犬杉山町の人々〜らいとさいど〜
「ラムネキッスグッバイ」
今回の登場人物と本編に関係ない関係者
・常磐常葉……♀。犬杉山中教員。保健室の魔女。二つ名は「ウィルオ・ウィスプ(愚かなる焔)」
・通津筒続……♂。主人公ぽい。名前が嫌いで名乗ることも呼ばせることもしない。普通の人。
・八田八太……♂。犬杉山中教員。今回は手足千切れない。
・正樹雅樹……♂。連続殺人鬼。二つ名は「バイバイ・ディ・バイ・ディ(さよならはいい旅立ちの日)」。
・紀野紀乃……♀。連続殺人鬼。
「コールド・コール・ワンコール(冷たく、もう一度鳴らす)」。
正午前、四時限目の授業が始まる前。担任の八田先生の覇気のない授業に出るつもりなどなく。
俺がラムネ瓶を手に保健室に入ると、保健師の常葉さんが机につっぷし寝ていた。
いつもの平常運転なので驚くこともない、むしろあまりに臆すことなく堂々と寝てるので起こすことさえ躊躇う。なんせ、この方、常盤常葉(ときわときは)寝起き最悪の我が中学校の無敵保健師である。背は低いし、童顔に三つ編み、眼鏡のせいで子供が寝ているように見えるが、二十XX歳、年齢は禁句、態度はキング、傲岸不遜、眠れる獅子。眠ったままにしとくが吉だが、さてさてどうしたもんかね。
そんなことを考えていると開けっ放しの窓から秋風がそよぎ、カーテンレースがユラユラと揺蕩う。
「う…んん」
心地いい風を受け気持ち良さそうに寝息をかいている常葉さんがごにょごにょ言った。なんの夢を見てるやらと笑い俺は机の上のそれにそっと触れた。
指先の常葉さんが男性と二人で写ったフォトスタンド……この男性、聞いた話では常葉さんの婚約者らしい。
婚約者と言っても距離が離れている上に、随分と連絡も全くなくふられたも当然なのだとか。
それでも写真を飾るのは……未練、だろうか。机はいつもぐちゃぐちゃなのにこれだけは定位置にいるのだ。
指先を離し、ふと、そう言えばいつも常葉さんの私物で散らかってる保健室が今日は珍しく片付けられていることに気づいた。珍しいなと思いつつも。
俺は人差し指でチョンチョンと肩を叩く。そろそろ、ね?
「常葉さん?」
何度目かのコールで眠たそうに眼をこすり常葉さんが起き上がる。
「おはようございます」
俺はそう言うとラムネを差し出した。
「眠気覚ましです。飲みます?」
「うむ」
常葉さんは受け取ると、細い指で栓を開けラムネを飲みだす。
「半分飲むかね?」
「いや、俺、炭酸飲めないんで」
「お子チャマだな、君は」
常葉さんはラムネを一口飲んでデスクに置き、俺の身体にギュッと抱きついた。
「ちょっ……常葉さん?」
「目覚めの充電なのだよ。ジッとしていたまえなさい」
寝ぼけてるのか日本語がおかしい。
常葉さんの体は柔らかくて、なんか、こう、ふにっとしてて……。
「ふーむ」
常葉さんが俺を抱きしめたまま呟いた。
「君、どこか悪いところはないかね?」
「いや、特に」
「ああ、頭であったな。子供の癖に大人ぶる病、通称、思春期背伸び病だ」
「おい、こら」
この人が俺を子供扱いするのはいつものことで、それは悔しいが仕方のないことだったりする。
「さて、次の授業は?」
フフッと常葉さんが笑う。
何を言わんとしてるか分かった。
八田先生の授業だぜ?
「あるけどさぼります。思春期背伸び病ですから」
「ではじっくり手当てしてあげよう」
常葉さんが俺の首筋にかぷりと噛み付く。
柔らかな舌先が俺の首筋を愛撫する。
「君は悪い生徒だね」
「貴方も悪い先生ですね」
「お、今日は随分生意気だな、坊や」
「ガキ扱いしないでください」
俺は多分、代わりだと思う。
随分前に、実は常葉さんに告白してふられている。
その理由は『似てるから』ということだった。
だから、恋人でもなくこういうこと続けるのは婚約者へのあてつけではないだろうかと思う。
それでもこうしてる間だけは俺と常葉さんは対等な存在だ。
多分、それは勝手な思い込みだろうけど。
俺たちはゆっくりと唇を重ねた。
その触れた唇が少しピリッとする。キスはラムネの味だった。
……。
…。
繋がってる時間なんてあっという間だった。
「なぁ…」
「はい?」
一枚のシーツに身を寄せ合い、ただぼんやりとしていると。少し冷たい秋風が吹いた。
「明日からはもうここに来なくていい」
ふいに常葉さんはラムネ瓶を眺めながらそう言った。
「え?」
「私は今日で、ここを辞めるから」
少しの間。
「そう、ですか」
それだけは言えた。
聞いていないと言いたかったが、そう言うのが精一杯だった。
「ちょっと前に婚約者の実家から電話があってな。一緒に暮らさないかと……」
「ふられたんじゃなかったんですか?」
「……死んでた」
常葉さんはフフといつものように笑う。今にも泣きそうな顔で。
「元々身よりもないし、向こうの家族と暮らすのもいいと思ってな」
少しの間をおいて言葉を絞り出して
「俺じゃダメですか」
……なんて言えなかった。
言えるはずがなかった。
分かってる、分かってるんだ。
なのに目頭の辺りが熱くなる。
言いたかった言葉も、気持ちも、この胸の痛みも……全て飲み込んだ。
「常葉さん、俺、今……」
言いたかった言葉の代わりに。
「ん?」
「少し、大人になりました」
と、だけ。
常葉さんはシーツに顔をうずめた俺の頭をなでてくれる。
痛みも、思いも、言葉も、飲み込んだのに。
なんでだろう。
なんでこんなに。
思春期背伸び病のせいだろうか、ただラムネの味が残る唇が切なかったのだった。