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寝床にクッションが入ってくるようになった

少し前。推し声優の壁掛けカレンダーをいい感じに飾りたいな〜と思い立ち、額縁を買いに行きました。

もともと画鋲やフックで壁に掛けられる仕様にはなってるんですが、丸めた状態で配送されてきた際のクセがついてしまっていて、そのままだとちょっと飾りにくかったんですよね。もともとポスター的な感覚で購入したものだし、汚れないようにフレームに収めて飾るのもいいかな、と思った次第です。

ということで近所のニトリへ。今の住居には色々と不満はありますが、徒歩圏内にニトリがあるのは良いところです。僕はマイカーを持っておらず、オフの日の買い物は基本的に徒歩なので。

目当ての物はすぐに見つかりました。今回はとりあえず純白の額縁を2つ購入。今月分のカレンダー用+表紙用です。

本当はカレンダーの全ページを壁一面に飾りたいところなのですが、僕の家では到底ムリです。素直にめくるタイミングで掛け替える方式で。いつか豪邸に引っ越して、長い廊下にでもズラっと並べたいものです。

ついでに日用雑貨なんかも見ておこう、と店内をぶらぶらしていくことに。よく耳にする「ニトリはただ見て回るだけで楽しい」という話、以前は全く共感できなかったんですが、独り暮らしを始めてからは意味がわかるようになりました。家の調度品を揃えるって、自宅を自分好みにカスタマイズしていく作業なんですよね。部屋に足りないものを補っていくというか。RPGの装備集めに似ている気がします。最初は間に合わせで最低限のものを並べているけど、徐々にステータスやレアリティの高いもの、特殊な効果のあるものと入れ替えていく。「この辺のパーツが揃えれば作業効率上がりそう」とか「これ、いま部屋に置いてる品の上位互換だな。そのうち買い換えるか」とか、色々と想像するだけで面白いものです。

そんなこんなで歩き回っていると、椅子やクッションのコーナーに出ました。ほほぅ腰に良さそうなのが揃ってるなー、でもクッションはサマチャンのグッズのやつ使ってるから今はいいかなー、むしろ椅子欲しいなー背骨に優しいやつ……なんて考えながら、買う気もないのに商品の棚を眺めていた時。

それを見つけました。

猫です。

クッションとはいっても、おそらく尻に敷くためではなく、むしろぬいぐるみに近い用途のもの。

陳列棚には “モチモチの手触りが癖になる!” といったような文言のポップが貼られていました。触れてみるとポリエステル製らしく、確かに押し返されるような弾力が。それでいて表面は柔らかくて、ポンと上に手を置くだけで一種の充足感のようなものを覚えます。こんなクッションがリビングのソファの端に置いてあったら、つい手に取ってしまうことだろうな……というところまで妄想しました。まあ僕の家にはソファもリビングも無いのですけれど。

僕は別に大の猫好きというわけではありません。まあ、実家では猫を飼っているし、好きか嫌いかでいえば割と好きな方なんですが、別に今の家で猫を飼ったり、猫のグッズを部屋に置いておきたいとは思いません。既に自室は推しのグッズで溢れてるし。ペット禁止のアパートだし。

あとそもそもクッション欲しいわけじゃないし。今日は女性声優のカレンダーを部屋に飾る目的で買い物に来たのです。こういう余計な買い物はいけない。

そういうわけなので僕は白猫のクッションを棚に戻し、調理器具の売り場へと足を向けました。落し蓋が欲しいんだよなぁ取手がつまみやすそうなタイプの......。

が、どうしたことか、5分と経たないうちに僕は再びクッションのコーナーの前に立っていました。

一体この猫の何に惹かれるのか、自分でもイマイチよくわかりません。売り場には他にも兎やらバナナやらマカロンやらのクッションもあるのに、妙に白猫に視線が吸い寄せられます。価格はと見ると1000円程です。安い。財布にも影響は与えないし、別に荷物にもならないし、心はもう迷うくらいなら買ってしまおうかという方に傾いているのですが、何かつまらない小さなプライドのようなものが妨げになっていました。こんな物を買って、僕はどうするつもりなんだ?

ところでニトリという場所は、やたらと小綺麗な格好の若者が多い印象を受けます。それも男女のカップルや夫婦ばかりで、ソロの男はあまりいないような。僕の住んでる地域だけですかね? 僕はマトモな私服を持っていない類の陰キャであるため容姿がすこぶるダサく、そのくせ劣等感の塊なので、お洒落な人間たちを長時間見ていると段々といたたまれなくなってきます。こんな格好で1人でこんな所にいて申し訳ないというか……。僕の姿はと言うと、ユニクロのジーンズにユニクロのシャツにユニクロのジャケット、それを自分でもちょっと変かなと思うほどテキトーな色の組み合わせで着て、髪も眉も生まれてこの方手入れしたことすらなく、何よりB2の額縁を2つも脇に抱えていて、そんな男が可愛らしい猫のクッションを手に取るでもなく凝視しているのです。不審です。公共の場に居て良い存在ではありません。早々に家に帰るべきです。ああ、鬱々してきた……。

いかんいかん。ここは楽しいニトリ。僕のような根暗にも広く門戸を開いているニトリ。ネガティブな感情を抱いてはいけません。我に返った僕は眼前のクッションを掴み、そのまま会計を済ませました。買い物は勢い。衝動買い、と言うには逡巡する時間が長すぎたような気もしますが、まあ些細な問題です。

レジ袋を買わなかったことに店を出てから気付きましたが、これも些細な問題です。オタクっぽい見た目の男が片手に大型の額縁、もう片方の手に猫のクッションを携えて日没後の道を1人歩いている様も、取るに足らない日常の光景です。職質されなくて良かった。なんだか、初めてToLOVEるの単行本を買って帰った13歳のあの頃のような気持ちです。

クッション買うだけでビクビクしてる僕の心情が理解できないと思いますが、別に僕は「男が猫のクッションなんて有り得ねえ!」みたいな時代遅れの意見を持っているつもりは無いのです。ただ「僕のようなダサダサ人間に可愛らしいアイテム、キツすぎる」と思ってしまうだけなのです。そして周りの人間たちも同様の評価を下すに違いない、と思ってしまうだけなのです。

さて。何はともあれ帰宅、早速カレンダーを額に収めてみました。うーん最高。フレームがあるだけで一気にオシャレ感マシマシですね。

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直に壁に貼るより存在感がありますし。

まあ職場でならともかく、自宅でカレンダー見ることってあまり無いんですけれど。かといって職業柄、仕事先に持っていくと汚す可能性大だし。結局、暦としての実用性はほぼ捨て、推しの美貌を眺める為だけに飾っています。観賞用です。これはこれで正しい使い方だとも思いますよ。

因みにこのカレンダー、2021年4月現在もFC公式サイトで販売中ですので、まだ入手できていないという方はすぐにポチりに行きましょうね。

…………。

はい、ではオタクらしい推し事の話はここまでにして、途中で割り込んできた猫の話に戻ります。

買って帰ってきたはいいものの、やはり僕の家には似つかわしくないなぁというのが第一印象でした。独り暮らしの男の家、それも仕事が忙しくて睡眠と食事と入浴以外の目的にはロクに使えていない家、友人や恋人が招かれることもない安アパートの一室に、この猫は合わない、というかぶっちゃけ要らないな……。買う前から気付いていたことを再確認し、とりあえずベッドに放り出しておくことにしました。僕の家の寝具は白。この猫も白。であれば、一緒に置いておいてもパッと見に違和感は生じないだろうという判断です。木を隠すなら、というやつで、実際クッションはシーツと同化して上手い具合に視認しにくくなりました。これでよし。いよいよ買ってきた意味が無くなってしまったような気がしますが、突発的な購買欲は満たされ、部屋の景観も損なわれず、万事丸く収まりました。めでたしめでたし。そういうことにしておきましょう。

その夜。
ベッドに猫を転がしたままでは邪魔すぎたので、猫は枕の横に置いて寝ることに。これはこれでかなり邪魔でした。頭の隣に物があると、ヒトって寝付けないものなんだな……。やはりこの猫は僕の家には過ぎたアイテムだった、いつか豪邸にでも引っ越して、特大のベッドで本物の猫を侍らせて眠りたいものだ……。そんな子供みたいなことを考えながら眠りに落ちていったのでした。

数時間後、僕は妙な圧迫感を覚えて目を覚ましました。
なんとなく胸が重いような……なにかモチモチと弾性のあるものが押し付けられているような……。
……モチモチ?
ぼんやりと目を開けてみると、僕の胸に載っていたのははたして件のクッションでした。載っていた、というのは正確な表現ではありません。より事実に即して言い換えるならば、クッションは僕に強く抱きしめられていた、とするべきでしょう。

僕は無意識の内にクッションを両腕で抱いたまま眠っていたのです。

僕は非常に困惑しました。
え?? 僕、寝ながらこいつを抱っこしてたの? なんで???

今まで僕は人や物を抱いて寝たことはありません。そういう習慣があったわけではないのです。
そうなると、僕にこんな行動をとらせたのは何か。普通に考えると、僕自身の心の奥深くに蓄積された孤独感やストレス、ということになるのでしょうが、この僕に限ってそれはありえません。確かに僕は最近この地方に出向してきたばかりで、近所には気軽に話せる恋人はおろか友人知人もいないし、仕事はいつまで経ってもできるようにならないし、とにかく時間外労働続きで趣味に没頭する余裕も少なく、生きる素晴らしさを見失いかけてはいますが……。とはいえ独り暮らしの気楽さもわかってきたところだし、何より推しが今日も活動してくれているというだけで生きる理由には十分なのです。そりゃまあ、猫でも飼えたら人生もっと色付くかもなあとか、考える瞬間が全くないわけでもないですが、しかしだからといって、動物を模したポリエステルの塊に縋るほど安寧に飢えてはいないのです。僕はまだ全然大丈夫なはず。したがって、僕の抱える精神的苦痛が真夜中にこんな行動をとらせたわけではないはずです。

僕の側に原因がないということは……。ここまで考えて僕は漸く真実に辿り着きました。まさか、僕が気付かぬ間に布団の中に猫のクッションがあったのは……いや、僕の寝床に猫が潜り込んできたのは…………この、猫のクッション自身の意思……!

そう考えれば全てに説明がつきます。あり得ない可能性━━僕が寂しくてついクッションを抱きしめてしまったという可能性━━を排除すれば、残るのは単純明快な事実だけです。額縁を買いに行ったはずの僕に勝手に付いてきたのも、この猫。家に着くなり人のベッドを占領したのもこの猫。枕元で僕の入眠を妨げていたのもこの猫。夜中に体の上に乗ってきて目を覚まさせたのも、この猫。全てはこの猫の仕業……。

なんとも奇怪な、しかし受け入れざるを得ない真相でした。こんなとき、人間は恐怖するのが自然なのでしょうが、不思議とこのときの僕は納得感で満たされていました。そうか……ということは、ストレスのあまり夜中に独りクッションの猫を抱きしめる無理すぎる独身根暗成人男性はいなかったんだね。よかったよかった。

僕は謎が解けたことに安心し、猫を枕元に戻して再び目を閉じました。
翌朝、猫はまたしても僕の腕に抱かれていましたが、もう驚くことはありませんでした。


その後も時々、朝起きると猫が布団に入ってきていることがあって、その度につい苦笑させられます。まったく。甘えん坊で困ったものです。

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