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芸術と論理の間で1000年生きる書体をめざして…-『日本字デザイン』 佐藤敬之輔(1963年)

先日、怖い文字の本を読んだ。

書体研究家・佐藤敬之輔氏による「文字のデザインシリーズ」全6巻である。全巻を通じて圧倒的な情報量なのだ。日本語書体をつくるために、ここまでの研究と分析、鋭い洞察力と知識が必要なものなのか。もし書体デザインを志して、最初にこの本と出会ってしまったら、その時点で挫けてしまうのではないかと思えるほどだ。

そんな佐藤氏の設計した書体の中でも、もっとも独創的でコンセプチュアルな作品「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」を今回取り上げたい。まずは提示された書体見本を見ていただきたい。

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この書体は本文用の「横組専用書体」として、1962年『第12回 日宣美』で発表された。

斜体の書体

ひと目でわかる特徴は「斜体」だろう。斜体が標準体である書体はとても少ない。鈴木勉氏の「スーシャ(1979年)」と今田欣一氏の「いまりゅうD(1988年?)」が有名だ。斜体なだけでなく一部の字に省略や変形が加えられており、かなり実験的な書体である。

この書体を『日本字デザイン 改訂第3版』(1963年、丸善)を中心に、『佐藤敬之輔記念誌』(1982年、佐藤敬之輔記念誌編集委員会)と『日本のタイポグラフィ―活字・写植の技術と理論』(1972年、紀伊国屋書店)の著書3冊から見ていく。

書籍(イメージ)-並列-原寸

さて、どのような書体であるかを探る前に、佐藤氏とその時代について見てゆこう。

佐藤氏とその時代

書体研究家として書体史・デザインに関する著書は多数。大学ではデザイン・タイポグラフィについての教鞭をとる。日本レタリングデザイナー協会(のちの日本タイポグラフィ協会)の設立に尽力し、啓蒙と書体デザイナーの地位向上につとめた。戦後日本のタイポグラフィの発展への業績は言わずもがなである。

主な書体デザインとして「津田三省堂長体明朝(両かな)」「沖電気コンピュータ・ディスプレイ用書体」「機械彫刻用標準書体(当用漢字)」「リョービRM-1000細明朝体」がある。「機械彫刻用標準書体」は今でも見ることができる。

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佐藤氏とその時代

佐藤氏が書体という仕事にたどりつくまで実に多くの時間を要している。アート&クラフトとサイエンスの間を彷徨しながら、書体研究に辿りつくのは38歳のころである。

追悼誌「佐藤敬之輔記念誌」の年譜より、その歴史を見ていきたい。

佐藤敬之輔氏は1912年(明治45年)、横浜の魚問屋の三男として誕生する。文学、美術、音楽など文化的なものに囲まれて育ち、高校では優秀な成績をおさめる。1932年、東京帝国大学理学部動物科へ進学する。理系である。

高校の教官の記述からみても優秀さと個性が滲み出ている。

感受性強く情操に富む。外見女性的内心自身力強く、強情、ワガママ、温順優雅。若者の感なく老成を思わしむ。努力せず天才的。本をよく読み博識郡を抜いている。文才あり。絵画に天分あり。これが為に身を誤ることにならなければ良いが。多趣味、多才の士なり。身体強健ならず。(『佐藤敬之輔記念誌』P.164より)

多才の所以か、ここから大きく揺れ動くこととなる。

学生時代も半ば、「日本の工芸を世界に発信する」という志をもって陶芸の道へ転身する。1934年に京都の陶芸家のもとに弟子入りする。独立の準備もすすめていたにもかかわらず、再転身。1940年には、エンジニア職へ転職している。

戦後の混乱期を経て、ようやくここで書体と出会う。1950年、米駐留軍の印刷所に務めたことがきっかけとなり文字のデザイン(手書き)にかかわる。ここで欧文活字と接することとなり、ついに書体研究者への道に足を踏み入れることとなる。本格的に書体の研究がスタートしたのである(ときに39歳である)。

横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」を発表したのは、それから約10年後の1962年のことだ。

横組用書体って?-横組みの可読性を高める

さて、横組用書体であるが。

日本語はもともと縦書きである。西洋の文物に影響をうけた横書きが本格的に広がるのは明治に入ってからだ。主に西洋の影響を受けた語学、数学、科学、簿記など、欧文やアラビア数字、記号などと和文が混在する文章は(左)横書きが増えていった。文学や読み物に関しては相変わらず縦組みが用いられ、現代においても縦組み横組みはその役割に応じて併用されている。

江戸の御家流から、1字ごとに分けて書く楷書が主流になったことは、文字を組む方向に関しては自由度が増した。縦組みでも横組みでも文章の把握には影響が少ないのである。それは活字が正方形の基準としているためだ。活字化され字ごとの横幅・縦幅の違いが(東アジア以外の諸外国に比べ)より小さくなったからである。美的に問題があるかも知れないがシステム的には可能なのだ。ラテン文字を正体のまま縦に積むことを想像してもらうと、単語を把握するのが困難であろう。

新しい時代の和欧混植・和文横組みのありかたを模索している時期であった。

開発のきっかけ

1960年(昭和35年)、佐藤氏は活字製造業者・津田三省堂からの依頼で、長体明朝用・かなをデザインしている。この活字の制作過程で発見した欠点を解消し、より横組みに適した書体として「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」は設計された。

その欠点については詳しく書かれていない。現在調査中である。

しかし、その名前「昭和」から、時代を代表する書体を目指す佐藤氏の意気込みが伝わってくる。

仕様

前述の通り、サンプルは少ないのだが、細かく数値であらわされた仕様が残されている。漢字にかかわる部分だけ転載する。

・サイズ:5号(10.5pt)
・字高:3.03mm
・水平比率:111%
・斜体:傾斜84°
・線の太さ:縦画3.5〜4.1:横画1
・備考:
 →文字の天地にラインを出す。英文システムに近づける。
 →一部漢字の線画を省略する。字のイメージを保つ限界まで単化。

実際に「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」を書いてみる

まずは、大きなサイズの見本がある「量・中・導・融」の4字をまず書いてみよう。上記仕様をもとにグリッドを用意して、線の書き方を基本ルールの用意する。

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〈備考〉
→傾斜角度は視覚調整されているためか、字によって若干の違いがある。ここでは調整分を無視して84°に統一することとする。
→字の構造に主眼を置いているため、細部の再現はめざさないこととする。
→量・中・導・融の4字以外は、小さなサンプル字からの再現のため、細部は筆者による意訳が含まれている。字の歪みは筆者の再現技術の限界とご了承願いたい。

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書いてみた。特徴を細かく見てみよう。

〈特徴①エレメント〉最低限の引用

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明朝体と謳っているが、各エレメントは直線的で、明朝体がわずかにもっている毛筆感は失われている。あくまで明朝体の印象を最低限引用し、視点のアクセントとして用いられているにとどまる。内側のパーツにいたっては、それすらも省略されているものもある。源ノ明朝で説明すると下記のようになっている。

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★ここまでのまとめ
- エレメントは通常の明朝体よりも直線的になっている。
- 明朝体の特徴である、起筆の打ち込みとウロコは最小限。かどウロコはわずかに残る。
- 「げた」はその下に要素があるときは取り去られる。
- 「はね」は平行に伸びる

〈特徴②構造〉黒味を希薄化する

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字体には省略が加えられている。「量」は横画の削減、線分のシェアにより簡略化。「導」は「首」の横画が1本削減。「融」は「ハ」が削減されている。字のイメージは崩さず、あくまで必要がある字のみ密度が高いところをさりげなく削減している。文章でみたときには気づかないかもしれない。削減の判断基準は明確には記されていないのだが、あとで検証することにする。

★ここまでのまとめ
- 横画の共有による削減。
- 印象に影響したい横画の省略。
- 内部にある要素の削減。

〈特徴③視線の誘導〉強力な横のラインをつくる

従来の漢字は横線の位置が複雑な分布をしているんですが、今回の漢字ではいちばん上のラインは三本にまとめました。平かな、片かな方は比較的統一しやすい。上のラインを二本にしました。それらの漢字とかなのラインをなるべく近づけるようにしました。かなの下端はバケモノのように不安定です。それをなるべく安定させるため、水平になびかしてそこにラインを出そうと試みております。(『印刷界106』P.25)

特徴的なのは「す」だ。下に伸びる「はらい」を大胆に止めてしまっている。

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★ここまでのまとめ
- 線の高さを一定に揃える。
- 下部のラインを揃えるために、下に飛び出る要素をアレンジ

残りの漢字を臨書して特徴をまとめていく

この書体の特徴はすべてラインを作ることに帰結していく。まとめると。

・減らして線をつくる①ー〈線画のシェア〉
・減らして線をつくる②ー〈点の省略〉
・減らして線をつくる③ ー〈横画の削減〉
・塊で線をつくる①ー〈上部への圧縮〉
・塊で線をつくる②ー〈重心を高く〉
・つなげて線をつくるー〈横画を接続する〉

減らして線をつくる①ー〈線画のシェア〉

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まずは横画を減らすことで、ラインを揃えやすくする。ビットマップフォント化でも紹介した並行する線を1本にシェアする方法が取り入れられている。本文用活字(5号/10.5pt)を想定しているので線を減らしてもほとんど気にならない。

減らして線をつくる②ー〈点の省略〉

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込み入った部分や上部にある点画を削減する。もちろん取り除いても字の識別に問題がない部分のみ。

減らして線をつくる③ ー〈横画の削減〉

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挟まれていたり、囲われた内部にある細かな要素を削減する。

塊で線をつくる①ー〈上部への圧縮〉

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上部の要素を圧縮することで、凹凸を減らし安定したラインをつくる。圧縮することで横線の高さを揃えやすくできる。

塊で線をつくる②ー〈重心を高く〉

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どれも重心が高い。平体で安定感がありつつ、斜体と重心の高さによる横方向への軽快な流れをもっている。横線の位置が自由になり線を揃えやすくする。

つなげて線をつくるー〈横画を接続する〉

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横方向の線を意識させることで、目線誘導をスムーズにする。偏・旁の間でも高さを揃え、可能であれば接続して1本の線とする。

並べてみて確認

確かに横のライン揃っており、目線を邪魔する要素が少なく感じるだろう。

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当然ながら縦組みだと不揃いが目立つ。しかし、独特のリズムをもっている。

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横画の省略度合いを仮定する

これくらいの大きさなら略字など、あまりヘンに思われず読んでしまう。われわれが読むとき字の大ざっぱな姿で判断するので細部までは見ていないのである。(『日本字デザイン改訂版』P.200より)

さて、字体の省略についてである。どういった字をどのように省略するかの記述はない。こういうときはドットに当てはめてみるのがよい。

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サンプルにはあまり複雑な字は使用されていないが、上限はおおむね7〜8本程度と考えられる。

以上の仕様から文字を増やしてみる

書体として見るのであれば再現性が必要である。仕様をもとに、サンプルにない字を作れるかを試したい。

課題「造・字・沼」を書く
「しんにょう」は「速」を参考にする。「さんずいは」ないが「次」から想像する。下記のようななるのではないだろうか(ディテール再現が雑な部分は大目にみていただきたい)。単純な構造なので省略は行わない。

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課題「曇」を書く
省略する必要がある字も(想像して)書いてみよう。さきほどのドットの検証によると、7〜8本におさめるのが理想と仮定して、横画が10本ある「曇」を試作する。

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ほかの字と並べてみる。

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曇りはもう少し横幅をとった方が良かったかもしれない。(おおむね良さそうである)

残る疑問点

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いくつかの疑問の残った。サンプルが小さいので判別が難しい。メモっておく。
・終筆の処理が下向きのときがある。
・「八」などが結合されている場合がある。
・「はね」の有無はどのような基準があるのか。 など。
引き続き情報を求めたい。

むすびにかえて

佐藤氏の「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」は、徹底的にラインをつくることを目指している。文章の天地を通るライン、字の横画がつながるライン、平体で上下に圧縮されることで字が固まりとなってうまれるライン。すべての線が読みやすさの追求につながってゆく。

佐藤氏はそのラインを明らかにするために、漢字の簡略化にまで踏み込んでいる。

人びとは活字を〈読む〉が、〈見て〉はいない。人びとは活字の顔をおぼえていない。区別できない。
(活字はひとのように『學鐙 62(3)』P36より)

私たちは親しい友人の顔を見分けるときに、目鼻のそれぞれのパーツを吟味して判断しているのではない。全体像をとらえ、記憶と照合して無意識のうちに判断するだろう。書体も似たようなものではないだろうか。親しければ親しいほど、慣れれば慣れるほど、細かくは見ない。書くための字と、読むための字は必ずしも一致しなくてもよいのかもしれない。

「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」は第12回 日宣美に出展後、アップデートされた話はない。

編集後記

1つの書体が、1人設計者だけで完成するのは難しい。書体デザインで重視されるべき思うことは再現できることだ。それは書体が新しい時代にあわせて常に改刻され続けるべきであると考えるからだ。原字があれば表層的な改刻は可能であるが、それだけでは難しいことも多い。

優れた書体とはサグラダ・ファミリアの建設のようなものだ。設計の意図を次の人が引き継ぎ、ポテンシャルを伸ばしてゆくことで、ゆっくりと完成へと近づいてゆくものではないだろうか。そういった意味で佐藤氏のように多くの記録を残すことは、時間をこえて直接教えを乞えない世代に対しても種を残せるるだろう。もちろん「改刻したい!」と思わせる魅力は必要である。

活字も、そのもとは、ヒトの書いたものであろう。書いて彫ったものであろう。そこにはどのような伝承があるのか。それをもっと完璧にするには、どうしたらよいのか。私の一生をそれにかけてもよいのではないか。
(活字はひとのように『學鐙 62(3)』P36より)

本記事で取り上げた書籍

佐藤氏の著書の情報量には圧倒される。書体デザインを志して、もし最初にこの本と出会ってしまったら、その時点で挫けてしまうのではないかと思えるほどだ。怖いもの見たさで、ぜひ手に取ってもらいたい。

book-日本字

『日本字デザイン 改訂第3版』
・著者:佐藤敬之輔
・発行:1963年
・出版:丸善

▲漢字・カタカナ・ひらがなについて、歴史から具体的な近年のデザインまで網羅。初版は1959年。後年出版される「文字のデザインシリーズ」の序章であり、まだ怖くない。安心して手に取っていただきたい。

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佐藤敬之輔記念誌
・著者:佐藤敬之輔記念誌編集委員会
・発行:1982年
・出版:佐藤敬之輔記念誌編集委員会

▲有志による追悼誌。詳細な年表があり、佐藤氏が書体研究に出会うまでの38年の彷徨を追体験できる。歴史を関係者のことばをあわせて読むことにより、人物像がより明確になる。どこまでもドラマチックである。噂の「イタコ」についての文章も収録。

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『日本のタイポグラフィ―活字・写植の技術と理論』
・著者:佐藤敬之輔
・発行:1972年
・出版:紀伊国屋書店

▲序文が好き。ちょっと長いが引用する。

この本はわかっているから書いた、というのではない。書きながら考え、探し、わかろうとした。知っていなけらばならない常識は知っておこう。なぜかという問いにも答えられるようになっていよう。そして迷いに迷って書き上げたとき、何がわかったか。ーーー言葉にはならぬ何かモヤモヤしたものが残った。これが報酬だ。そのモヤモヤは私の胸を突き上げ、自分で自分のタイポグラフィを死ぬまでに作ってみろと迫る。そうしたら少しずつそのモヤモヤが解けてくるだろう。
(『日本のタイポグラフィ』P.3序文より)

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『文字のデザイン 第3巻 (ひらがな 下)』
・著者:佐藤敬之輔
・発行:1965年
・出版:丸善

▲「ひらがな」に特化した(怖い)本、上下巻で282ページの大著。かなの歴史から、自身が手がけた書体の解説、他の書体デザイナーの作品などで構成。丸ゴシックの「かな」がとてもかわいい。

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『文字のデザイン 第5巻 (漢字 上)』
・著者:佐藤敬之輔
・発行:1973年
・出版:丸善

▲「漢字」に特化した(怖い)本。漢字に対する自信が崩れ落ちる。それは恐怖でしかない。

いずれの著書も絶版。中古価格は高騰しており、ぜひ再販を願いたい。

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参考図書

『鈴木勉の本』
・著者:「鈴木本」製作委員会編
・発行:1999年
・出版:字游工房

▲写研で「スーボ」「スーシャ」「ゴーシャ」など数多くの名書体をうみだし、字游工房の初代社長、鈴木勉氏の追悼書籍。本文中にある「スーシャ」の説明は抜粋版がここで読める。鈴木勉氏が学んだレタリングの講師が、元・佐藤タイポグラフィ研究所の出身であるというのを見てさらに胸が熱くなった。本自体は絶版?のようなので再販を願うばかりである。

『アイデア臨時号・第12回 日宣美展特集』
・発行:1962年
・出版:誠文堂新光社

▲「横組用平斜体 明朝体〈昭和〉」が出展された、第12回日宣美展の特集号。入賞、入選作品が見られる。同書体のプレゼン資料も掲載されているのだが、小さすぎて読めない。コンセプトとか説明とかあるんだろうなと思いつつ、読めないのでモヤモヤが溜まるいっぽうである。誰か残していないだろうか(情報求む)。

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ここまで、お読みいただき誠にありがとうございました。
次回もよろしければご覧ください。

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