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【ラオス取材こぼれ話②】”劇酒”回し飲み無限ループ

まずは川沿いの秘湯でひとっ風呂

ラオスこぼれ話①に続き、ラオスのシェンクワーンを取材に訪れたときのことです。

①では世界遺産に登録されたジャール平原の石壺遺跡や、モン族の正月について触れました。シェンクワーンのさらに郊外へと足を延ばすと、実は天然温泉がいくつか湧き出していて、露天風呂に浸かれるスポットがあります。

もちろん、日本のように洗練された温泉リゾート施設とは程遠いのですが、「野趣あふれる湯浴み」を楽しみたい派にはおすすめです。

なかでも私のお気に入りは、川沿いに沸き立つナムウン・ノイ温泉。シェンクワーンの中心の町・ポーンサワンからは車で片道1時間弱、少々遠いですが、足を延ばして行く価値のある温泉だと思います。

公共のバスで行くこともできますが、取材には小回りが必要なので、その日の私は車とドライバーを1日チャーターして訪れました。

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私がナムウン・ノイ温泉を初めて訪れたのは、約10年前。当時は入口に古ぼけた食堂兼売店がひっそりと建つのみでした。

そこで入浴料を払い、小道をつたって川に出ると、川のほとりの源泉にしつらえられた簡素な湯船に行き着き、川から引き込んだ水で湯温を調節しながら浸かるという”ほったらかし”のスタイル。湯船の脇には、「そこらへんで脱げばいいのだけど、一応つくっておいたよ」と主張しているかのような、男女兼用の粗野な脱衣所があるのみでした。

その印象のまま2016年に取材で再び訪れると、入口の食堂兼売店はキレイな建物にリノベーションされ、広々とした敷地にはゲストハウスやマッサージの施設も併設。脱衣所は清潔感のある建物に建て替えられ、外国旅行者が来てもあまり戸惑わないような雰囲気に様変わりしていました。

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快適さが増したことを喜ぶ一方で、なんだか少し寂しさも。しかし、川の水で源泉の湯を冷ましながら、川を見晴らして湯浴みを楽しむひとときは贅沢そのものです。

途中、赤いパンツ姿のラオス人のおじさんがやってきて、「サバイディー(こんにちは)」と私に笑いかけながら、脱いだシャツやズボンを湯船でじゃぶじゃぶ洗い始めても、気にしません。

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ラオスでは男性は下着のブリーフパンツ、女性は布で体をくるんで入浴するのが一般的。なかにはTシャツとジーンズなどを着たままズブズブと湯に浸かる人もいて、濡れたままバイクに乗って颯爽と帰る姿も目にしました。何でも体験してみると、普段は気づかない文化や風習の違いに驚かされます。

クラスター爆弾の残骸を暮らしに活用

ポーンサワンから温泉に向かう途中には、バーン・ターチョークというモン族が暮らす村があります。温泉の帰り道、ドライバーにお願いして寄り道をしてもらいました。

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板を張り合わせた壁に茅葺やトタンの屋根をかけた素朴な家々が点在し、村人たちがのどかに家畜の世話をしたり、農工具の手入れをしたりする姿がちらほら。村全体に午後のゆったりとした時間が流れていました。「サバイディー」と声をかけると、突然やってきた日本人にも笑顔を見せてくれて、撮影にも快く応じてくれる気さくな村人たち。

村を歩いてめぐると、あちこちで目にするのはクラスター爆弾の殻です。

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シェンクワーンは1960年代から70年代にかけてラオス内戦の激戦地となり、ベトナム戦争時には北ベトナム軍の物資を輸送するホーチミン・ルートの一部になっていたため、アメリカ軍による激しい空爆にさらされました。こうした度重なる空爆によって、大量のクラスター爆弾が投下されたのです。その傷跡が半世紀経った今も残り、不発弾処理の活動が地道に続いています。

平穏な暮らしを取り戻した今の村人たちは、クラスター爆弾の残骸を自らの村に運び、東屋の土台や農工具、農作物を栽培するプランターなどに再利用しています。何でも使えるものは使い、無駄にはしないラオス人のたくましさと生活の知恵を感じることができます。

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ドライバーの村で結婚式の宴に飛び入り

私が温泉や周辺の村々での取材を終えたのは、陽が少し和らぎ始めた午後4時を回った頃。ドライバーに取材終了の旨を伝えると、彼は「親戚が結婚式をやっているから、僕の村に寄っていかないか」と。ドライバーは中年太りの気さくなおじさんで、人懐っこい笑顔でそう誘ってくれました。こんな機会は滅多にないことなので、もちろん快諾。

ドライバーの村には、車で10分ほど走ると到着。車を降り、村の中でひと際大きな家に案内されると、家の周辺で老若男女を問わず大勢の村人たちが宴を楽しんでいました。大人たちは日焼けした顔を赤く染め上げ、完全なる酔っ払い状態。私を見つけると、村人みんなが手を差し出して握手を求め、さながら有名人になった気分です。

握手に応じながら少々戸惑っている私を、ドライバーは家の軒先のテーブルへと案内してくれました。すると、5、6名の村人がすぐさま集まり、「座れ座れ」とジェスチャーで歓迎。私が座るやいなや、テーブルにお祝いの豚料理が次々と運ばれてきたのです。

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塩でさっぱりと茹でた豚肉や豪快に輪切りにした腸や胃袋がゴロゴロと浮かぶスープをすすめられるまま口に運んでいくと、全部がうまいんです。見た目はとっつきにくいものの、おそらく結婚式に合わせてさばいたばかりだからでしょう、鮮度抜群の豚肉はどれも肉厚でやわらかく、豚足や皮のプルプルとした食感も最高でした。内臓の歯ごたえもクセのある味わいもちょうどよく、ビアラオがぐいぐい進みました。

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と、湯上りのほてりも手伝って、気持ちよくほよろい加減になっていると、薄茶色の液体を入れたペットボトルがテーブルにドン。ラオスの宴会の席ではよくある光景なのですが、やっぱり来たか……と、覚悟を決めました。

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ペットボトルから竹製のおちょこに並々と注がれたのは、村特製の米焼酎「ラオ・ラーオ」。お皿の上にこのおちょこが2つセットで載せられ、私を含めテーブルを囲んだ5、6人の男女で順々に何周もひたすら回し飲むという「試練」が始まったのです。

アルコール度数は50度以上と強力で、米の風味を楽しむ余裕などありません。2つとも飲み干さないと許されず、おちょこをぐいっ、ぐいっと空け、空になったおちょこに酒を注いでは隣に回し、また隣へ……。

5、6人ですから、自分のターンがすぐに回ってきて、いつ終わるのかもわからない状態。お酒には弱くない私も、1ターン目から胸が焼けるように熱くなり、2ターン目を終えるとすでにふらっふらです。

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同席したラオス人女性も険しい表情で酒を口に押し込み、チェック柄のシャツで着飾った花嫁の顔も喜びを忘れて歪みます。一体、誰得なのでしょうか。ストライプシャツ姿の花婿だけは終始陽気で、ぐいぐいとおちょこを空に。頼もしいばかりです。

そんな宴の様子をふらっふらになりながら撮影していると、ふと頭をよぎりました。

「ん?ドライバーも同じテーブルに座っていたよな」

そう。ドライバーの姿を探すと、案の定、完全なる酔っ払い状態。赤ら顔で足元がおぼつかない姿で、村の子どもたちと庭ではしゃいでいました。

日も暮れて、そろそろ宿泊中のホテルがある町に帰ろうというときも、車に乗り込もうとするドライバーはまっすぐに歩けません。でも、人懐っこい笑顔で「サバイサバーイ!(元気元気!)」と。細かいことは気にしない、気持ちよければOKというのが、ラオス人気質。

町までは車で約20分。日本のように道を照らす街灯や崖への転落を防ぐガードレールなどなく、真っ暗になった山道を突っ走る助手席で、生きた心地がせず、酔いもブッ飛んだ決死のドライブとなりました。

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