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令和の日本社会を歪めるものの原点とは…私が感じること 〜その①〜

私の居住地は、ビジネス街へのアクセスがギリギリ通勤圏内である、比較的土地建物が安いとされる田舎町であり

山林をどんどん切り拓いてマンモス住宅街の造成を繰り返し、物件の安さと都市への交通利便性を売りにした結果、若者世代があれよあれよと流入し続けた、少子化の今としては珍しい?新興住宅地である。

一気に同世代の世帯件数が膨れ上がり、一気に同級生の子ども達が増え、つぎはぎのプレハブ校舎だらけの学校に押し込められ
一気に商業施設が立ち並び、どのスーパー・飲食店・ショッピングモールも常にファミリーがあふれて超過密状態…

まさに一気に住民が増殖して、税収がうなぎ上りとなった「一見すると、街の大発展を創出した市政」を展開していたように見える。

だが一転して、その大量の子ども世代が一気に独立し、大挙して都会へ流出し始めると…たちまちこの街は廃れはじめ、高齢者(近い将来の我々)だらけになり、みるみるうちに超巨大ゴーストタウンへと変貌してしまう。

果たして、この一時的な「住民大増殖」を起こして莫大な税収を上げることに成功した、A市行政は、地域社会の正しい発展のあり方を示し、住民の幸せや自由が大いに保証された善政を布くことができたと言えるのだろうか?

今、子ども世代が成人しつつある我が家周辺は、一たび大災害が起これば地域の小学校が避難所の役割を果たさざるを得ないのだが
実質として、ダンボールベッドどころかトイレや食料といった災害備蓄品、体育館の床面積も全く不足しているし、最低限の飲料水ですらも避難住民全体にはじゅうぶん行き渡らない程度にしか確保されていない。

このような巨大で安価なマンモス住宅地に、あふれ返るほどの子育て世帯を「我先に」と殺到させておいて、肝心の公共避難所や災害対策は目も当てられないほどにお粗末なものなのだ。

本当にこの期間のA市行政は正しいものだったのか?巨大な住宅地造成で瞬く間に税収を大幅に増大させ、住宅開発関連事業者も莫大な収益を勝ち取り、
この間の市政にあたった市長や議員は高く評価され、全ての市民が安心安全社会のもとで幸せに生活できる環境を整えたのだという評価をすることができるのだろうか?

これから先の10数年でこの街は、子ども達が大挙して都会へと巣立って戻ることも無く、立ちどころに高齢者だけが取り残されて、廃れ続ける「使い捨てにされた、巨大な抜け殻住宅地」となるのだ。

このようなA市の野放図な住宅地政策に、私は全く「街づくりの #持続可能性 」を感じることができないのである。
(ちなみに現住所に自宅を構えることとなった経緯は、義父母と主人の意向で決められ、私の意見を挟む余地は全くなかった。)

今に至る日本政治のあり方も、こうした経緯を辿ってきたことが多いではないだろうか。
経済効果・景気高揚・雇用創設・地域振興…といった甘言密語を並べ立て、現実として行われている国政・県政・市町村行政の中身は「今だけ金だけ自分だけ」であったという実態…

政治家や関連事業者、PR活動に欠かせない大手企業などの収益アップを目論んだ政策を次々と打ち出し、華々しい「人口増大と税収アップを導いた実績」の裏で、一般庶民にはその経済的恩恵が巡ってこないどころか
ある種の(公共設備・緊急物資・医療福祉体制・災害避難所などの)逼迫状況に追い詰められ、挙げ句の果てには緩やかに・しかし確実に上がり続ける税負担という不利益や行政サービスの劣化という皺寄せを甘受させられているのだ。

大企業・中小企業の目覚ましい発展や労働者が叩き出してきた労働収益、研究開発の末に世界に羽ばたくことができた日本のテクノロジーが、日本という国を経済大国へと押し上げたのは、人口も社会の発展も右肩上がりの昭和の時代までであり、
その時代を象徴する、つい最近まで肯定的に取り入れられてきた「大量生産・大量消費」の政治・経済文化であり「ヒトも産業も、あるいは地域コミュニティさえも使い捨て」してもなお許される「あらゆるものが大増殖する」時代だったのかもしれない。

今、日本社会全体に目を向ければ、団塊の世代や我々団塊ジュニア…というベビーブーム世代が高齢者となって、ますます現役世代と若者達が少数派へと転じ続ける「右肩下がり」社会への道を着実に歩み続けている。

「今だけ金だけ自分(金権政治家・官僚・関連事業者・中抜き利権企業)だけ」という政治文化を野放しにし、目先に「経済効果」「偽りの手取り上昇」「自国優先・他国軽視」「新自由主義礼賛・勝者総取り論」に基づく経済政策をぶら下げ続けてきた自公政権。

国民同士を「弱者切り捨て」「世代間対立」の中で叩き合い・競わせ続けた結果、導き出された「リベラル理想主義に向けた憎悪」という誤った社会認識の渦中に、
大量の主権者国民を取り残したままにしてはならないと強く感じ、先の衆議院選挙で自公政権を過半数割れに追い込んだ我々立憲民主党支持層として、危機感と焦燥感を募らせるものである。


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