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現地で学んだラテン音楽とダンス

中南米に住むなら少しは学んでおいた方が良いこと、それはラテン音楽とダンス。私の住んでいたパナマではレストラン、ビーチ、ストライキのデモ行進や選挙キャンペーン、街中どこでも音楽が流れている。

パーティーで少しだけダンスのステップが分かると楽しいし「踊ろうよ!」と誘われることも多い。ラティーノにとって音楽は生活の一部。

ラテン音楽は中南米発祥の音楽の総称だが実はジャンルは幅広い。アフリカ、ヨーロッパ、先住民族などの民族性や地域性が融合されている。


サルサ

一般的にラテンの音楽と言えば、まず思い浮かべるのはサルサだろう。
リズムのとり方はクラーベという独特のリズムパターン。文章で説明しようと思ったが、耳と体で覚えてしまったものを伝えるのって難しい...。

一つ言えることは、日本人には馴染みのないリズムなので慣れるまでに時間がかかるということ。盆踊りのリズムとはまるで違う。

♪クラーベのリズム♪

拍子木のような木製の楽器が「カツカツ」鳴っているのがクラーベ。ピアノのメロディーは8拍だが踊る時はこのクラーベに合わせる。ちなみにスペイン語でサルサは「ソース」を意味し、クラーベは「鍵」である。

フランス人の友達は、数年サルサを踊っているが、未だにクラーベのリズムが掴めない。音感が無い人は少し苦労するかも。

♪ Ven Devorame Otra Vez♪

このビデオはコロンビアのアルベルト・バロスが歌っているが、原曲はプエルトリコのサルサ歌手、ラロ・ロドリゲスの曲。ビデオでは、ダンサーがサルサを踊っている。

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サルサは相手との距離が近い。踊る時は、男女でペアになって手を取り合う。サルサレッスンに行けば、見知らぬ相手と見つめあって近距離で踊ることになる。

自覚はないが、緊張していると自然に体が固くなるようで「リラックス!」とよく指導された。

サルサを踊る時は、相手の目を見て踊ることも重要だ。ラテン文化では、ボディータッチは当たり前だが、人に触る習慣のないシャイな日本人は慣れるのに少し時間がかかる。イケメンと踊る時は、顔がニヤけちゃう。

踊っている途中に靴紐が解けて女性が結び直そうとすると、先生が「男性!何やってるの〜。結んであげなさい。」と言うところがラテンっぽい
そして、何故だか男の先生はゲイっぽい人が多い。女性らしい動きも踊るから、そうなるのか…。

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サルサの起源は、様々なスタイルの音楽的要素が組み合わさったもので、1900年代前半のキューバに遡る。キューバの音楽ジャンル「ソン」と「アフロ・キューバンルンバ」を主要なスタイルとして、多様な楽器を使用した音楽が後のサルサリズムの基礎となった。

その後50年かけて、地元のキューバ音楽やアメリカのジャズの影響を吸収しサルサは進化を遂げる。1953年から始まったキューバ革命で、多くのキューバミュージシャンがアメリカ(特にニューヨーク)に移住し、ヒスパニックコミュニティーの中で今日のサルサが生まれた。

キューバ人は、子供からお年寄りまで踊りが大好き。おばあちゃんでも華麗なステップで踊り若々しい。

今までパナマ、コロンビアやベネズエラなど色んな人種が踊るサルサを見てきたが、キューバ人に敵うものはいないと思う。何というか、もう彼らは血で踊っている感じ。

キューバの音楽は、カリブアフリカが起源なので、アフリカの音楽を聴いたり、ダンスを見るとキューバの音楽と共通するものを感じる。

ちなみにキューバの歴史に少し触れると、キューバは1500年の初めにスペイン人によって植民地化され、砂糖プランテーション(大規模農園)などの労働力として、アフリカから沢山の黒人奴隷が連れて来られた。

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バチャータ

ドミニカ共和国が発祥のダンススタイル。サルサに比べるとゆっくりした動きで、ロマンティックでセクシーなダンス。サルサよりも相手と体が密着する。

バチャーター音楽と言えば、Romeo Santos(ロメオ・サントス)。バチャーター界のキングと呼ばれていて、ラティーノで彼の名を知らない人はいないだろう。彼はアメリカ人だが、両親はアメリカ移民で、父親はドミニカ、母親がプエルトリコ人。

甘いマスクの彼だが、またまた声も色っぽい。車で彼の曲が流れていたら、日本から来たおば様がすっかり気に入ってCDが欲しいと言っていた。

バチャータの歌詞は、片思いや失恋などちょっぴり切なく、懐メロっぽいので、ご高齢の方にもウケが良いかも。

そして、バチャーター界の貴公子と呼ばれるドミニカ系アメリカ人のPrince Royce(プリンス・ロイス)も人気。

名曲スタンド・バイ・ミーのバチャータバージョン。

ドミニカの大物歌手で、Juan Luis guerra (フアン・ルイス・ゲラ)の歌に「バチャータ・エン・フクオカ」という曲がある。「フクオカ?日本みたい」と思うでしょう。

そう、実はこの歌は彼が日本の福岡を訪れた時の思い出が曲になっている。

筆者は福岡出身なので、ラティーノにどこの出身と聞かれて「バチャータ・エン・フクオカの福岡だよ!」と言うとみんな喜んでくれる。

バチャーターは、1900年の半ばにドミニカの農村で生まれた。当初、バチャータは低俗で貧困層の音楽として上流階級から軽蔑され、独裁者のラファエル・トルヒージョ(31年間の独裁政治を行う)によってバチャータ音楽とダンスが禁止される。

彼の任期中、バチャータは売春宿などでしか楽しめず、1962年にトルヒージョが暗殺された後もバチャータは社会から忌み嫌われる

その後、しばらくバチャータの暗黒時代となるが、80年代に入りテレビやラジオで放送され、少しずつダンス・ミュージックとして認識が広がり偏見を打ち破った。

90年代では曲調がモダンになったり、若いアーティストが現れ今日では世界的な音楽として知られている。

メレンゲ

メレンゲは、ドミニカ共和国が発祥のダンスと音楽。サルサやバチャータと比べると、動きの幅が狭く一番踊りやすいと思う。基本のリズムの刻み方としては、「イチ、ニ、イチ、ニ」で膝を曲げ、お尻をプリプリ振る感じ。

1700年の後半から1800年の初頭にかけ、アフリカフランスのダンスが混ざりメレンゲが誕生した。当時フランスの植民地であった、ドミニカ(当時のイスパニョーラ島。ちなみに半分はハイチ)には、アフリカから沢山の奴隷が連れてこられた。

起源の諸説は色々ある。

パーティーで踊るフランス人を真似して、自分達流に踊り出したのが始まり。

※足を鎖で繋がれた奴隷たちが太鼓の音に合わせながら、片足を引きずり砂糖きびを刈っていた。

※ドミニカで革命が起きた際、偉大なヒーローが戦闘で片足を負傷。仲間が彼に同情し、戦いの勝利を祝う時にたどたどしく片足を引きずって踊った。

バチャータで紹介した、歌手のフアン・ルイス・ゲラのLas avispas。日本語で。陽気なメロディーで自然と体が動き出す。ビデオでは、メレンゲのステップを踏んでいる人達がチラッと出てくる。ちなみにフアン・ルイス・ゲラは、グラミー受賞者でもある。

今回は、3つのラテンダンスと音楽について紹介したが、色々調べてみるとダンスの歴史も奥が深い。中南米の音楽や文化が、こんなにもアフリカの影響を受けているなんて!

ラテンの音楽は、他にもコロンビアのクンビア、アンデス系のフォルクローレ、ヒップホップの影響を受けたレゲトンなど説明できないほど沢山ある。
音楽を通して、その国の歴史や文化を学ぶのも面白いし、音楽やダンスを通すと現地人との距離が更に近づく。













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