ハートだけでは伝わらない感謝の伝え方について考える
突然だが、私はファボ魔だ。
気になったこと、あとで読み返したい記事をみつけたり、ツイートが面白かったり、ステキイラストをみたり、ボカロ曲を聴いたりエトセトラ
そんなのを全部ファボでしていくとどうなるか?
あっという間に一週間分のハートが降り積もっている。
どうも外部アプリを使うとそういったファボを全部区分けできるらしいが、面倒くさがりの自分にはできない。
ふぁぼったーに頼ってたあの頃が懐かしい。復活してくれふぁぼったー。
そんな阿鼻叫喚魑魅魍魎が行き交うファボの中で特に多いのがイラスト系のファボだ。
創作、感想絵、FAなんでも好きなのは元々の雑食気質のせいか。
しかし、ここ最近の自分の節操のなさにある日ふと思った。
あれ、このファボ欄って他の人に見られてる・・・?
ご存じの通り基本的にツイッターのファボ欄は誰でも観れる。
それこそ、いいイラストみつけたー→その人のツイッターページに飛ぶ→その人のファボ欄を見る→・・・
ということを日常的にやっている身としてはいざ自分のファボ欄が見られたらどうしようという言いようのない不安に駆られた。
ハッキリ言って不健全の塊みたいなファボ欄だ。きっと汚部屋と居住環境は一致することだろう。
とはいえ、早6年近く使ってるアカウントとなると今更全部整理整頓するのはとんでもなく大変なので一回見なかったことにした。(そうゆうとこだぞ)
さて本題、今日は感謝の伝え方について考える。
ツイッターのいいね!に代わりハートになってからもう大分時間が経った。
ステキイラストを投稿してくださる絵師の皆さんにピッチングマシーンの如くハートを送ってしまうのはファボ魔としてミヤシタ―ン好きとしては仕方ない事だろう。
でも、時々思う。これって本当に感謝の意が伝わっているのか?と。
勿論目に見えて作品(ここでは絵や文章、あらゆる創作物を指す)が人の目に留まっていることを表す指標としてもハート機能が有益であるのは間違いない。
しかし人は、いやオタクはこう思ってしまう。
もっとちゃんと感謝の意や感想を作者に伝えたい!と。
しかしツイッターはそういったニーズには冷たい。
最近実装されたリプライ制限機能がすべての答えだ。なんでこれ実装したよツイッター焼き鳥にするぞ。
しかしいざDMしようにもまず絵師様のアカウントをフォローしないといけない。これが結構ハードルが高い。
いや、そもそもワニがいきなりフォローしてきたらビビるよ。
いきなり実家の隣にクロコダイル襲来してきたら私はビビる、100ビビるよ。
でも人間怖いからワニのままがいいというジレンマ。
こうして今日も絵師様に対してリプライが送れないのであった。
つづく・・・?