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極限で表現する人

角幡唯介の本をよく読むのだが、この人は自分を表現する為に極夜の南極や大峡谷に残った未発見の数マイルなどの極限の環境を旅していて、見たことのない世界で表現されたその迫力あるノンフィクションはいくらでも読める。

今日はNHKの番組で富士山のトレイルランニングの番組(グレートレース「激走!再会の富士山麓 UTMF158km」)を見ていて目が離せなかった。富士山を100マイル走るレースだ。常人には登るのがやっとなのにそこを走るという極限のレースである。

極限において人はみな、何かに挑むという感じにはならないように見える。極限であればあるほど、わざわざそこに行く人は、極限を背景にして自分の人生を表現しているように見える。

運命と闘っているな、と思う。カッコいい。

こういうことをしている人が居る、ということが僕みたいなボンクラに伝わるというだけでも、こういうことをしている人たち、居てくれてありがとうという気持ちになる。

僕の人生はもう大体終わりまでの軌道に乗っていて、今の仕事を追い出されるまで続けたのち恋人と合流してあとはむいむい暮らして行くのみだ。(このまま何の心配もなく暮らせればだが)

自分のことは可愛いし大好きだし今の暮らしには満足しているのだが、しかしそんな僕が愛する自分は、自分の運命と闘うことなく、与えられた人生をのらくら吸い続けていて、果たしてかけがえのない私にとってこれは最高なのか?ということを、極限で表現する人を目の当たりにする度に考えてしまう。

体力も根性もないが、何かの拍子に極限をバックに立ってみたい。そのとき自分の人生で1番オレを表現していたい。

何かの拍子で極限、何の危険もなく、しんどくなく、あとから思うとアレだったな、ぐらいの感じで来てほしい。

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