰を掛けて話していたが、Fに「もたれない!」と姿勢を注意されてやり直し、「顔見てない」と言われてやり直し、と3、4回頭を下げさせられたという。

連休が明け17日の火曜日に学校に登校したとき、校門にいた女教師Fには「あんたは勉強せなあかんねんで、クラスを引っ張っていかなあかんねんで、成績下がってる下がってる」と追いたてられ、話を聞いておいてその場にいなかった学年主任Sには何事もなかったかのように笑顔で挨拶される、という不可解な光景が繰り広げられ、彼女は教師を信じることができなくなってしまった。顔を見るのも怖い。
その日また、男性教師Aに生徒指導室に呼ばれたのは一か月ほど前の「二人乗り」の件だった。Nさんと友人三人が呼ばれ、「もうしません」と反省文を書かされた。「それから?」と聞かれ、何のことかわからなかったが「呼ばれたらすぐ来ます」というひとことも付け足された。Nさんからすると、呼ばれた指導の内容と違う指導を受けることが多々あり混乱する、それがAとの意思疎通が難しいと思う点でもあった。

翌日、担任Uから一か月前の「文化祭でのケータイ使用」の件で親に呼び出し連絡が入る。(※ケータイ使用の件=クラスで出していたたこやきの店でカセットボンベが足りなくなり、店が4分の1ほどしか動いておらず、客が長蛇の列で並んでいたために数人の先生に相談したが忙しくて相手にしてもらえず、クラスメイトの要請もあり、担任Uの番号をたまたま知っていたNさんが外に出ていた担任を呼ぶために、ケータイを使った。校内は使用禁止のため外に出てかけようと思ったが雨が降っていたので校門の内側で電話をかけていたところ、生徒指導部長に見つかった件。それはその日に両親と教師とNさんで話し合いがもたれ、全員から「間違っていなかった」と認められたが、学校側からは「ルールだからケータイを預かる」と言われており、Nさん側が納得がいかず保留になっていた。)

家庭ではどちらかというと話を聞いてくれる方の父は、文化祭のケータイの件に関してはNさんが間違っていないことを後押ししてくれていた。が謝罪させられた件に関して相談しても「(不条理でも)謝っとけばいい」「それが社会やから」と言われる。「そんな社会やったら生きていたくないから死ぬ」と言ったら「それを言われると親としてつらい」と逃げられる。絶望。

Nさんは中学生のころから自殺については考えており「自分がおかしいのかもしれない」という不安を持っていたので、スクールカウンセラーのカウンセリングを受けようと思ったが、どうやって予約するかわからない、担任も学年主任も怖い、話したくないということだったので、私は「保健室に相談したらどうだろう」と提案した。

カウンセリングを受けたがあまり得るところはなかった。ただ保健室の先生が親身に相談に乗ってくれたので少し落ち着きを取り戻したのだが、この事件に関係のあった教師の授業はもう受けられなくなっていた。学校に行くのもいやなのだが、親には「はやく学校に行け行け」とせかされ、遅れると担任から電話が何度もかかってくる。入室許可証をもらいに職員室に行くのも、というより学校に入るのすら怖いので、この暑さの中、自転車置き場でぐだぐだしていた。

力をふりしぼって保健室に行き、入室許可証をもらいに職員室へ行くと担任Uに「学年主任の先生が待ってるから行くで」と強引に連れていかれそうになる。恐怖で、必死でふりはらって保健室に逃げ込むと、学年主任SがUとともにやってきて「先生と話をしよう」とやさしげに言う。「話って何?」「それが無理やねん」と泣き叫んで取り乱してしまい、ようやく保健室の先生が「今はやめてください」と止めに入った。それが21日の土曜日のことで、その日担任Uから親への連絡はなく、保健室から担任Uへ来週の月曜日に行われる予定だった懇談の件で配慮を打診するも返答なし。

23日の月曜日に予定されていた懇談は、無理だろうと思われた。何を考えているかわからない担任と、何も事情を知らない母と、彼女。無理。当日になっても、担任Uから返答がないので保健室からもう一度打診すると「ちょっと考えます」という。直前になって親に懇談を延期する旨の連絡を入れることに決めるのだが、保健室からは「学校の都合で」と少しでも誠意ある対応を見せるように助言するも、担任Uは「本人の体調不良で」と伝える。そしてNさんのケータイには親から再三「大丈夫か」「迎えにいこうか」の連絡が入る。帰宅後父には「(懇談を回避するための)作戦か?」と疑われる。母には病院に連れていかれるという茶番。

この日は友人二人からも責められた。「それがこの学校のルールやねんから謝ったらいいんちゃうん」「それが社会やんな」「それはわがままやろ」云々。
25日水曜日、保健室経由で私がNさんの話を聞いていることが副校長に報告され(そのことには同意していた)、副校長に呼ばれる(望むところ)。私は一連の出来事の流れ(Nさんから聞いた話)をまとめたものを見せながら

・生徒指導担当A…「看護師になれない」等の発言、その他怒鳴る指導は暴力
・一年時の担任F…話も聞かずに無理やり謝らせるのは何の解決にもならない暴力
・学年主任S…話を聞いておいて何もしない、そのあとも話しかけないのは無責任
・担任U…親への連絡の偏りにより、親からNさんへさらなる圧力がかかっている
・謝罪会見までは「退学」の話だったが、会見後は「自殺」の話になっている

などを訴えた。

後で確認したところ、学年主任Sは、謝罪会見の日程、セッティングを事前に知っていたが、Nさんにとって圧迫になると判断し、出席を控えたということだった。謝罪会見が無事済んだという教師からの報告を受け、その後何も聞かずにNさんに普通に接していたという。謝罪会見に呼び出したメモはSが書いたものではなく、筆跡からはおそらく担任Uのものと思われる。
私は非常勤講師の立場を超えて、個人的に生徒の問題に関わっているために、教師からも親からも生徒からも相当怪しまれているのだが、これ以外に方法が見当たらない。よくないこととは思いつつも、生徒の「命」にかかわっていることなので放置することもできない。力のなさが悔やまれる。

その後、26日の木曜日にNさん本人不在の懇談が設定され、懇談の前に保健室から両親へ21日の土曜日に保健室で精神的に追い詰められた件を中心に説明があり、学年主任Sと担任Uと両親の四人で進路についての話し合いだけに限定した懇談が行われたらしい。

27日金曜日は保健室にも行けなかった。保健室が職員室の前にあるために不安でもあるのだった。教室に直行。クラスメイトとの関係は良好で、クラスのことが大好きなので普通に教室に行きたいし学校生活を送りたい。保健室登校も本当はしたくない。けど自分が蒔いた種でこうなってしまった、自分が気持ち悪いとひたすら自分を責めていた。

母は懇談後も毎朝、学校に行くように追い立てる。が28日の土曜日はもう限界だった。誰とも話したくないし、話したら爆発してしまう。その日も授業はあったが学校にも行けなかった。家でも親に話しかけられたくなかった。かといって外に出る気力も向かうあてもなかった。祖母の家、叔母の家に行くにも事情を説明する覚悟が今はできない。居場所がない。

彼女が起こしたどの事件もそれほどたいしたことではなかったのに、これほど彼女を追いつめることになってしまったのはなぜだろうか。

学校側のすべての「指導」に意味がないと感じる。お互いを思いやるような、丁寧な関係性を築くということがなされていないし、言葉が空疎にとびかっているだけ、形だけのその場しのぎの「処理」だからだ。そのような言葉の使い方を、こどもに教えるのはやめてほしい。
私はまた親がどうして味方になってくれないのかと不思議で、残念でならない。謝罪の件に関しては、親なら私なんかより数倍、自然に静かに学校の非を訴えることができたはずだ。でもこどもの言うことを信じることができない、信じていても面倒なことを避けたい、責任をとりたくない。

友人も同じだ。どうして「中立」の立場にいようとするのか。どうして「判断」する立場にいようとするのか。どうして友達の非を「責める」「正す」ことができると思っているのか。

それはやはり「自分のことだ」という意識が持てないからなのではないだろうか。「それが社会」という言葉は責任逃れの言い訳でしかないと思う。それが今ある社会なら、それをどう変えていけば、娘が友達が生徒が生きやすくなるかを一緒に考えたらそれでいいじゃないか。
「社会」とは「自分」のことだ、「自分の行い」がそのひとにとっての「社会」になるのだから。そのひとのためにどういうふうにしていくかを一緒に考えることが、「社会」を作っていくということだと思う。自分一人にできることは少ないが、一人ひとりできることは必ずある。
そう思って今回、私は記録を残し公表することにしました。Nさんにも了解を得ています。

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2015年の開校から毎月一回書き始めたずぶの学校新聞の第一期。冊子の方はなくなりましたのでオンラインマガジンにしました。全50本です。転機…

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