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雑司が谷散人の街道遊歩 0781
日光街道 2日目-03 2019.5.8
伝右川を渡ると、景勝地として知られる草加松原。
日光街道の松並木が、綾瀬川に沿っておよそ1.5キロ程続く区間。
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草加松原には、綾瀬川の舟運の拠点となった札場河岸があり、草加宿の北に続く河岸として賑わったという。
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草加松原の松並木の完成は、天保3年の綾瀬川改修時に、関東郡代伊奈半十郎忠篤によるものという。
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草加松原は俗に千本松原とも呼ばれたが、日光街道が国道4号となり、車の通行量の急増に伴い松の枯死が続き、一時は60本余りにまで減少した。
昭和51年に保存会が立ち上がり、同58年には松並木の中を通っていた車道が移設された。
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日光街道は当初、千住宿から東に向かい、松戸宿を経由して越ヶ谷宿に至っていたが、寛永7年に草加宿の設置が決まり、これに合わせて天和3年に綾瀬川の直線化工事が行われ、日光街道がこれに沿って通るようになった。
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