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感情も情報の一つ

一年前のことではあるが、名古屋から東京までの交通費と東京での宿泊費、加えて、講義の参加費を捻出した上で、ある学会に参加していました。学会の途中、ずっと会いたいと思っていた方から、ランチの誘いが来ました。迷うことなく、学会を抜けて、ランチに行きました。その選択自体が間違っているとは思いません。会いたいという気持ちは、誰に対してでも湧いてくるものではないから!

そして、あるカフェのカウンター席で、一時間ぐらいご一緒しました。先方は、ご一緒した時間の半分ぐらいを使って、自社サイトのバグを修正していました。隣にいる私の存在を無視して、仕事している彼に、私は、ずっと腹が立っていました。わざわざ学会を抜けて、会いに来た自分が馬鹿馬鹿しく感じました。

でも、そのネガティブな感情を、私は、自分の言葉、表情や仕草に出さず、上手にその場をやり過ごしました。楽しく過ごすのが最優先事項だと考えるのが自然ですよね。

しかし、こういう行動って、果たして正しいでしょうか。最近、疑問に思う時があります。自分の感じていることを相手に伝えないのに、相手がそれを察してくれることを、どこかで期待しています。そんな義務は相手側にあるのか、ということです。

一方で、それを伝えなかったことで、モヤモヤが溜まりますよね。しかも、そのように蓄積された負の感情は、やがて、自分の行動を止める足かせになりかねません。私の場合、この方と会うのが億劫になってしまいました。もちろん、その一件の結果ではなく、他にも同じようなことが繰り返し起きたからです。久しぶりに会ったのに、電話ばかりしていたとか、大事なメッセージ送ったのに、返事すらもらえないとか、小さいことの積み重ねです。

自分の意思表示を適切なタイミングで行っていれば、こういう結果は防げたかもしれないと、今は思っています。負の感情も含めて、しっかり届ける、これができて、初めてコミュニケーションとして成り立つんではないでしょうか。

日常は、このような小さな選択で満ち溢れています。我々の選択には、相手にどう応えるかという側面もあれば、自分の意志をどう表明するかという側面もあります。二つの側面をしっかり認識し、自分の責任を放棄せず、一つ一つ丁寧に向き合えば、どんな結果になっても、相手ばかりを批判する状態には陥りません。当然、そこから発展するマイナスの連鎖も阻止できます。

ファクトだけが情報ではない、感情も情報の一つです。勇気を出して、漏れなく伝えましょう。

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