ゲーセンに行く人は社会不適合者なのか?

【初めに】

はじめまして。ギタドラプレイヤーの「ぞえ」と申します。
ギタドラ歴20年、ギタドラ好きが高じて「ギタドラの楽曲をリアル楽器で演奏しよう!」というセッションイベント「四国GDS(ギタドラセッション)」を主催してしまうほどのギタドラ大好き人間です。
知っている人も知らない人も、ぜひよろしくお願いいたします。

【この記事について】

さて、この一見すると過激な記事のタイトルですが、このタイトルにしたのには理由があります。

それは、先日私がツイートした「ゲームセンターやプレイヤー」についてのツイートが、タイトルのような意味だと誤解されてしまったように感じたので、誤解を解くために今回の件について改めて説明したく思い、そのためにこの記事を見てほしかったからです。

【発端となったツイート】

早速ですが、先日以下のようなツイートをしました。

発端となったツイート

このツイートに対して共感をいただけたであろう方からのいいねがつく中で、逆にまったく想定していなかった「そんな側面はない。プレイヤーをひとくくりにしないでほしい」「そもそもそんな人間はいない」「普通に生きている人もたくさんいる、この意見はあまりに失礼だ」という意見がありました。

【最大の誤解】

おそらく批判的な意見の方は「ゲーセンに行く人は全員社会不適合者だ!」と読み取ってしまったのではないか、と思います。

これはまったくの誤解で、私の中ではゲームセンターにいるプレイヤーをひとくくりにするつもりや、全員がそうだといった考えはまったくありません。

「たくさんの人がいる中には一部そういう人が存在する。そしてそのさらに一部が、実力による上下関係付けをしてしまう。これはよくないことだと思う」という考えを140文字という縛りの中で自分なりに伝わるように書いたつもりだったのですが、もしかして意図したとおりに伝わっていないのでは?と感じたと同時に、別の方から「140文字でこの内容を伝えるのは難しいのではないか?」「伝えるためには言葉のチョイスがよくなかったように思う」という指摘を受けたので、こういった形で改めて説明させていただきたく思いました。

【どう誤解釈されたのか?】

書いた時には(自分はその意図を理解しているので)違和感はなかったのですが、そうして改めて見返してみると、確かにいろんな意味で解釈できる言葉を使っているために、解釈の仕方によっては「全員がそうだ」という強い決めつけにも読めることに気が付きました。

では、どう誤解釈されたのか?想定されるのはこうです。
(あくまで誤解釈です。こういうことが言いたいわけでは決してないということはご理解ください。)

「ゲーセンって、社会から評価されなかったり社会的スキルが低くて世の中に居場所を感じられない人たちの拠り所って側面もある気がする」
「ゲームセンターにいる人たちは全員、社会から評価されていない、社会的スキルの低い人間であり、ゲームセンターは社会に居場所がないという側面を持つ人たちの集まる場所だ」

「そういう人たちがするのが「互いの傷がわかる者同士の優しいコミュニティ作り」じゃなくて「実力による序列付け」なの「答え」って気がする」
「そんな社会不適合者たちが集まって「楽しく遊ぶ」のではなく「実力によって上下関係を決める」ことばかりしている。せめて社会不適合者同士仲良く遊べよ。だからお前らは社会不適合者なんだって。答え出てんな。」

解釈の仕方次第では、こう読める。
は?何こいつ?めちゃくちゃ失礼だな。最低だわ。


いやいや!この「ギタドラ大好き20年!好きすぎてギタドラのイベントをやっちゃう!」ような人間がそんなこと書くわけないでしょ!
全員がそうだって思ってたらプレイヤーと関わりたいとも思わないし、「ギタドラはコミュニケーションのゲームだ!」なんて言ってセッションを楽しむこともしません。まして「プレイヤーを集めてイベントをしよう!」なんて思うわけがありません。

プレイヤーは健全な人が多いと思っているし、一緒に遊んでいて楽しいし、イベントをする際にはたくさんのプレイヤーで集まって「ギタドラ大好き!」を叫びたい!そんなふうに思っています。

では上記のツイートはどう解釈してほしかったか。これを受けてどう書くべきだったか。140文字という縛りがなければどう書いていたか。それを以下に書いていきたいと思います。

【どう解釈してほしかったか】

まず前半の「ゲーセンって、社会から評価されなかったり社会的スキルが低くて世の中に居場所を感じられない人たちの拠り所って側面もある気がする」について。

これは全員がそうだと言っているわけではありません。

ゲームセンターには様々な側面があると思います。

・老人がメダルゲームをする側面
・家族連れがUFOキャッチャーに興じる側面
・キッズエリアなどで子供が楽しく遊ぶ側面
・私たちゲーマーが時には競い、ガチったりしながら、楽しく遊ぶ、交流する側面

そして今回言いたかった、
・社会に居心地の悪さを感じている人たちが、ゲームを通じて人と通じ合ったり、交流したりする側面
があると考えます。(もちろんもっと多くの側面があるでしょう。)

ゲームセンターに多様な側面が存在する中で、そういった人たちの受け皿という側面もある、ということです。

(「側面」という言葉の意味がふんわりしすぎて、ここが解釈しにくかったかなと反省。)

もちろんすべてのゲームセンターがそういう側面があるとは言わないし、そんな人がいないゲームセンターもあるとは思います。(だから「自分の身の回りにそんな人間はいなかった」という意見も正解だと思います。)

以上を踏まえて要約すると「ゲームセンターに来る人の中には、社会に居心地の悪さを感じている人もいるのではないか」ということです。


そして後半の「そういう人たちがするのが「互いの傷がわかる者同士の優しいコミュニティ作り」じゃなくて「実力による序列付け」なの「答え」って気がする」について。

これも全員がそうだと言っているわけではありません。

「そういう人たち」=「社会に居心地の悪さを感じている人たち」の中には、普段の社会ではうまく立ち回れなくても、ゲームセンターであればゲームを通じて他のプレイヤーと関われ、居心地の良い、楽しい時間を過ごせる人もいる。そんな人たちにとってゲームセンターは救いの場になっていると思う。

私が問題だと感じているのはここからです。

ただ、中には一部「自分はゲームが上手い」ということがアイデンティティになってしまう人がいる。
それだけならまだいいけれど、さらにその中にはそれによってゲームセンターという世界の中で「自分は敬われるべきだ」「自分は優遇されるべきだ」という感覚を持ってしまい、周囲の人に対して高圧的な態度を取ってしまう人がいる。

誰かと実力を競い合うことを楽しんだり、それが話のタネになって関係が発展していく「人とのハブ」として機能していたはずのゲームが、「人にマウントを取るための道具」になってしまう人がいると思う。
上手くなる目的が「自身の限界に挑戦したい」「誰かと競い合うことを楽しみたい」ではなく、「他人に対して優越感を感じていたい」になってしまう人がいると思う。

そういう人は周囲の空気を悪くするし、ひどい場合には「あの人がいるならあのゲームセンターにはいきたくない」と、他の人のゲームをする機会を奪うことにつながることもありえる。

言葉を選ばずに言えば「結局そういう人間だから、普段の社会で居心地の悪さを感じているのではないですか?」ということです。

【結論】

何度でも言いますが、発端となったツイートは「ゲームセンターにいる人全員」や「音ゲーマー全員」について言及しているわけではありません。

ゲームセンターにいる人の中の一部の「社会に居心地の悪さを感じている人」の中のさらに一部の「ゲームの実力がアイデンティティになってしまった人」の中のさらに一部の「ゲームの実力をもって人にマウントを取ってくる人」という、本当にごくごく一部の人について思ったことを書いた、ということです。
(「社会への居心地関係なくゲームの実力によってマウントを取ってくる人」もいるかもしれませんが、それも同じです。結局ゲームの実力をもって高圧的になる時点で、何らかの不健全なものを抱えているのでは?と感じます。)

そしてそういう人の存在によって場や界隈の空気が悪くなる、プレイヤーが減る(新規が増えない)といった問題が起こり、ひいてはゲームの発展を妨げてしまうのではないか?という懸念を私は感じています。

念のため言っておきますが、決して「誰かより上手くなりたいと思うこと、競い合うこと、単純に実力にこだわること」を否定しているわけではありません。

あくまで「実力が高いことによって他者に対して問題行動を起こすこと」を問題視しています、ということです。

あのツイートは簡単に言うと「私はそういった不健全な楽しみ方をする人は苦手です。せっかくゲームセンターというみんなで楽しく遊べる場所があるのだから、そういうのやめたほうがいいと思うよ」という意思表明です。

【終わりに】

最後になりますが、私はギタドラを「コミュニケーションのゲーム」だと考えています。自分一人で実力を高めるのももちろん楽しいですが、その先にある「セッション」という「誰かと一緒になって音楽を作る、一人ではできない遊び方」こそがギタドラにおける最大の魅力だと思っています。

ギタドラをきっかけにたくさんの人間関係が生まれて、それが私の人生を作っていると言っても過言ではありません。

そんな風に、ゲームセンターにおけるゲームが、そこから生まれる交流が、プレイヤーの皆さんにとって大切なものであったら、と願っています。

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