自分のご機嫌をとる「神様の時間調整」という考え方
僕はときどき「神様の時間調整」という言葉を使って自分のご機嫌をとる。
予想外のスケジュール変更に対して、自分なりに意味づけをして心を平穏に保つのだ。
普段生活していると、誰かとの約束が急になくなったり、新たな予定が入ったり、自分だけで時間をコントロールしきれないことがあるんだよね。
そんなとき、真正面から受け止めてイライラしたり落ち込んだりするのではなく「この展開はきっと神様がうまく時間を調整してくれた結果」と自分勝手に意味付けをしてしまうのさ。
例えば、
急に予定がキャンセルになった場合は
「この空いた時間に、どんな楽しいことが入るだろう。あるいは、なかなかできなかったことができるかも。」
急に予定が入った場合は
「もしかしたら、今日の予定(出会い)がきっかけとなって面白い未来が待っているかもしれない」
寝坊してしまって予定がくずれた場合は
「きっと体が休息を求めていたんだね。体調崩す前に休めて良かったよかった」
こんな具合に、自分にとって良い意味付けをすることで、イライラが減っていく。それにこういう意味付けをしてみると、本当に新しい展開が生まれることがあるから不思議。
「神様の時間調整」という言葉を知ったのは、20年くら前に読んだ斎藤一人さんの著書。どんな内容だったか覚えていないんだけど、その後、自分なりに使っていくうちに今の形に落ち着いた。
起きた事象に対してどう意味付けするのか。日々の生活を自分なりに快適に過ごすコツかもしれないね。