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書の真髄を悟った日の話

確か中学生の頃の話。高校生だったかもしれない。

僕が通っていた学校には寮が備わっていて、僕もそこに入っていた。
あまり詳しく書きすぎると母校を特定されてしまいそうなので(されても別に困ることはないが)、結構ユニークな環境だったとだけ記しておく。良くも悪くも特殊なスクールライフを送ったと思う。

その寮の制度のひとつに“寮生日誌”というものがあった。読んで字の如く、寮に住まう生徒たちが綴る日誌である。これも詳細は伏せるが、というか正式にどう呼ばれていたのかよく覚えていないのだが、当時は寮にも学校で言うところの日直のような制度があり、その日の担当者には朝礼やら掃除やらの雑務が課されていた。その日直みたいな役目を割り当てられた生徒(以下、とりあえず“日直”と呼称する)の業務の内に、この“寮生日誌”を書いて提出するというものがあったのだ。

日誌に書かねばならないこと、というのは特に決められていなかった。日直が寮生活の中で考えていることであったり、その日に学校や寮であった行事についてであったり。当人以外は誰も興味を持っていないようなごくごく個人的な趣味について書き綴っていた者もいた。僕自身も、部活でどんなメニューをこなしたかだとか、授業で先生がどんな雑談をしたかだとか、読みたい本があるのにお金が足りなくて買えないだとか、実に益体もないことばかり書いていた覚えがある。今思えば結構ふざけたことを書いたこともあったが、内容について怒られたことはない。一応、日誌の趣旨に沿ったものではあったのだろう。


ところで当時の僕は、手書きで美しい文字を書くことに凝っていた。僕には幼い頃から長所らしい長所は無かったが、字が綺麗だと褒められたことは何度かあった。こんなことでも思春期の少年にとっては重要なアイデンティティになりうる。次第に僕は、自身でも己の書く文字が好きになっていき、字の上手さを密かに誇るようになっていた。他者に字を褒められた時には、つとめてさり気なく「別に、字なんて読めりゃあ何だっていいんだよ」などと嘯き(嗚呼、男子中学生!)、そのくせ心中では「当然だ。美しくなければ字ではない」などと驕ったことを考えていた。

もっと綺麗な字を書けるようになりたい。そう願いながらも、しかし大っぴらに硬筆を習ったりするのは気恥ずかしく、独りコソコソと“理想の字”を求めて漢字練習などしていたのだった。


理想の字。はじめ、僕にとってそれは“明朝体”であった。

中1の夏、僕はある少女に恋をした。初恋だった。彼女と会話を交わしたことはついぞ無い。当時の彼女は他県の高校に通う1年生であり、僕の存在など認識もしていなかった。いかなる方法でも越えられない、断絶された世界の向こうに彼女はいた。彼女はその可憐さゆえに有名だったので、僕は一方的に彼女のことを知ることができ、一方的に彼女から影響を受けつづけた。読む本、聴く曲、食べる物、日々の言葉遣いや振る舞い、歩き方、座り方、実家での飼い猫との接し方に至るまで、時に彼女の有り様を真似、或いは敢えて真逆のやり方を試みた。「彼女ならこんな僕の言動をどう思うだろうか? はたして快く思うだろうか?」それが僕の一挙手一投足の指針となった。

手書き文字の美しさを追求するようになったのも、彼女の書く文字の美しさを知った所為だったかもしれない。

手書きで「まるでワープロで印字したみたいに綺麗な」明朝体の文字を書くという技能が彼女にはあった。似たようなことができる者は世の中に結構いるらしいのだが、当時の僕の周りにはそんな人間はおらず、そんなことが自分にできるとも思わなかった。思わなかったが、少しでも彼女に近づく努力はしてみることにした。

それから暫くの間、僕の書き文字の手本は明朝体だった。自分の書いた文字に気に入らない点を見つけるたび、自分の書く文字と、明朝体の活字とを見比べ、異なる点を見つけて修正する。それを納得がいくまで繰り返す。

そのうちに、明朝体もまた“理想の字”ではないことが漠然とわかってきた。ほぼ完璧な明朝体の字が書けても、それがまだ“理想の字”に届いていないことに気付いたのだ。
明朝体は、彼女らしい書体ではあるが、僕の求めるものとは少し違う。
そう考えるに至り、その後は僕にとって明朝体はあくまで指針のひとつでしかなくなった。
まるで、目指していたつもりの頂の向こうに、もっと高い山々が見えたかのような……。しかし僕に絶望はなく、むしろ着実に“理想の字”に近づいているという実感を得た。僕はますます意欲的に“理想の字”を欲し、字を書き続けた。

話を“寮生日誌”に戻そう。

僕はそれまで“理想の字”への想いを誰にも話したことはなかったが、どういうわけかその日の日誌には文字について書きたくなったのだ。

基本的に、提出後の寮生日誌を寮生が読む手段はない。例外として、寮生の保護者向けに発行される機関誌に、寮生日誌の一部が掲載されることはある。僕の書いた日誌も載ったことがあった。この選考基準も不明だが、概ね学校行事に関わるものが選ばれていたようだ。おそらくだが、僕が“字”をどう思っているかについて書いても、それが大勢の目に触れることはないだろう。

そう考え、自分の文字への想いを日誌に綴った。一応、初恋の少女のことや、密かに抱いている自尊心については伏せた。

書いているうちに、“理想の字”に対する自分の思想が整理されていくのがわかった。それまで“理想の字”への考えを文章化したことはなかった。文字への憧れを文字にしながら、己の目指す“理想の字”がどのようなものであるのか、自分自身に教えられているかのような心地がした。

そして、結論が出た。

答えが出たのだ。“理想の字”とははたしてどのようなものであるのか、その答えが。

B4用紙1枚分の日誌を書き終え、僕は暫し呆然としていた。
答えが出た。僕は何を目指せばいいのか。
信じられない気持ちだった。何年もわからなかったことが、こんなあっさりと……。

“理想の字”を書くことができたわけではない。しかし、“理想の字”が如何様なものか、概念的に理解できた。いずれ自分の手で書くことができる、という確信を得た。

やがて我に返った僕は、ついに悟りに至った喜びを抱きながら、書き上げた寮生日誌を提出し、風呂に入り、幸せな心地のまま就寝した。

そして、翌朝には全て忘れていた。

一度掴んだものなら再び取り戻せるはず。そう思い、ノートを開いて字を書いたが、もう何も分からなくなっていた。

それからは、字の綺麗さに差程こだわらなくなったように思う。

今に至るまで、あの夜に降りてきた天啓は帰ってきていない。僕の得た答えが記されたあの日誌は機関誌には掲載されなかった。高校を卒業して寮を発った今となっては最早読み返す手段もない。

大学を辞めてからは字を書く頻度も極端に減った。かつて自慢であった僕の手書き文字はいまや「問題なく読める」程度であり、全く見る影もない。

別に、字なんて読めれば何だっていい。
大人になった今では本心からもそう思う。
そうは思うものの、やはり寂しい気持ちは拭えない。
あの日に見出した書の真髄を、いつかもう一度この手に……。今でも時々、そんなことを考えてしまうのだ。

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