しらすおろしがうまい
しらすおろしを考えた人は天才である。
海の幸と畑の幸がここまでシンプルに友愛和合するなんて、しらすさん側も、大根さん側も、予想だにしていなかっただろう。いったい誰が考えたのか、調べても出てこない。名乗り出てほしいものである。
しらすおろしを供する居酒屋は、その英断に拍手喝采を送るべきである。しらすおろしを晩酌に供する家庭こそは、平和の象徴である。
スーパーで買った1パックの釜揚げしらす。300円前後するのでけっして安くはない。しかししらすおろしにするには十分すぎる量だ。パックの半量で向付一杯になる。
大根を擦り下ろす音も気分をうきうきさせてくれる。不慣れな頃はおろし大根の水切りの重要性を知らず、しらすをべちゃべちゃにしてしまっていた。擦り下ろしてから水気をよくしぼって、山盛りのしらすに載せる。
しらすの艶やかな白、大根の憂いを含んだみぞれのような白。この含羞あるわびさびホワイトコンビを惜しみつつも、容赦無くゆずポン酢を垂らし、褐色に染める。
おろしがかき氷のように程よく染まれば食べ頃である。しらすにまでかける必要はない。ポン酢をひたひたに吸収したおろしが、調味料の用を成してくれるからである。
大根にはしらすに含まれる必須アミノ酸の吸収を阻害する成分が含まれているのだが、ゆずポン酢などをかけることで柑橘系の成分がその阻害を緩和してくれるため、栄養学的にも理に適っている。
トッピングもまた良し。大葉があればこれを必ずちぎって載せる。こないだは磯海苔を散らしたところ大変美味であった。海の幸要素を増やすか、山の幸要素を増やすかは、海派か山派によって適宜調整されたい。
しらすおろしをたっぷりと箸でつかめるだけつかみ、口に含む。ホクホクとした食感の中に広がる、いずれはいわしになるはずだった未来への萌芽を無残にも奪われたしらすたちの儚い旨味。それを浄化し天上へと成仏させるかのような、おろし大根のつめたく爽やかな辛味。缶チューハイでも、キンミヤホッピーでも、日本酒でも相性抜群である。宴の始まりを飾るにこれほどふさわしいつまみがあるだろうか。
残った半分のしらすは翌朝の納豆ご飯にでも載せていただくと良い。