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~「配られたカードはプレイしきる」 答えは必ず自分の中にあるから③~

Q6 英語がご縁で入社した会社でのお仕事はいかがでしたか?
 
入社してみると、周りのみなさんは本当に頭がよくって、、私は一般職で入ったので仕事に対する熱意とかがあったわけでもなく、、、、私このままでいいのかな、、、みたいに思ってました。富田は英語力があるからって言われてましたけど、でもその英語力だって業界の基礎知識がなければ変換できないわけですよね。

私は知識が圧倒的に欠如してたからスッゴイ焦りました。そこでもう一度海外に行ってもっとちゃんと英語を学ぼうと決め、2年間休職をいただいて1年カナダ、もう1年イギリス行って英語学ぼうとしていたのですが、ちょうど鳥インフルエンザの時期でほとんど渡航できなかったので、残り4ヶ月ぐらいだけモントリオールで学び、続いて1年間ロンドンでインターンをしました。

帰国後、いざ戻ろうと本社に挨拶しに行ったら、フロアにガリガリ働いてる黒い頭がいっぱい見えて、なんかやっぱり私この中に戻れないな、、と思っちゃったんです。ロンドンで働いてたのがベンチャーの女性社長が率いる出版社だったので、スモールビジネスでもっとスピードが速いようなもの見てきちゃったから、大きい組織で何百人もいてみたいなところに、私はもうはまれないかもってその時思っちゃったんです。
 
で辞表を出して、そのときに姉がアロマのスクールを経営していた縁で、そこで働くことになりました。姉から後から言われたのが、私元々ちっちゃいときから妖精とかが結構好きでポプリとかずっと作ってる子供だった。だから元々植物とか好きだし、アロマとなんとなく似てるからあるかも、と言われて。それもなんかかなり大雑把な解釈だと思うんですけど笑

 
そこからはアロマにどんどんはまりました。勤めながら休みの日に自社のディプロマコースに通学してアロマのことを学び、一通り自社で提供している全授業をとりました。結局サーフィンのときの記憶がいまだに強いので、お客さんと共通言語がないと英語力がどんなにあってもやっぱり言葉は届かないからと思い、アロマ、リフレクソロジー、ハーブも学びました。私はセラピストになりたかったわけじゃなくてセラピストが使う言葉を、自分の中に搭載したかったんです。だからそんな感じで学びつつ、翻訳しながらまた海外いって、新しい先生をつれてきて、新しい先生の講座を開いて、といいうのを繰り返す8年でした。

震災が転機に
 
Q7 そこからまた違うキャリアへ?
2011年前後から会社内での人間関係がなんか揺れてきて。ちょっとお互いの思いとか方向性がずれてきたなっていうのが東日本大震災直後ぐらいから感じ始めて。その時私は35歳・独身だったので、転職するだったら年齢的にも最後だと思って就職活動しはじめました。同時に現在の夫と奇跡的な展開で、交際0日で結婚、6週間で籍をいれることになったんです!それまで転職活動はうまくいかなかったんですけど、なぜか夫と結婚することが決まったら、不思議とポンッて4日で電力を扱う今の会社に就職できたんです。
 
ただ、それまで扱っていたアロマは単位は全部mgでお客様全員女性、というところから、一気にエネルギー、国策、単位はメガワットという大転換となりました笑。当時はもう電気がどう作られてるのかなんて全然興味がなかったんですが、、笑。そこから電力に携わるお仕事をさせていただくことになりました。

といっても、私が携わっている仕事は、新しい発電所を作るのではなくて「原子力を使わずに未来を作ろう」という、今あるリソースをどうやったら最適化できるのかを考えています。いままではこれからもっともっと経済発展するために電気が必要だっていう声に応えて国策として発電所を作り、より大きくエネルギーを輸入しようと供給を増やしてきましたが、今は、これだけの供給ですから、あなたたちのビヘイビアーを変えて足りるようにしてくださいっていうように、需要側が合わせる政策になりました。私はそこに惹かれていて、そんな今の仕事に誇りを感じています。

英語力の修練を目指した先でアロマとの出会いがあった絢子さん。そんな絢子さんがご主人と出会い、次に選んだキャリアはまたアロマとは全く違う世界、、に見えますが、そこにどんな想いを持たれていたか・・?また次回をお楽しみに!④へ続く

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