悪夢 2022/9/10
今朝の夢が妙に記憶に残っているので、忘れないうちに書き残しておきます。
薄明るい部屋で目が覚める。おそらく朝の4時半くらいだろう。アラームより1時間ほど早く起きてしまうのは毎朝のことだ。つまり、1時間後にはこのベッドから出なくてはならない。気が沈む。
正確な残り時間を把握しようと、枕元の時計に手を伸ばしかけ───今日は休日であったと思い出す。途端に気分が晴れる。そうだった。今日は出勤日ではないのだった。であれば、前々から決めていた通りに行動せねばなるまい。週末の予定その1:惰眠を貪る。時刻は見ないまま布団に潜り込み、再び意識を手放す。夢の世界へ。
2度目の起床。夢は見なかった。結構長く寝てしまったらしい。もう13時を過ぎているのではなかろうか。午前中を寝て過ごしてしまったわけだが、まあいい。こういうのも休日の楽しみ方の1つだ。どうせ明日も休みだし、やりたいことをやる時間はまだたっぷりある。週末の予定その2:カフェで食事をとってゆっくりする。持っていく本は選んである。週末の予定その3:映画館に行く。2日かけて6本の映画を観るつもりだ。今日は何を観ようかな。
伸びをして、ベッドから身を起こす。時間を確認しようとスマホを手に取った時、窓の外から『夕焼け小焼け』のメロディが聴こえてきた。毎日、夕方になると市の防災無線で流している曲だ。これを聴くと貴重なオフの日が終わりに近づいているのを実感していつも憂鬱に───夕方?
スマホの画面を開く。17:15の表示。
嘘だろ、と思った。2連休の半分を既に失った? 眠りすぎた疲労感で急激に身体が重くなる。昨夜の酒がまだ残っているような気さえしてくる。あらゆる物事への意欲が退いていく。
部屋が薄暗いことに漸く気付いて明かりをつけた。全く、なんてことだ。
切り替えていこう。自分に言い聞かせる。切り替えていこう。今日の予定は明日に回せばいい。いくつか飛ばして、週末の予定その6:食糧と日用品の買い出しに行く。これだ。まずは着替えよう。
クローゼットを開けたところで、洗濯物を風呂場に干しっぱなしであることを思い出した。もう乾いているだろう。回収しに行くことにする。
部屋のドアに手をかける。普段は開け放しているドアが閉まっていることには疑問を抱かない。ドアに飾ってあったはずのタペストリーが無いことにも気付かない。ドアを押し開けて廊下に踏み出す。このドアは内開きであったはずだが、何の違和感も覚えず、後ろ手にドアを閉める。
廊下に出るとすぐに玄関がある。玄関にはカウチと大型のテレビが設えられていた。こんな物が家の玄関にあるわけがない。カウチには僕の職場の上司と、取引先の上役が腰掛け、真剣な眼差しでテレビの画面を睨んでいる。2人ともここにいるはずのない人たちだ。しかし僕は当然の光景と受け流し、挨拶もせず真っ直ぐに浴室へ向かう。取引先の上役が僕を一瞥したが、やはり一言も発することなくテレビに目を戻す。
浴室の扉を開けると、またしても知人がいた。取引先の若者だ。風呂掃除をしていたらしく、浴室中が泡まみれになっていた。彼は僕に気づくと、
「任せてよ。ばっちり綺麗にしとくからさ」
そう言って作業に戻った。シャワーで泡を洗い流している。そうだった。彼は彼自身のために、僕の家の風呂を掃除する必要があるのだった。「ああ、頼むよ」僕は彼に声をかけて、浴室内に干したままのシャツに触れる。ずぶ濡れだ。もう少し干しておくことにする。
振り返ると、寝室のドアがあったはずの場所には、大理石でできた大浴槽があった。安アパートの廊下には不釣り合いな設備だが、何も不思議には感じない。ユニットバス同様、これも清掃中であるらしく、蛇口から赤く濁った水が泡まみれの浴槽に流れ出していた。随分大掛かりな風呂掃除だ。大変だな。僕は彼の苦労を思った。大浴場には全面ガラス張りの大窓があり、屋外の景色が一望できた。抜けるような青空。さっき日が沈んでいたことはもう思い出さない。
いつの間にか僕の傍らには職場の上司が立っていて、先に立って歩き出した。黙って付き従う。
トイレがあったはずの場所は体育館になっていた。体育館の出入口の鉄扉にはドリルで空けたらしき真新しい穴があり、そこに錆だらけの白い鉄筋が外側から突っ込んであった。他の扉にも同様の加工が施されていた。何の目的でこんなことをしているのか、僕が近付いてよく見てみようとすると、
「お前それ絶対触んなよ。それ1本付けんのにどんだけ時間かかったと思ってる」
上司が釘を刺して言ったので、僕は鉄扉から離れた。正直、さして興味もない。
大浴場からの景色に改めて目を向ける。どこか見覚えがあると思ったら、実家のリビングの窓から見える景色と同じなのだ。
食糧と日用品の買い出しを終え、僕は帰路に着いていた。急に場面転換していることに驚きはない。この道が自宅の近所ではないことにも気付かない。
「なんだか騒ぎになってるね」
「この辺りに動物の死体があったらしいよ」
「毛皮だけ残されて血塗れだって」
「皆、処理に追われてるみたい」
一緒に歩いていた誰かがそう教えてくれた。僕はふぅん、と思ったきりで、横にいた誰かのことはそのまま忘れた。以後、この何者かはもう登場しない。
赤信号で立ち止まる。横断歩道の向こうに知った顔があった。小学生時代に同級生だった女性だ。3人の児童を連れている。今歩いている道が、小学校から実家への帰り道であることに漸く思い当たった。この辺りに食糧や日用品を買える店は無いのだが、そのことまでは頭が回らない。左手に提げていた買い物袋もいつの間にか持っていない。
信号が変わる。横断歩道を渡ると、彼女も僕に気が付いたようだった。僕を指さして子どもたちに言う。「あの人にも手伝ってもらいましょうか」
軽く頭を下げるなりなんなりして通り過ぎるつもりだったが、何やらそういう訳にはいかなくなったようだ。気まずい。そう、ある気まずい理由があって、僕は彼女を避けていた。顔を合わせるのは数年ぶりだ。しかし彼女の方はといえば、ごく自然に僕に笑顔を向けると、
……さん、こんにちは。
苗字にさん付けで挨拶をしてきた。彼女からこんな他人行儀な呼ばれ方をしたのは初めてで、そのことがとんでもなくショックだった。
彼女の名を呼んでいいかわからなかった。こんにちは、とだけ返す。
「手が足りないの。私の代わりに放送をやって」
彼女は前置きもなしにそう言うと、せかせかと歩き出した。慌てて後を追う。
「機材の操作はわかるよね? 前に習ってるから」
そんなものを習った記憶はないし、そもそも何の放送かもわからない。
「いや、習ってないけど……」
「あの時はキミもいたよ。覚えてないの?」
足は止めないまま振り返って、呆れたように僕を睨む彼女。
「い、いや、だとしてもそれ、小学生の時の話だろ?」
弁解せずにはいられず、思わずそう口にしたが、彼女は落胆と軽蔑を込めた目を向けてきただけだった。死にたくなる。
ずんずん進んでいく彼女に僕は着いていくことしかできない。彼女は自分の役割を完璧に理解し、緊急時にもすべきことを即決して実行に移しているようだ。僕はこういう人間にはなれない。そういえばあの児童たちは一緒に来ていない。
半ば無意識に歩き続け、気付かぬうちに屋内にいた。何かの施設のようだ。病院だろうか。幾つかの角を曲がり、地下への階段を降りる。
右手に部屋があった。大きなガラス窓から室内が見える。窓以外の部分は壁も天井も吸音材が貼り付けられている。部屋の中央には放送機器。
「この部屋で放送してくれればいいから」
彼女が部屋を指さして僕に言う。
僕は曖昧な頷きを返す。何をどうすればいいのかは相変わらずさっぱりわからないが、どうやら出来て当然のことを頼まれているらしい。こういう時、正直に「わからない」と言えないのが僕だ。いや、一度か二度は恥を忍んで説明を求めるのだが、その説明が全然理解できず、何となくわかったようなフリをして、結果いい加減なことをして失敗する。僕はそういう類の屑だ。今回もそうだった。
そのまま彼女に着いていくと、急に雰囲気の異なる場所に出た。照明が暗い。誰も彼もが白衣を着ている。床はステンレス。壁は打ちっぱなしのコンクリート。
彼女は入口に並べられた器具で手を消毒していた。僕もそれに倣う。
部屋の隅に敷物みたいに動物の毛皮が広げられていた。タヌキに似ているが、少し違う小さな獣の毛皮。毛皮も近くの床も黒い液体に浸かっている。赤くはないがそれが血液だとわかった。防護服に身を包んだ連中が毛皮の周りに集まり、背負った何らかの機械から伸びるホースを毛皮に向け、薬剤らしきものを吹き付けている。
彼女はといえば少し目を離した隙に姿を消していた。僕は先程の“放送室”に足を踏み入れる。ほかにどうすればいいのかわからなかった。
入って室内を見渡すと、白衣を着た金髪の女性と目が合った。女性は作業の手を止めるとつかつかと僕に歩み寄り、芝居がかった仕草で僕を上から下まで眺めてから言う。
「あのさ。ここ、どういう人間なら入っていい場所かわかる?」
無知ゆえに他者の仕事を増やす奴を見る目。入室を咎められているのはわかった。
しかし僕はこの部屋で放送をしなくてはならない。
そう金髪の女性に伝えたいが、どう説明すればいいのかわからない。言葉が出てこない。オロオロするだけの僕に、金髪の女性は露骨に苛立ちを募らせる。
金髪の女性が何か言いかけた時、後ろから誰かが僕の肩をつついた。
振り向くと、知らない少女がしかめっ面で立っていた。
少女は金髪の女性にちらりと目をやってから僕に向き直ると、
「そいつは無視していいから。とっとと放送を始めてよ」
そう告げた。
「はあ?」と金髪の女性。
不機嫌な2人の女性に挟まれながらも、僕は自分のすべきことがわからない。
僕をここに連れてきた彼女の姿を探す。見当たらない
金髪の女性はいよいよ怒りを爆発させそうな表情で僕の腕を掴み、
「いい加減にして!」
夢はそこで終わりました。
起床時刻は9時38分でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?