#3.眩い記憶と潮のにおい
「そういえば私、鎌倉行きたいんだよね。行ったことなくてさ」
「おぉ、いいじゃん。じゃあ行こうよ」
と友達が言う。東京までの助手席に乗っていけばと。彼は東京からちょうど遊びに来ていてその帰り道のことだった。
お金がないからな~と悩みながらも、10分後にはトートバッグに化粧品とパジャマを詰め込んで車に乗り込んだ。
1月1日の夜、大体7時頃。「ちょっとコンビニで水買いたいんだよね」ぐらいのフットワークで、鎌倉旅行の幕は上がった。
思えば、精神的にしんどいことが続くとどこかへ旅に出ていたなと、旅から帰ってきて思う。
なんだろうな、多分自分の今の状況から一歩外に出て、何も考えずに新しいものや好きなものを体に詰め込みたいのかな。
考えても分かんないから、宿題にしておこう。いつの自分が解くのだろうか。ちょっと楽しみだ。
東京に近づくたびに、何度も行った場所なのになんだか、新しいゲームのカセットを差し込むぐらいワクワクする。
東京は夜中の2時でも眩しくて、このネオンが私の冒険の幕開けの合図に感じた。
鎌倉には直接行かず、一旦彼の家で仮眠をとった。段ボールや書類がたくさん積まれているソファーが一つ。今日の寝床だ。それらを崩さないように窓際に寄せて、場所を作った。背中を丸めて、布を暖める。寝返りを打つと街の灯りが目に入った。
寝床の壁は一部分ガラス張りになっていて、まばらにしまったカーテンからネオンが見えた。
すき家の24時間営業の様子を見ながらその日は眠りについた。
鎌倉に着いたのは、13時ごろ。最初に行ったはナントカさんのお墓で、前の大河ドラマでは結構活躍したらしいけど、私は見ていなかったので全くわからなかった。
階段をえっちらほっちら登り、昔いた名もわからない人に祈りを捧げる。昔の偉人にしたら、けっこうこじんまりとしたお墓で馴染み深い感じ。なんだか親近感が湧いた。お邪魔しました。またね。
お堂が何個かあったらしいけど、どうやら戦火で燃えてしまったらしい。ここにありましたよーと、案内が空虚を指していた。
街を歩く。雪ノ下という地名らしい。由来を調べてみると、雪を保存した雪屋があったからだとか、ユキノシタという植物が生えていたからなんだとか。鎌倉の街は初詣、もしくは大河ドラマ効果なのかわからないぐらい人が多くて、鶴岡八幡宮の本殿への参拝客は8人の列でぎゅうぎゅう詰めの状態だった。ご飯を調達する彼を待っている間、一切の動きを見せなかった。列をよそ目に昼ごはんを平らげた。焼きそばとポテトフライ海苔塩バター味。シャカシャカ振るはずが、焼きそばに夢中になって忘れていた。海苔とバターが一部に固まって、格差が起きている。それはそれで美味しかったし、友達はバターの味がしてうまいと言っていた。私はポテトの味だった。
お腹もぼちぼちいい感じに重く、次どこにいくと周りを見渡す。あ、そういえば駐車料金、平日最大料金なかったけど、車に戻る?江ノ島行きたいんだっけ?とむにゃむにゃと何事も一向に決まらず、5分くらいもごもごと話しながら街の中を歩いた。
「考えている時間が勿体無いし、こうやって考えている時間にもお金はかかっているし、やりたいことしようよ」
と彼が言ってくれたので、車を置いて駅まで歩いた。私は江ノ電に乗りたかったし、江ノ島に行きたかった。
私の好きな映画の一つに「海街diary」という映画がある。鎌倉に住む4姉妹のお話で、彼女らの生活に私は美しさを感じていた。なんとなく、私がしたい生活に似ているのだ。緑があって、潮の匂いがする場所。薄味の漬物に小鉢がたくさんのご飯、一軒家で暮らす生活。彼女たちの最寄り駅は江ノ電の極楽寺で、電車はちょこっとしか出てこないけど、彼女たちがみた風景を私も見てみたかった。
江ノ電の車内も外と変わらず人が多くて、私みたいな観光客もたくさんいた。そんな中にも、スーパーの袋を持つ人、花束を抱える人、子ども。この電車は私にとっては非日常だけど、この人たちにとっては日常でありふれた風景の一つで、見える風景は決して特別なものではないことが、羨ましくなった。
海の見える景色は、沖縄の離島で育った私にとってはありふれた景色だったけど、今の私にとっては懐かしく、嬉しくなる景色になった。
毎秒毎秒目まぐるしく変わる景色に私はどのくらい食らいついていけるだろか。踏切の音、ブレーキの金属音、止まる車体、窓からいっぱいの眩い光、夕暮れで染まる。ゆっくりと電車は走り出した。
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