暗く深い海の底、そこからの闘志
26年間生きてきた。必死に生きてきた。
未だに私は深い悲しみのなかにいて、日々起きる様々な出来事は濁流のようで、私は未だに暗く深い海の底にいるのだと自覚させられる。
濁流の中を必死になって、これかもしれないと思ったものに飛び付き、必死になって掴む。これを支えになんとか濁流の中でも身を正そうともがいてみたりしている。
濁流の中にいると、体が動かせなくなる。動けなくなる。そして、外に出ることが出来なくなる。私は人間で社会と関わりながら生きているので、外に出られないのは大変困るのが所感。
息がしにくい、上がってくる、なのにどんどん体は冷たくなって、足先や指先は氷みたいだ。
そういうときは、焦らずに濁流に身を任せてみる。こういうときでも、自分のこれだ!と思ったものは手放さないように、手の中を何回も確認する。
そうして、行き着いた場所で少しずつ息を整えて、体を温めて、また次へと歩き始める。
また、歩き始めようと思えることが純粋に嬉しい。また、歩き始めたいと思えることが嬉しい。
26歳になる。今年でもう26歳だ。圧倒的に経験不足だ。なにも成し遂げていない。体もどんどん衰えて、出来ないことがどんどん増えていく。チャンスはどんどん少なくなっていくだろう。
でも、まだ無くなってはいない。
そう思えることが嬉しかった。まだまだやりたいことがたくさんあるのが嬉しかった。出来ないかもしれない、でも出来るかもしれない。そう感じられる自分がまだ自分の中に存在していたことが嬉しかった。
ああ、まだ戦えるんだ、戦おうと思ってくれるんだ。自分がまだ諦めていないことに、心の底から沸き立つ嬉しさに雄叫びをあげたくなった。
大丈夫だなんて、安直に思えない。何一つ大丈夫からは程遠い。だけど、そんな中でも戦おうとする意思が自分の中にあることが確実な強さだと実感した。
暗く深い海の底からでも戦おうとする限り、いくらでもやりようがある。
未だに深い悲しみのなかにいて、それらは私に覆い被さってくる。
それらを丸ごとひっくるめて、私であり、それが私なんだ。
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