『 りんかい先生がアニメ再2 』りんかい芸術レッスン
今回も前回に続き天才向けなので
クリエイターとか言いたい人は
読んでも面白くないですw
例えばですね。
ある少年の成長を描いた
物語を創るとします。
主人公の少年は魅力的です。
本来、物語の主人公は魅力があってこそ
読者や観衆を惹きつける。
一人の人物を
つまらない・地味・嫌いなる様に描いたら
誰もその物語に興味を持ちません。
表現・芸術の世界は
「 魅力 」への探求と具現化になります。
少年の表情やエピソードに
みんながファンになり
一喜一憂し応援する気持ちになります。
その物語は突然に話が飛んで
少年は大人として登場します。
その名は
アドルフ・ヒトラー
戦争を何度も始めます。
膨大なユダヤ人を虐殺します。
魅力に惹かれた結果
虐殺する人物を応援していた。
もしくは無自覚に応援させられていた。
そういう表現の技術も
可能なのです。
以前に書いたかもですが
ジョージルーカスという映画監督が
このトリックを使ってました。
(トリックになってしまったかな)
「 子供たちの未来 」
とか言う、何も考えずに
良いイメージだけで語る人は
まあ、詐欺に騙されやすいといえます。
今はヒトラーを知らない
10代も多いでしょうね。
知っていても知識だけで済まし
もう時代的に深く考えない。
ちなみにヒトラーは
表現の天才で
大衆(過去の私達)が熱狂し支持した。
芸術という極める世界で
「 好き 」は入口に過ぎません。
「 好き 」だけで終わらない世界が
芸術になります。
まあ
その入口にさえ立たない人もいる。
もしくは現代のうつ症状の原因で
初歩の好きを自我として全体にする。
(オタク的と本人が誤解)
(本当は一部なので現実逃避しがち)
・・・というのも
あったりする。
「 好きを仕事に 」
と言ってる時点で
既に軽い適応障害を引き起こしてます。
私達の矛盾
病気で声を失ったミュージシャンが
コロナ禍で仕事が抑制される中
「 それでも創り続けるしかない 」
と発信しました。
私的に
「 普通の天才では、これが限界か。」
と感じました。
障害を負って尚
創り続ける姿勢は素晴らしいです。
ただその精神力と考えの深淵は別。
昔、フランスのカンヌ映画祭が
中止になった事があったそうです。
理由は・・・
激動の世界で沢山の人が虐げられてる時
「 映画を上映してる場合じゃない 」
と、映画監督たちが開催を反対した。
このミュージシャンは
人間の歴史における
「 創るとは何か? 」
どういう道を辿ってきたか?
学ぶ機会がなかった。
「 魅力 」と「 才能 」が仕事になって
多忙な中で何度も充実を感じ生きてると
「 本当に創ることは素晴らしいのか? 」
という疑問を持たなくなる。
多くの人が感銘を受ける様な
「 普通に良いこと 」
しか言えなくなる。
歌えるのが当たり前という思い込み。
コロナより前に病気で
それが打ち砕かれて尚
苦悩を味わっていて尚
辿り着けない世界。
じゃあ~
整形してる野球監督は?
僕は子供の頃にスポーツ万能でした。
唯一苦手で上手く出来なかったのが
「 野球 」です。
だから野球を選んだ。
出来ることやっても面白くないでしょ。
カンヌ映画祭を中止させた映画監督達も
声を失ったミュージシャンも
どちらも時代の中での甘えはあります。
どれだけ天才でも
辿り着けない世界。
今、メディアのオファーを全て断らず
忙しくて睡眠をとる時間もないので
「 お姉ちゃんとエッチする暇もない 」
と言う、白い歯をニカッとさせる才能に・・・
この芸術の話が通用する?
思いとか考えではなく
とりあえずやってから
先に行動し後で考える。
ただ行動するからには
結果を出したい。
その結果とは自分も周りも
現実にハッピーになること。
そのチャンスが来たら
様々な分析やアイデアをフル回転で
思考させ、やってのける。
ただそれだけ。
難しいから面白い
しんどいからこそ超面白い
ただそれだけ。
「 ボランティアしたい 」
「 困ってる人の役に立ちたい 」
と思うだけ・言うだけ・書くだけ
ではなく
「 やった 」という自己満足を得るだけ
ではなく
「 やるからには結果を出したい 」
そして必ず
「 結果を出す! 」
( 具体的な結果が常人の想像する斜め上w )
そういうのは
真面目を超えた真面目で
ネットになんか無関心の
超変態ですねw
戦後の作品表現や創り手達は
こういう人物像を
遠ざけ(排除)てきたかも。
アニメで例えるのは申し訳ないが
宮崎駿~
庵野秀明・新海誠・細田守では
理解できない現象。
手塚治虫・高畑勲に関しては
私の分析がまだ足りずなので
言及避けますm( _ _ )m
「 主人公 」というキーワード
去年2021年の秋
「 古見さんは、コミュ症です。」
「 王様ランキング 」
というアニメ作品が放送された。
この2つ
主人公が喋れません。
ひとつは女子高生で
「コミュ症」という設定。
ご存知と思いますが
一般の若者達は「コミュ障」と言います。
作品の中での描かれ方は
どちらかというと「緘黙症状」です。
もうひとつは
中世的な世界での
まだ幼い王子様。
喋ると「 あうあう 」「 ううう~ 」
となって、基本は身振り手振りで
意思伝達します。
「 知的障害 」的な扱いを
周りからされてます。
聞こえない喋れない設定で
手話が出てくるのですが
白人系ファンタジー(異世界設定)
なのでややこしい。
現代の同時期に
主人公が「 喋れない 」設定の
作品が被った事になる。
私的に
「 時代の何か? 」
を感じる・・・が!
その意味が何かは
まだ解りましぇ~んw
(;´Д`)
この少し前の今年に放送された
「 不滅のあなたへ 」
第1シーズンで主人公は
上手く喋れない状態がかなり続きます。
たぶん
ここにもヒントが隠されてる。
恋です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜
という視覚障害者のTVドラマも
同時期に放送でしたが
別分類の意味になるかな。