逃避行は甘くない。

逃避行の作品を作っておいてなんだが、逃げる事は駄目なことだと思っている。
僕は物心ついてから基本的に逃げる事で生きてきた。そのツケを20歳を超えたあたりから払い続けている気がする。
もちろん逃げて良かったこともある。今生きているのは逃げてきた成果でもある。

僕は学校で宿題を提出したことが無い。厳密には、期限内に提出したことがない。どうにか同級生や先生に許しを請いなんとかしてきた。小学校1年生の時は大人しく友達が1人も居なかった。2年生にあがるとたまたま仲良くなった男の子が所謂一軍で皆が自然に集まるタイプの子供だった。そいつの隣にいたら安心できた。周りが皆サッカー部に入った時は自分もサッカー部に入った。走るのが嫌でキーパーを選んだ。友達は自分含め皆団地育ちで半分が片親だった。

中学に上がっても自分は変わらずその時人気のある人の近くにいた。いじめられそうになるとふざけて笑いで誤魔化して、宿題は出さなかった。高校進学で周りは当然のようにヤンキー校に進む。皆と同じく公立しか通えないうえに、勉強なんてしてなかった。たまたま勉強しなくても入れそうな偏差値の高い公立高校を見つけた。そこに演劇学校があった。受験の少し前、住んでる団地の裏に市民プールがあった。そこで夜までヤンキーになった先輩達と花火をしていてなんだか危なそうな予感がして途中で帰った。次の日プールに侵入した友達数人が裁判沙汰の問題になった。

高校で地元の友達と離れて、大阪市内の学校に通った。運良く合格したのは良いものの学校で教えられるキラキラした演劇に興味はなく、フラストレーションを解消する為に小劇場に居場所を求めた。その頃両親の関係は最悪で自分は家族からも逃げた。バイトと旗揚げした劇団の活動をし夜遅くに帰る。学校もめんどくさかった。高校2年の時に団地の建て替えがあって綺麗な団地に引っ越したがあと1年で出ていくからと段ボールに荷物を詰めたままにしていた。高校でも逃げ癖は加速し、高校と家族から逃げようと沢山公演をした。演劇を作っている時は生活から逃れている気がしていた。通学路の大阪駅でサラリーマンの乗り換えの波に逆行した。スマホで担任に電話をして、親に嘘をついて。単位が取れるギリギリの出席日数まで休んだ。

周りに助けてもらい、どうにか卒業する。大学受験からも逃げ、東京でやっている無料の演劇学校へ通った。割と狭い門みたいだっのになぜか受かった。そのまま段ボールに蓋をして宅急便で引っ越した。すぐに親は離婚した。バイトをいくつかやった。東京っぽいバイトもチェーン店っぽいバイトも。でも数ヶ月すると辞めたくなる。辞めたいと思ったら止められない。行きたくないと思うと止められない。すっぽかしてやめて。数日後悔する。その悪循環自体が気持ちよくなってた気がする。

逃げるのに疲れた時自分以外に頑張る理由を作って無理矢理頑張ってみたことが何度かある。これは逃げるより酷い。大阪と東京で劇団をやっていた時も人を理由に無茶なことをしていた、結局愛想を疲れて1人になってしまう。演劇学校の授業も自分の活動を理由にまじめに取り組まなかった。何も残らない。演劇が上手くいかなくなった時、当時の恋人に依存した。連れ子が居て、それを諦める理由にした。演劇を辞めて1年くらい一緒に住んだ頃。コロナ禍になって演劇をやっていた知り合いも辞めていった。また逃げる理由ができてしまった。恋人にも向き合えなくなって。随分酷いことをした。やけになっていた。別れた後、色んな支払いから逃げた。元々その癖はあったが考えられる最底辺の生活になった。

どこかへ逃げると、そこにはもう逃げられなくなる。一つ逃げるたびに逃げる先が無くなるのだと知らなかった。丁度どこにも逃げられなくなった頃に、雑貨屋でアルバイトも始めた。やる気は無かったが、向いていた。普通の人のフリもしなくて良くて。居心地が良かった。逃げてた支払いをしていこうと思ったり、助けてくれた人達みたいになろうと思ったり。自分のお店を開くなんて夢を語って、演劇をしていた自分を忘れようとした。自分なりに頑張ってみた。それがなんとなく続いて店長になったが。逃げ続けていた過去のツケが迫ってきて。耐えきれず辞めてしまった。その後は正社員で働いてみたが忙しさに私生活のボロボロで辛いと逃げ出してしまった。別の好きな雑貨屋のバイトを始めたが東京を絵に描いたようなキラキラした街と人が怖くなって逃げてしまった。

それから演劇に戻ってきた。必死で色んなことから逃げてきていつの間にか戻ってきていたのがここだった。社会から逃げてきて作った作品だ。テーマや社会に訴える何かなんて無い。僕はただ逃げたいんだ。逃避行は1人じゃできない。だからあり得ない。だって何かから逃げる時人は独りだから。逃避行ということ自体が夢物語で。僕はそれを観たかった。

江ノ島に一人で行ったってなにも気持ちは晴れない。あなたと行った江ノ島は電車や車で行くより遥かに遠かった。

僕はこれからも逃げる為に演劇を書いてみようと思う。逃げたい人の逃避行先になれる作品を作りたい。少なくとも上映中は社会や生活から逃げられるような作品を作りたい。

逃げ切るぞ。という気持ちで逃げる。尻尾を巻いて逃げてきた人生だけど、逃げ切るぞという気持ちで本気で逃げたことは無い。

相変わらず逃げることは駄目だと思う。でも死んじゃうくらいなら逃げる選択肢があって良いと思う。今後べろべろガンキュウ女で作る作品は全部逃避行にしたいと思ってる。

一緒に逃げましょう。逃げ切りましょう。

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