そこの怖いもの知らず、もしくは馬鹿のふりができる二ツ目さんへ届け~
10月9日、10日新宿紀伊国屋ホールにて、「きょんとちば マイノリ 60s」が開催された。
落語と芝居。喬太郎師匠が落語を2席。毎度のことながら喬太郎師匠の落語は、それを聴くと、「同じ時代に生きられてよかった」と思う。
今回2席目は、「マイノリ60s」と題された1時間くらいの落語。
とある二人の男女の大学時代から60歳まで。
違う大学に通う二人の出会いから。
男は落語家になり、女は劇団を主宰し、俳優、演出、作を職業とした。
例えば20歳が出会いだったとしたら、40年間。
その男の名前は、喬太郎でも、喬太郎師匠の本名でもない。でも、下敷きであることは確か。
40年間の噺であるということは、その男の噺家人生の前座、二ツ目、真打の時代が描かれているのだ。
その噺の中で、喬太郎師匠は素で「落語をぼんやり覚えて(落語を)話してる」という内容の事を言い、客席の笑いを取った。
聴いてるほうは、「ですよね、知ってますとも」と、喬太郎師匠の落語を知っているのであれば、
全員が思ったことだと思う。私もだ。
私には喬太郎師匠が、今までの噺家人生を振り返って慈しんでいるように聴こえた。そう聴きたいのであろう、そうあって欲しいのだろうと思う。
でも、絶対そういう側面はあったと思う。特に二ツ目を振り返るパート、今現在の噺家の二ツ目が聴かなくちゃいけないと思った。
「あの喬太郎師匠でさえそうだったのか、それなら自分も」って思えたり、「喬太郎師匠が二ツ目の時ってそんな環境だったのか、それに比べて今は
恵まれてる、だったらこうしよう」とか、考えられるんじゃないのかなぁ?だから聴いて欲しいなぁと、心から思う。
「好きなことを(職業として)やって生きていく事を選んだ二人」。そうは言えない今の私でさえ、こんなに刺さるものがあったのだから、
好きなことをやって生きようとしている人たち(二ツ目)には、どれだけ刺さるだろう?
私はただの落語ファンだから、喬太郎師匠の口演を二ツ目さんたちがどうやったら聴けるのか、全くわからない。
「そんなの絶対に無理」なのかもしれない。でも、そこは知らんし。だからこんな事書いてもいいんだと思う。
どなたか二ツ目さん、どうにかできませんか?
どうしても聴いて欲しいから、ちょっとどこかの二ツ目さんに向けて、書いてみました。