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【ラオス取材こぼれ話①】シェンクワーンのモン正月

ラオスに通い始めて15年

「ラオス取材をお願いできるライターを探しているんだって。どう?」。

旧知の仲の編集者からこう紹介されたことをきっかけに、ラオスのガイドブック取材を担当し始めて早15年。

「ラオス?どこの国の首都だっけ?」

そう聞かれることも珍しくないくらい、当時、日本では抜群に知名度の薄い国でした。ラオスは東南アジアに残された(発展の蚊帳の外になった)最後の桃源郷とも称される、れっきとした国です。

ただ、そう言う私自身も、ラオスにはタイの取材のついでに半日入国したことがあっただけで、ラオスについては「タイの隣の国」「東南アジア諸国で唯一、海に接していない国」「ビアラオと焼き鳥がうまい国」「ラオス人はおだやかで気取らない」といった印象があった程度の無知状態。

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そんな私も、15年間通い続けることで、少しはラオスについて知り得ることができたと感じる次第。15年。キリのいい節目でもあるので、これまでのラオス取材を振り返り、取材こぼれ話を綴っていこうと思います。

日本でのラオスの知名度は、今もさほど変わらないかもしれません。しかし、首都・ビエンチャンや古都・ルアンパバーンなどの“比較的栄えた町”には、経済発展の波が確実に押し寄せています。

ビルやホテル、商業施設の建設、道路やダム、橋の整備などが顕著に進み、街なかでは車やバイクの往来が増え、人々はファッションにも気を使い、家畜ではなくペットを飼ったり、ジョギングやエアロビで汗を流して健康に気を使ったりと、ラオスを訪れるたびに、町と人の様相が(少しずつ)変わり、15年前と今を比べると隔世の感を禁じえません。

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世界遺産に名を連ねたシェンクワーン

そんな変化の途上にありながら、古き時代の面影を色濃く残し、各地に趣きたっぷりの寺院や遺跡を訪ねられることも、ラオスの魅力のひとつです。とりわけ海外からの旅行者を惹きつけているのは、世界遺産に登録された町々。23件の世界遺産がある日本と比べると、数の面では見劣りしてしまいますが、実はラオスにも世界遺産が3件登録されています。

かつて王国の首都として栄えた「ルアン・パバンの町」(京都のような立ち位置)、アンコール・ワットを生んだクメール建築が色濃く残る「チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺跡群」(アンコール・ワットに比べると超小ぶり)。

この2件に加え、2019年には「シェンクワーン県ジャール平原の巨大石壺遺跡群」が新たに世界遺産に登録され、ラオスに関わる人たちの間で(静かに)話題となり、ラオス界隈が色めき立ちました。

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ラオス全土の広さは日本の本州とほぼ同じで、その東北部に位置するのが「シェンクワーン県」。首都・ビエンチャンからは飛行機で30~40分で到着します。この県内にあるだだっ広い草原に、写真のように丸くくりぬかれた石壺が無数に転がっている遺跡が、「ジャール(=壺)平原の巨大石壺遺跡群」です。

紀元前からあったとされるこの石壺をめぐっては、遺体を埋葬していたという石棺説、酒盛りをしていたという酒壺説、米を貯蔵していたという米壺説など、考古学者たちが諸説唱えているものの、その真偽は不明で、いまだ謎のベールに包まれています。

私はこれまで3回、シェンクワーンを取材で訪れ、もちろんジャール平原にも足を運びました。直径3メートルにもおよぶ巨大な石壺が土に埋もれ、草原に無造作に点在する光景は、奇妙で興味を掻き立てられ、訪れるたびに、こんなヘンテコなものを作った紀元前の暮らしに妄想が掻き立てられます。

モン族の伝統的な装いを思い思いにアレンジ

シェンクワーン観光のメインは、このジャール平原を1日かけてじっくりと見て歩くこと。もちろんガイドブックでもメインで取り上げています。

でも、それだけではなく、周辺の村々で暮らすモン族との出会いに恵まれることも、シェンクワーンを訪れる魅力のひとつです。

私が3回目にシェンクワーンを訪れたのは、2016年の12月上旬。ちょうどモン族が民族としての正月を迎え、新年を盛大に祝う祭りがあちこちで開かれている時期でした。

夕暮れ前にジャール平原や県中心の町・ポーンサワンに関する取材を終えた私は、その足で早速、民族衣装に身を包んだモン族女性たちの往来を頼りに、ポーンサワンにある祭り会場へと繰り出しました。

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モン族の女性たちは、伝統的な民族衣装や装飾品で着飾り、足元はサンダル、手元にはブランドバッグ(たぶんコピー商品)、時計、マニキュアなどを思い思いに合わせ、伝統と今を組み合わせたコーディネートを披露。その装いを見ているだけでも楽しく、祭りへの期待とワクワク感が高まります。

祭り屋台には”青空賭場”もお目見え

公園へと続く道沿いにはたくさんの屋台が出ていて、(絶対に許可を取っていないであろう)ドラ●もんやミニ●ンなどのぬいぐるみが売られ、女性用の下着も山積み状態。スマートフォンショップで買い物するモン族の姿もありました。

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さらに祭り会場に近付いていくと、サイコロを使った賭け事に興じる一角も。サイコロの各面に動物のイラストが描かれ、出る目を予想してお金をかけるのでしょう。

かわいいイラストとは対照的に、場を仕切る女性の表情は険しく、紙幣が生々しく飛び交う場に漂うのは、素朴な祭りの雰囲気とは真逆の緊張感。カメラを向ける手も思わず力みました。(怖い人が来たらどうしよう、と)

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祭り会場となった公園は、東京ドーム3つ分はあるのではないかというくらい広く、園内にはこれまたキャラクターの版権などお構いなしのバルーン滑り台や、レールの上を走る乗り物などの哀愁あふれるアトラクションが、誰にも構われることなく、寂しそうに設置されていました。

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そんななか、ひと際人気を集めていたのは、ふたり乗りのカートをぶつけあいながら床を滑らせるアトラクション。なんとも気の抜けたビート音と光の演出に彩られた一角で、若いカップルたちが奇声をあげておおはしゃぎ。

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モン族の公開集団見合い「まり投げ」

そして、公園のあちこちで見られたのが、モン族の正月の風物詩「まり投げ」です。いわば公開集団見合いのようなもので、未婚の男女がお互いにまりを投げ合って相手との相性を見定め、気が合ったらカップル成立という、日本でも導入すれば未婚率が下がるのではないかと思う風習です。

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まりの投げ合いが長く続けば相性がよく、まりを落としてしまうと相性がよくないという結構容赦のないルール。今は女性の友人同士が軽く投げ合ったりと、友人と親睦を深め合って楽しむことが多いようです。

女性陣の傍らには、親御さんと思われる人たちが目を光らせていて、男性陣は意中の女性がいてもなかなか距離を近づけられず、もどかしさを漂わせていたのが印象的。大切な子を思う気持ちは、どこの国でも同じです。

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私もまりを投げ合いたいという衝動を抑えつつ、モン族が代々伝わる風習を大切にしながら、伝統を現代風にアレンジして楽しむ姿を垣間見られた祭り体験。

ラオスの昔から変わらないあか抜けなさに、居心地のよさや懐かしさを覚えるとともに、時代とともに変わりゆく息吹も感じられたひとときでした。

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