「ゆたか」とはいえない国で「ゆたかさ」を知る。
去年の夏休み。
中南米の国キューバへ一人旅をした。
バックパックひとつ担いでの一人旅。
キューバは言わずと知れた「超社会主義国」。
フィデル・カストロと、チェ・ゲバラが中心となって、アメリカの強い影響下にいた当時の親米政権を倒し、不平等に苦しむ国民を救った戦い「キューバ革命」。
その末に成しえた「社会主義」の国。
その色は今も強く続き、未だに配給制度を取り、国民は全員公務員。職業も、住む場所さえも国に決められているという世界が広がっている。
ゆえに、常に物不足状態で、国民は国が担保している最低限の生活の中で生きている。
そんな国に行ったからこそ感じた「#ゆたかさって何だろう」について触れていこう。
キューバ旅行記は別の記事で書いているので、もしよければ。
この国に来て最初に思ったことは、「お金の無力さ」みたいなこと。
おそらく、素直に考えれば「豊さ=お金」という考えは少なくとも、もっともシンプルな関係のひとつだと思うが、キューバにはそもそも商店が少ない。極端に言えば「水1本買うにも困る」のである。
照りつける太陽の下、喉は乾ききっているのに、気軽に水を買える店がない。
お金はある。でも水がない。
熱射病で倒れないために、片言のスペイン語を駆使し誰かに聞く。
やっと売ってる店を見つける。
もちろん、観光客目当ての商売をしている場所や、タクシーなんかはお金がものを言うが、それ以外のある意味「無駄遣い」したくてもする場所がない。
だけど、そこに住む人々は本当に楽しそうに、のんびり生きている。
誰もが笑顔で話しかけてくるし、仕事もしないで公園で友達と話しをしてるし、家の軒先で夕涼みをしている。
夕方。
あるレストランのオープンテラスのような場所で、生バンドが演奏をしていた。「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」の定番曲を演奏している。
「いかにもキューバっぽいな」と、レストランの敷地の脇にある公園のベンチに座りながら演奏を聴いていた。
公園には仕事終わりの現地の人たちが、集まって会話を楽しんでいる。
演奏に合わせてダンスをする人たちもいる。素敵な時間だ。
木々には鳥たちが集まって鳴いていた。日本でも夕方の公園でよくある風景だ。
演奏に聴き入っていた俺には、その鳥の鳴き声が邪魔だった。
うるさいと感じ、木々の上で鳴いている鳥たちを睨むようにして見上げた。
すると、隣のベンチに座っているカップルが、俺に話しかけてきた。
同じようにその鳥たちを見上げて指さしながらカップルの男性は嬉しそうにこう言った。
「ほら、鳥たちも一緒に歌ってるよ」
と。