【夢】彩の国さいたま芸術劇場でチェーホフがやりたい!

先日埼玉芸術劇場からとある案内が出されました!


協力者を募集しています。

私、小山都市雄は恥ずかしながら個人的な理由で約5年の間演劇を離れていました。この彩の国さいたま芸術劇場からこの発表がされる数日数日前に活動再開の旨をXでポストしたタイミングでした。
当時はそこそこ小劇場で活動させていただいていたのですが、現在は当時のように知名度もなく、俳優やスタッフの繋がりもない状態です。
ただ、この千載一遇のチャンスを逃したくは無いので、この企画に応募するための協力者を募集しております。後述しますが、添付いたしました画像に記載している応募方法の③④については用意があり、具体的に①の企画書のためのスタッフや俳優。②を一緒に考えてくださる制作を募集したいです。

さいたま芸術劇場でチェーホフを上演する夢

僕が演劇をのめり込んだきっかけはたまたま入った演劇学科の高校での演劇論の授業でした。その題材がチェーホフのかもめでした。
学科長にとっても特別だったそうで、学校にあった稽古場兼劇場の名前もロシア語でかもめを指す「チャイカ」でした。
その授業が面白すぎたおかげで演劇をしています。

後に都市雄ClassicSという団体でチェーホフを上演し始めますが、その当時からの大きな夢が彩の国さいたま芸術劇場でチェーホフを上演することでした。

彩の国さいたま芸術劇場と小山都市雄

僕が演出家を志していた当時日本で演出家と聞いて一番に思い浮かべるのがシェイクスピアの演出で有名な世界のニナガワこと蜷川幸雄さんです。(都市雄の雄は本名にもついているのですが、蜷川さんへの憧れも含んでいます。)
演劇を始めたてで、本やTVのインタビューを観あさっていた当時2016年に亡くなられたニュースを聞いてまだ生で舞台を観ていないのにと落ち込んだ思い出があります。
数年後こまばアゴラ劇場で働いていた縁で

 彩の国さいたま芸術劇場主催の作品に出演させていただき、蜷川幸雄さんと直接作品を作っていたネクストシアターやゴールドシアターの皆さん、劇場のスタッフの皆さんにお話を聞けたのは僕にとって素晴らしい経験でした。
そこで劇場の資料を見ることができることを知り、蜷川幸雄演出のシェイクスピアの映像を何度も観に通いました。
その頃から彩の国さいたま芸術劇場で上演をすることが夢になっていました。

都市雄ClassicS

当時の僕の演劇活動の中心はべろべろガンキュウ女という団体で静か系エログロナンセンスと称した作風の作演出でした。
僕の演劇の原点であるチェーホフを演出したいという心意気やチェーホフ作品に対する愛情が伝わらないと思い、上演する名義を分けることにしました。それが都市雄ClasscSです。
チェーホフの四大喜劇を上演することを目標に旗揚げし、二作品発表し、その後演劇活動を休止しましたので目標はそこで止まってしまっています。
以下当時のフライヤーや、映像


演出家として

当時こまばアゴラ劇場演劇学校無隣館3期生演出部というところに所属していまして、そのカリキュラムの中で利賀村での演劇人コンクールと鈴木忠志の演出に触れたことで古典戯曲の演出というところに一気に意識が向きました。
蜷川幸雄がシェイクスピアといえば蜷川幸雄であったように。
チェーホフといえば小山都市雄が挙がるような演出家になるいことを志していました。
また、当時の自分がチェーホフを同世代俳優を集めて上演することには同世代の演出家や俳優に対して自分の意思を伝えることにも意味を感じていました。
演出家として戯曲を解釈して演出プランを探る、簡単なようで難しく。ただこれが一番自分には楽しかったのです。
「桜の園Everyone is a child」や「ワーニャ伯父さん:自殺願望者の為の生活戯曲」の演出プランを思いついた時は勝った!と思ったのを覚えております。

ここまで読んでくださりありがとうございます。僕に興味を持って下さった方やチェーホフに興味を持った方、僕の夢を手伝ってくれる方がもしいましたらXのDMへご連絡いただければ幸いです。
仮に彩の国さいたま芸術劇場での公演が今回叶わなくても久々に演出家として存分に腕を振るえれることができることを楽しみにしています。


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