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【雑木の庭づくり#02】なぜ雑木の庭なのか

なぜ「雑木の庭」なのか

そもそも、なぜ「雑木の庭」をつくろうと思ったのか。それを言語化することで自分自身が「つくりたい庭」を具現化できるような気がしています。
「雑木の庭が、シンプルに好き。」という動機は、たしかに言わずもがな、あるかもしれませんが、なぜ好きになったのかを考えたとき、それは #01 で書いたような自分自身の「記憶」の背景があるから、なのかもしれません。

しかし、それを具現化しようと「庭づくり」という行動まで行き着いた理由を考えてみると、大きく分けて2つの理由がありました。これから、その理由を書いてみたいと思います。

まずは1つ目の理由です。これが9割以上を占めるかもしれませんが、それは「家族」の存在です。

理由1:「家族」の存在

私ごとにはなりますが、昨年春に子どもが生まれました。初めてのわが子で、目に入れても痛くないほどにかわいいものです。しかし「子育て」は、多くの喜びもある一方で、大変なことも多い日々だと毎日実感しています。例えば、まだ言葉を話すことのできない子どもにとって「泣く」というのは何かのメッセージです。そのメッセージを、泣き方や仕草、表情などから懸命に読み取ろうとしなくてはなりません。
他にも、授乳や食事、寝かしつけやお風呂、おむつ交換や着替え、散歩したり、一緒に遊んだり———。あるいは、子どもが寝ている間に、終えていない家事を回すこと。いや、それだけではありません。
子育ての知識を蓄えるために勉強会に参加したり、本を読んだり。毎日同じような日々のようで、全く異なる日々の連続。「育児」と一言でいっても、その実は、尽きない数々の「こと」で溢れています。
私が仕事をしている間も、通勤している間も、妻はずっと、まっすぐに子どもに向き合い、そして全力の愛情を注いでいます。子どもの成長を感じるのは、きっとそういった妻の日々の「すべて」の賜物なのだと、感謝の尽きない、今日この頃です。

そんな、大切な家族が暮らす家。
そんな、大切な家族が暮らす庭。

その場所を「安らぎ」や「癒し」、あるいは「成長」の空間にしたいと思い「雑木の庭づくり」という行動に行き着きました。
生き物と繋がり、四季の変化に気付き感動する心。それは、子どもの健全な心を養うためにも、そして私たち家族が心豊かに生きていくためにも、すごく大切なことなのではないかと思います。季節の移ろいを映し出す「雑木の庭」では、躍動する自然の「いのち」に呼応して、大切な家族の「いのち」も輝きます。
ふと、子どもがお昼寝をしている時に、緑陰に椅子を持ち出して好きな本を読んだり、休日の昼下がりに木々を眺めながらまどろんだりしていると、雑木の庭は月日の流れと「いのち」あるものの移り変わりを、風や光、かげや香りを通して、そっと私たち家族に教えてくれます。

雑木の庭———。暮らしの中の身近な自然は、そこで育つ子どもにとっては様々なことを発見できる大切な学びの場であり、大人にとっては暮らしを豊かにする癒しと安らぎの場になります。そんな特別な「場」をつくりたいと思い、いつのまにか「雑木の庭づくり」が始まっていました。

では、残り1割の理由は何か。それは「微気候」の改善です。

理由2:「微気候」の改善
2つ目の理由は非常に合理的な理由になります。それは、木々の力を生かして住環境を快適にしたいと思ったからです。
近年急速に、過酷で危険なまでの厳しい夏の暑さが日本中を席捲しています。コンクリートばかりの街では、夜も気温が下がらず、流れる空気は熱気となって、一晩中街を温め続けてしまいます。また、中山間地などにおいても、通気しなくなった大地は、もはや朝になっても冷気が地上に湧き上がることもありません。
そういった状態の中でも、快適な暮らしの環境をつくっていきたいと思い、たどり着いたのが、雑木の庭の「木々」の存在でした。夏の暑さや冬の寒さ、そして強風を和らげ、適度な湿度調整もしながら、暮らしやすい環境全体をつくってくれるのが、健康な木々たちなのです。健康な木々や大地の働きに頼り、暮らしの中に、温暖で過ごしやすい快適な微気候(地域単位の気候ではなく、より細かくて局所的な温度湿度の違いのこと)を保っていきたい、と思うようになりました。
住まいの微気候改善のための植栽は、夏は葉を茂らせて木陰をつくり、そして冬には葉を落として暖かな住まいに取り込めるよう、高木の落葉樹を主木として庭づくりを進めていきます。
例えば、夏の日中、樹高10メートルほどの健康な高木が、枝葉から蒸散させる水の量は実に190リットルにも達するといいます。その際に、たった一本の高木で実に10万キロカロリーを超える大きな気化熱が生じ、周囲の熱を奪うことで夏の空気を冷却します。よく、木々の冷却効果はエアコンと比較されます。エアコンは電力を用いて室内を冷やすことと引き換えに、屋外環境に不快な排熱を放出して、ますます暮らしにくくしてしまいますが、木々は人工的な空調設備などとは全く異なり、屋外室内の分け隔てなく、生き物たちや地域全体にあまねく快適な環境をもたらしてくれます。
力強い木々に囲まれた住まいでは、日中は枝葉が直射日光を遮り、木陰で冷やされた地表にはそよ風が流れます。地表が熱を蓄えないため、夕暮れ時を過ぎるときちんと冷えて、夕涼みができる快適な時間となっていくのです。

さて、そんな住まいを涼しくするための木々の効用には、以下の3つの作用が挙げられます。

©︎高田造園設計事務所 *一部加工

作用① 直射日光の遮断
人の活動空間の上空を広く覆う木々の枝葉は、単に日陰をもたらすだけでなく、体感温度を極端に高める原因となる輻射熱や放射熱をも大きく減らす役割を果たしてくれています。
図1のように、枝葉によって夏の強烈な直射日光を物理的に遮ることで、木陰となる地表にも冷気が宿ります。また、木々の枝葉によって夏の直射日光を遮ることで、地表や家屋壁面の温度上昇を防ぐことにもつながります。これらの相乗効果により、日向と木陰の体感温度は、実際の温度以上に大きく改善されていきます。

作用② 風の誘導(涼風をつくる)
夏の日中、木立によって日向と木陰の間に大きな温度差が生じることで涼風を起こし、それを周囲に誘導する効果が挙げられます。
図2のように、まず、共生する土中の菌糸が集中する健康な樹木の根元は、土中から盛んに水分を吸い上げることで、常にしっとりと通気され、土中の冷気がひんやりと地表に放出されます。この冷気と日向の温度差によってそよ風が生じ、樹木の根元に放出された冷気を引き上げて、周辺環境に涼風をもたらすのです(暖かな空気は下から上へと吸い上げられて上昇気流となり、それが木陰の冷気を引っ張る作用が生じます。)。つまり、健康な高木群の存在は、その敷地内だけでなく、周辺地域にまでその恩恵を及ぼすことになるのです。

作用③ 蒸散による気化熱の放出
木々にしかできない最も大切なこと、それは蒸散による気化熱の放出です。葉の細胞組織には葉緑体があります。葉緑体は太陽の光を受けると、根から吸い上げた水分と、葉の表面にある気孔から吸い込んだ二酸化炭素(CO2)を原料に、光化学反応によって、植物の体に必要な炭素化合物をつくりだします。その過程で、葉から副産物としての酸素(O2)と水蒸気が放出されます。このような、気孔を通してなされる水蒸気の放出活動を「蒸散」といいます。蒸散は、暑い夏ほど活発に行われ周囲から気化熱を奪います。自らの体温の恒常性を保とうとするのは、われわれ動物と同じなのです。
木陰の涼しさは単なる日陰であることだけが理由なのではなく、上部の空間を占める葉の蒸散活動による冷却効果が大きいのです。最近よく街中で人工ミストを目にしますが、そういったものとは比較にならない、複合的かつ重要な働きと効果があるのです。

ところで、健康な森の階層構造を観察すると、点在する高木が林冠を覆って、日照や風を緩和していることがわかります。高木の下は気温や湿度変化も穏やかで、恒常性の高い快適な空間に、高木の子ども(幼木)や若木のほか、実に多種多様な樹木が、枝葉のスペースを分け合いながら、見通しの良い美しい風景と、空気の流れを保っているのです。木々は、それぞれいのちの連鎖と循環の中での役割があって存在しますが、環境を改善する力は樹種によって大きな違いがあります。

©︎高田造園設計事務所 *一部加工

林冠に枝葉を広げて、厳しい風雨や強烈な日差しをまともに受けながら、なお力強く環境を守る高木樹種と、それらによって守られた林内空間で安穏と生きる樹種とは、環境を改善してゆく力も蒸散量もまったく異なるのです。

コナラ、アカシデなどの落葉高木の庭
(写真:So-garden / WORKS

例えば、コナラ、クヌギ、ケヤキ、サクラ、シデ、カシ、シイ、杉、モミなどは高木となり、林冠に到達しますが、アオダモ、トネリコ、モミジ、ヤマボウシなどは本来、高木の下の森の中に生きる木であって、これらの樹種は、高木樹種と比べて、環境を改善する力は、実際にははるかに弱いのです。実際かつての日本では、屋敷林、学校、公園などの外周林や古道沿いの緑地空間では当然のごとく、たくましい高木樹種が用いられてきました。
ところが近年「落ち葉掃除が大変」「枝葉が越境する」「管理のコストや倒木の危険」などの理由で、大きくなった街の高木は次々と伐られ、庭木としても敬遠される時代となってしましました。かつては、道路にはみ出す大きな木の木陰を「ありがたい」と感じ、その下にお地蔵さんや石仏を安置して、樹木のある環境が自然と大切に守られてきました。そんな日本人の尊い感性を守っていきたいものです。

自庭に初めて植えたアオダモ。このアオダモの林冠となる樹木を植えてみたい。

「雑木の庭づくり」を始めたばかりの我が家の庭には、7m弱のアオダモの木が植えられています。アオダモは高木とは言えない樹種ですが、背丈よりも遥かに高い枝葉の下にいると、自然と心は安らぎ大きな安心感を覚えます。上下の空間を木々と人とが分かち合い、木々に守られている実感と感謝をもって日々を過ごすことで、どれほど人の心は癒されることでしょう。

「雑木の庭づくり」という、個人的で微力なムーブメントかもしれませんが、木々と共存する智慧と、多少の不便があっても他の命を労り、ともに生きようとする温かな心を社会全体が取り戻していくための一助になれればいいなと思っています。


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