幸せな釣れんボーイが読みたい
ホームの椅子に座って帰りの電車を待っている間はいろいろ考える。
待ってた電車が来たので立ったら、僕のすぐ裏側にある椅子に座っているおじさんが新品のアユ竿を買って帰る途中らしく、ケースに貼ってあるキラキラのシールをうっとりと眺めながら一緒に居る奥さんらしき女性と話していた。
僕は釣りはほとんどしないけど、おじさんのわくわくする気持ちはわかる。気持ちにあてられて、少し心臓がじわっとした。もう夏だなと思ってうっとりした。
僕はアユ竿を買ったことなんかないけど、おじさんの新品のアユ竿を見てとても素敵なものだなあと思ったのは、いましろたかしの『釣れんボーイ』という漫画を読んだからだ。
読んだから、主人公のヒマシロ先生に感情移入した時間があって、おじさんとアユ竿を今日見たときにその時間の幸福感が僕の記憶の中から蘇っておじさんとアユ竿と僕にオーバーラップしたからだ。ヒマシロ先生が新品のアユ竿を買うシーンを思い出して、うっとりしたのだ。
僕の記憶だとヒマシロ先生は、30万円の竿を買った。古女房から子どもがほしいと言われて「猫でがまんしろ」と突っぱねつつ、30万円の釣竿を買ったのだ。
その竿を背負って川へ走る。地方の川へドライブする手もだんだんと覚束なくなり、村田満名人が言った「命・時・金」の天秤を想いしかし「世界にお前ほど面白い魚はいない」と思いつつ、ヒマシロ先生は命がけでアユの濃い川へ走る。
冬にはサギに雑魚を遣り、なんだか泣けてくることもあって、大学時代には友だちが掃除を怠けて蛆に噛まれたりして。いましろたかし先生が描くそんな平和なペーソスが好きだった。逆説的ではあるが幸福なペーソスが好きだった。
最近になってコミックビームで再開した『新 釣れんボーイ』を読んでいて、あの日のヒマシロ先生を遠く感じた。あのとき感じた幸福感がまるで感じられなくなってしまっていた。でもこれはヒマシロ先生がつまらなくなったわけでは決してない!
ヒマシロ先生はバブルの時もそれに立ち向かうように貧乏臭くてジャスティな漫画を描いていた。僕は山下弟が山下兄を真面目にやってりゃファミリアぐらい買えるんだって言って殴って、兄の「ジャ〜〜〜スティ〜〜〜〜」っていう声を背中に鼻水たらして泣いてる顔が好きで、頑張り屋の岡田がゲームセンターでひと息の息抜きに一生懸命ピンボールをやってて顔見知りになった女の子に横断歩道で手を振られて照れくさいけど小さく振り返した手が大好きで、読むたび鼻が痛いぐらいツンとするんだけど、バブルの時の日本でそういう貧乏臭い漫画を描いて日本浮かれやがってバカヤローっていうのが好きだったんだけど、
そういう呑気で平和で幸福なペーソスが、失われていく政治の季節に今の日本がなってしまっているんだなって、最近の『新 釣れんボーイ』を読んでて思う。あのヒマシロ先生が日本終わらないでくれって言ってるから心配になる。僕もノンシャランを気取ってへらへらしていられなくなる。それがすごく辛どい。
だから早く、いましろたかし先生が幸福なペーソスを描ける世間になりますように。
だから『新 釣れんボーイ』を読んで、政治の季節を終わらせるために政治のことを真剣に考えたくなった。
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