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書く楽しさに目覚めたとき

私は小学生の頃、作文は恥ずかしいし面倒臭いし苦手だ!と思っていた。

作文と言えば原稿用紙に手書きだったし、あの必ず前から順番に書いていかなければならない感じが苦手だった。
途中まで勢いで突き進んでだのはいいものの着地点を身失ってしまった。でも書き直すのは面倒くさいからもうこのままでいいやと妥協してしまうことが何度もあった。

自由作文の魅力を知る

小学生の頃に書く作文はたいていテーマが決まっていた。そしてこの時間内に書いてね、と時間制限がついていることも多かった。
あれはあれで頭が鍛えられるし、後々に受験等でぶつかるかもしれない小論文等では必要な能力だ。
ただ、単純に好き嫌いで言うと、私はあの文章の作り方が好きではなかった。

私の通っていた高校では毎年夏休みに自由作文の課題が出た。
テーマや形式は完全に自由。読書感想文でもエッセイでも、小説でも何でもありだった。そして提出した課題の中から学年に関係なく良い作品が選ばれ、最終的に一冊の冊子にまとめられ全校生徒に配布された。

私はこの自由度の高い課題を通して、書くって楽しいかもしれない!と初めての感情を抱くことになる。

3年間の軌跡

1年生のときは作文はめんどくさいとの思いを引きずっていたため、適当に選んだ図書で読書感想文を書いた。しかもありきたりな言葉を並べて適当に済ませてしまった。
しかし選んだ本が良かったのか、その適当な作文がたまたま冊子に掲載されることになってしまった。全く自信のない文章がたくさんの人の目に触れることになり、恥ずかしい思いをした。

2年生になるともう少しちゃんとテーマを検討しようという気になった。そして夏休みを過ごすうちにこれは良いかもというテーマを見つけた。
しかしいざ書くとなるとめんどくさい。書かないままにずるずると時間が経ち、結局は夏休み最終日に原稿用紙に一発書きして終わらせることになった。
その作品は冊子掲載候補には挙がったが、結局は選ばれなかった。後で自分で読み返してみても、テーマと書き出しはいいけど不完全燃焼な着地をしており、選ばれなくてよかったとの思いと少しの悔しさを感じた。

そして3年生。この夏は最後だからちゃんと書いてみようと考えていた。良いテーマも見つけた。しかもいきなり原稿用紙に書かずに、Wordを使って作文を書き始めた。何度でも簡単に書き直せる、結論を先に書いておける、文章の前後を入れ替えることが出来る!この書き方が私にはバチっとはまった。
この作品は冊子にも掲載され、本を読むことが好きだった友人からも好評だった。

この課題を面倒くさがっている人も多かったけれど、私にとっては得られるものの多い課題だった。3年をかけてじっくりと、テーマ選定の楽しさを知り、文章を書く楽しさを知り、そして人に読んでもらえる楽しさを知った。

社会人になって思うこと

社会人になってからも文章を書く機会はある。でもそれは書類作成であって、当たり前だが書きたい内容が書けるわけではないし、楽しくはない。

久々に自由に文章が書きたい気持ちになった。
文章を書くと自分の気持ちを見つめられる。それに人に見てもらえると嬉しい。でも、プライベートのSNS等で自分の気持ちを垂れ流すのは恥ずかしい。

匿名のこのnoteという場で、文章を読むのが好きな人に読んでもらえるとさぞ嬉しいだろうなと想像して、私は文章を書く。

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