見出し画像

音楽という文学

僕は読書が趣味である。といっても継続的ではなく、ふと読みたいと思った瞬間に本を開いて、知識を増やすことに興味がある。

そんな読書よりも前に、僕の趣味になったのが音楽を聴くことである。ピアノしかやったことがないため、自分で音楽ができる人間だとは思っていない。けれども、誰よりも音楽を聴いてきた自信がある。

自分の意思を持って、音楽を聴き始めたのは小学4年生の頃だった。当時、近くにあった図書館でThe Blue Heartsのアルバムだった。その年頃で彼らの作る音楽の魅力がわかるはずはなかったが、とにかくストレートでその場の空気感を再現するような叙景的な歌詞とそれを後押しするようなメロディに胸を打たれた。

中学に入ると、サザンオールスターズと出会う。彼らの音楽は、酸いも甘いも人生を教えてくれるようなものであった。いまでも時々欲する、僕にとっては故郷みたいな音楽である。

その後、昭和期後半〜平成前半の様々な音楽を聴いた。といっても大半はJ-PoPだが。

高校に入り、音楽のサブスクが定番化した。音楽を聴いていなかった人たちがどんどん聴く人へと変わっていった。音楽がこういった形で提供され、生活に浸透していくとは思いもよらなかった。僕は特に星野源とBUMP OF CHICKENの曲をこの時期に聴き始め、今でも自分の立ち位置や価値観を定義する上での基準となっているくらい大切な音楽となった。

現在では当たり前のように音楽があって、気分に合わせて自分で取捨選択する頃ができるようになった。身の回りに音楽が溢れている。

そんな消費の対象となった音楽だが、僕にとって音楽は文学の一ジャンルである。文学の定義はどこか妄想の世界に近く理解できないことが描かれていたり、そこにはストーリーがある。その曲の当てはまるシチュエーションを想像して感傷に浸ったり、自分の現状に当てはめて妙に納得したりと経験があるのではないだろうか。

だからこそ音楽は、我々にとって文学である。

そんな音楽が好きな僕がふと思ったことをここに書いてみた。

読んでいただいた方にとって、音楽が自分を肯定する存在あるいは自分の幸福に繋がる媒体であって欲しいと思っています。

読んでいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?