人間1回目の私①


私は平成という時代に生まれてはや20数年
ようやく気づいた
私はきっと初めて人間になったということ
前世が何かなんて記憶が蘇ったわけではない
ただ、初めて人間になったという裏付けができてきたのだ
歩くのも走るのも下手で、座るのすら下手くそ
お付き合いする男性を見る目がなくて人付き合いも苦手
友達も少なくて、社会にも馴染めない
驚くほどに生きるのが下手だった
それもこれも私は初めて人間になった説を唱えると説明がついた

勉強はできた
昔から教えてもらったことはできていた
国語、算数、理科、社会、体育などなどの
なんでそれが必須なん、とツッコミたくなるような
学校で教わったことはクラスで目立たないくらいにはできた(逆上がりは除く)
そして何より得意になったのが、勉強をするとこ
小中高とほぼ毎日強制的にやらされてきたのだから大人になって身についていた
勉強は嫌いじゃない
だって初めて人間になって知らないことばかりだから
多くのことを知るのは楽しかった
そしてその勉強好きが功を奏して今の私ができ
人間1回目だとことを知りようやく生きやすくなった

知らないことがあって当たり前
できないことがあって当たり前
あの人ができること、自分はできていないのも当たり前
だって私は初めて人間になったのだから
欠陥品なんかじゃない
誰も欠陥品なんかじゃない
不器用なうちの父も、人間1回目
少し器用なもう再婚して家庭を持っている母はきっと人間2回目くらいなのだ
住む世界が違うとはこのことで
経験回数が違えばそりゃできないこともたくさんある
それが幸せなあの人たちと私の違い
ただ、私の周りは父を除けば人間1回目の人が少なかったに違いない
だらか常に劣等感を感じていたのだ
戦う土俵を間違えた
いや、違う
戦ってはいけなかった
教えて貰えばよかったのだ
人間界の先輩がたくさんいるのだから
聞けばいいのだ
歩き方、走り方、私の特徴を踏まえて教えてもらった
驚いた
私は間違った歩き方をしていたようだ
20年以上も
股関節が痛い、足首が痛い、躓きやすい、足の裏、アキレス腱が痛い
確かに不調はたくさんあった
でも誰も歩き方が悪いなんて教えてくれなかった
いや、そもそも誰も正しい歩き方を教えてくれなかった
なぜだ、大人になってから一度も使わない古文や数学の難しい方程式は嫌ほど
何年もかけて教えてくるのに
なぜ一生使う正しい歩き方が義務教育になっていないのだ
あ、そうかこういった国の決まりを作る人は頭のいい人で
その人は人間を何回も経験しているから忘れてしまったんだ
歩くなんて当たり前すぎて、教えるなんて概念が存在しないのだ
なんてこった、自主学習か
しかもみんな当たり前のようにできているではないか
私だけか、人間1回目なのは
そんな驚きを隠しながら、友達に歩き方を教わった
なんだか恥ずかしかった
勘弁してくれ、私は人間1回目だ
きっと前世は植物だったと思うんだ



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