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Light Years(54) : ステファニー

 デモ音源は、その日はとりあえず2曲収録できればノルマ達成という事になった。映画撮影用には、5曲用意する予定である。
 だが、正午近くなって、2曲なんとか録音し終えたところで、薫が渋い表情をしていた。
「なんかまずい箇所あった?」
 ミチルが、ペットボトルのポカリを飲みつつ薫と一緒にDAWのウィンドウを覗き込む。デモ音源なので、手抜きをしてステレオ録音である。
「まずい箇所っていうか」
 薫も、カフェインすくなめジャスミンティーを一口飲んでミチルに向き直った。
「逆だよ。良すぎるのが逆に不安だ」
「それは買いかぶりすぎじゃない?」
「そういう意味じゃない」
 薫は立ち上がると、腕組みして難しい顔を見せた。すると、ジュナがその首にガッシリと腕を回す。
「お前は考え過ぎなんだよ。さあ、とりあえずみんな、昼ゴハン買いに行こうぜ」
 
 学校近くのコンビニは、生徒が利用するのを見越してか、デリカコーナーが充実している。それでも、ご丁寧にクーラーボックスを用意して10人の高校生が乗り込んできた時は、レジのおばちゃんが一瞬焦りを見せたようだった。
 買い込んできた弁当やスパゲティの香りが、部室に充満する。ミチルとジュナはバイト代が入った事もあり、少しだけお高いヒレカツ弁当を買ってきた。
「お前らは何録ってたんだ」
 世界一あぐらの似合う女と部内で言われているジュナが、そのとおりの姿勢で薫以外の1年生4人を見た。リアナが困惑している中、数少ない男子の片割れ、獅子王サトルが自信ありげに胸を張った。
「とりあえず、アップする動画録ってました。リアナにも参加してもらって」
「オリジナル曲か」
「いえ、プログレポップ般若心経です。リアナにコード進行してもらって」
「アップしたら動画のリンク送れ」
 ジュナは真顔だった。もともとそういうネタ系が大好きなのである。
「先輩たちもやってたよな、スラッシュメタル3分クッキングとか、サザエさんのEDプログレッシブ版とか」
「"もしも笑点のテーマ曲にエディ・ヴァン・ヘイレンが参加してたら"っていうやつの田宮先輩のギターソロ、私好きだな」
「先輩のエディ、めちゃくちゃ上手いからな。あのダダダダっていう独特のリズム感」
 ジュナとミチルの会話に、1年生たちが目をキラキラさせて「なんすかそれ」「音源ありますか」と迫ってきた。むろん音源は、きちんとバックアップしてある。そんなのだけで最低30曲はあったはずだ。フュージョン部とは何なのか、と考えさせられる。
「そういえば映画の件、先輩たちには話したの?」
 クレハが卵サンドを手に持ったまま訊ねた。
「うん。すげーじゃん、やれやれ、だって。あと撮影現場で松崎梨乃いたらサインもらってきてくれ、ってユメ先輩が」
 松崎梨乃は、当の映画に出演する若手女優である。しかし、モブがメインの撮影なので、あまりメインの役者に会える事は期待できそうにない。
「先輩たちは、音楽の道に進もうとは思ってないのかな」
 ぽつりとマヤが呟き、一瞬みんなが黙り込んだ。べつに、フュージョン部だから音楽の道に進まなくてはならない、という決まりはない。本来は科学技術工業高校であり、そのまま同じ系統の大学に進むパターンがほとんどだ。
 ただ先輩たちの演奏能力も実際のところ、半端ではない。それでも、プロになりたいという話は、少なくとも直接は聞いた事がない。
「先輩たちが決める事だからね。私達が差し出がましい事は言えないよ」
 なんとなくモヤモヤする話を、ミチルはひとまずそう言って終わらせた。そしてその後、他人の事を考える余裕などなくなる事を、その場の全員は知りようもなかった。

「すげー、奇跡だ」
 午後4時半過ぎ、ジュナは達成感と心地良い疲労を味わっていた。少しぬるくなったメロンソーダは、炭酸が抜けかけている。
 ミチル達は、3曲終えれば上等だろうと思っていたのだが、だんだん作業に慣れてきたのと、「デモ音源だし」というリラックス要素も手伝って、なんと5曲録り終えてしまったのだ。タイトルと作曲者は以下のようになっている。

1.Shiny Cloud (マヤ)
2.Friends (マヤ)
3.Seaside Way (ミチル)
4.Midnight City (ミチル)
5.Dream Code (ミチル)

 ちょっとしたミニアルバムだ。インディーズなら、これくらいの音源1枚を1000円とかで出す人達もいる。
「音の調整は薫に任せるよ」
「わかった」
「終わったら、Flac形式でクラウドに上げておいてほしい。頼んだね」
 薫は頷くも、やはり何か引っ掛かっているような表情だった。

 結局その日のうちに、薫によって音のバランスが調整された音源をミチルはクラウド経由で受け取り、翌日の午前中には音響芸術社の京野編集に、出来上がった旨を連絡した。
『凄い早さね。ご苦労さまでした。内容については私はノータッチなので、あとは先方と直接お話してください』
 そう言って、京野さんは連絡先メールアドレスを教えてくれた。豊国エンターテインメント株式会社の金山さん、という人だ。件の映画の音楽を管理しているらしい。その人が映画監督と一緒に、どの曲を映画で使うか決める、との事だった。

 ミチルは音源をその金山さんに送るにあたって、父親に助けを求めた。父は本日、自身のグラフィックデザイン事務所ではなく自宅のパソコンで仕事をしていた。
「お父さん、こういう時のメールってどういう文面で送ればいいの?なんかこう、貴社におかれましては何たらかんたら、って書き出すの?」
 すると、液晶タブレットに向かっていた父は小さく吹き出した。
「悪いことではないけど、そんな形式ばったビジネスメールを無理に書く必要もないよ」
「そうなの?」
「形式っていうのは、絶対にこうと決まっているわけじゃない。要するに失礼がなくて、要件が伝わればそれでいいんだ。そうだな、今のお前の場合、出版社の人から紹介してもらった大原と申します、みたいな所から書き出せばいいよ」
 なるほど。ミチルはアドバイスをもとに、会った事もないレコード会社の金山さんに送る文面を頑張って考えた。その後いちおう父親にチェックしてもらって、まあいいだろう、という事だったので、デモ音楽ファイルのリンク先を記したメールを送った。

「豊国エンターテインメント、ですか」
 黒塗りの高級車のハンドルを握りながら、小鳥遊龍二は何か不安そうに返した。後部座席のクレハは、デパートの紙袋が倒れないよう手を添えながら訊ねる。
「どうかしました?」
「いえ、心配しすぎかとは思うのですが…たびたび、権利問題でアーティストともめる会社ですので」
「そうなの?」
 クレハの表情が、若干かげりを見せた。
「基本的には優良な企業だったのですが、ごく最近トップが何人か入れ替わって以降、わずかにそうした事例が見られます」
「でも、私達は正式に契約しているプロではないわ。権利問題など起こりようもないと思うけれど」
「…そうですね。杞憂だといいのですが」
 龍二さんは言葉では納得したように聞こえるものの、声色と表情がそうではない事を示していた。

 一方、その音源を先方に送ったミチルはというと、先方のレコード会社の金山さんから早々と、提出された楽曲はこれから会社と制作チームで会議にかけるので、連絡を待って欲しいとの返信があった。
 ようやく色々とひと段落したので、ミチルは久々に家でゴロゴロするという贅沢を味わっていた。お盆前にクレハの提案で、集中的に宿題をおおむね片付けてしまった事による心理的余裕も大きい。
「うはははは」
 ミチルは、1年生が第二部室で収録していた動画「般若心経にプログレポップ風のリズムとアレンジ加えてみた」を見て笑い転げていた。ボーカルにだいぶエフェクトがかかっていて、ボーカロイド風味になっている。彼らは一生この路線で行くのだろうか。午後にちゃんとしたオリジナル曲も録音していたようだが。
 そのとき、スマホに着信があってミチルは動画をいったん停止した。
「誰だ」
 通話の着信相手は、クレハだった。なんだろう。
「もしもし」
『ミチル、今いいかしら』
「うん、いいけど。どしたの」
『デモ音源の件、どうなってるかしら』
 どうなってる、とはどういう意味だろう。
「え?んーと、もうレコード会社の人には音源を渡したよ。会議にかけるって言ってたから、連絡が来ると思う」
『連絡が来たら、そのメール、私に回してもらえるかしら』
「え?いいけど、なんで?」
 ミチルの問いに、クレハはわずかに遅れて答えた。
『いちおう、メンバーとして確認しておきたいから』
「ふうん。いいよ、わかった」
 通話を切ったあと、クレハも色々と細かい性格だなと思いつつ、後輩たちの過去の動画を見て笑っていた。

 
 その頃、首都圏のある空港のゲートで、そこまで大規模ではないものの人だかりが出来ていた。主に若い人間がほとんどである。予想外の人出に、慌てて駆り出された警備員が、飛行機を降りてきた一団の邪魔にならないよう人だかりを整理しなくてはならなかった。
「ワオ」
 現れた、薄手のグレーのジャケットを羽織ったブロンドのボブカットの若い女性は、サングラスごしに驚きの目を向けた。
「ほんの少し前は、ファンより警備員の方が多かったのにね」
「ステファニー、こういう時はファンサービスをしながらも、足早に通り過ぎるようにしてください。何か渡そうとしても受け取らないで」
 ステファニーと呼ばれた女性は、周りを固める黒スーツのボディーガードに言われて、素直に従った。華やかな声援を背中に受けながら、ステファニーは待機している黒いセダンに乗り込むと、空港をあとにした。

 
 静かな夜だった。誰からも、特に連絡はない。夏休み前からここまで、気付いてみれば忙しくない日は、わずかだったとミチルは思う。部員募集活動、ストリートライブ、そして先生たちの審査。それが終わると市民音楽祭があり、プロのミュージシャンのドタキャンでステージに立つ事になった。そこから、雑誌の取材があり、今度はなぜか映画にモブで出るための楽曲制作である。その間にアルバイトまできちっとこなしたのだから、もう十分やったのではないかとミチルは思った。
 例のレコード会社の人からの返事はまだ来ない。やはり映画も絡むとなると、そうすぐに物事は決まらないのだろう。

 同じ頃、東京都内にある30階建てのビルの会議室で、8名のスーツの男性が、スピーカーから流れる音楽を書類を手にして聴いていた。ある人は頷きながら、悪くない、といった表情をしている。ある人は、真剣な表情で聴き入っていた。
 計5曲の演奏が終わると、一人の初老の男性が立ち上がって、他の7人を見た。
「いかがでしょうか」
「悪くないね。それに、ルックスもまあまあだ」
 そう答えた男性の前にあるタブレットには、ステージに立つ5人の少女のフュージョンバンドの動画が、一時停止表示されていた。
「デモ音源にしては、完成度が高いな。どうですか、エンジニアからみて」
 そう訊かれた年配の白髪まじりの男性は、小さく頷いた。
「このままリリースできるくらい音がいい。ちょっと、こんなデモ音源は聴いた事がないな」
「では、このまま採用ということで…」
「私は外野、お客さんだよ。監督さんがどうなのか」
 監督、と呼ばれたまだ比較的若い短髪の眼鏡の男性も、感心したように頷く。
「いいですね。じゃあ、細かいことは金山さんにお願いしていいですか」
「わかりました。契約関連は私にお任せください」
 金山と呼ばれた男性は、人の良さそうな笑顔を見せて、軽く頭を下げた。

 
 その日の15時すぎ、ミチルのアドレスに豊国エンターテインメントの金山基樹氏から連絡が入った。ミチルたちをモブとしてではあるが、出演者として採用したいという。
 契約は明後日、南條市内で手続きをする事になった。撮影衣装のため、サイズも教えて欲しいとの事である。
 それを知ったLight Yearsの周囲の人達は、思いもかけない展開に沸き立った。娘が、後輩が、モブではあるが映画に出る。そうそうある事ではない。喜びとともに、田宮先輩からは「現場で瀬戸レイナちゃんがいたら、"ソウヘイ君へ"」と添えたサインをもらってきてくれ」と頼まれた。瀬戸レイナとは映画に主役の相棒役で出演する、アイドルグループの背が高いハーフの女の子である。

 そんな中、クレハだけは冷静だった。言われたとおりミチルが、先方から送られてきたメールを転送すると、ほどなくして電話がかかってきた。
『ミチル、当日はうちの小鳥遊が車を出すわ。バラバラに向かうよりいいと思うの』
「えっ?いいの?」
『お安い御用よ』
「それじゃ、お言葉に甘えようかな」
 最近、黒服グラサンの小鳥遊さんにだいぶ馴染みつつあるフュージョン部の面々だった。

 20時すぎ、動画サイトにてミチル達も出演した、市民音楽祭の様子が、関東圏のローカルテレビ網で放送されていた。フュージョン部の面々やその家族、知人は、彼女たちの出番を待ちかねていたが、ミチル達自身は顔からそこそこ火が出る思いだった。ラストの大泣きシーンはカットしてほしい。今からテレビ局に訴えても無理だろうか、とミチルは思った。

「オー、イッツ・ソー・ファン。日本には、こんな音楽イベントがあるのね」
「地方都市のローカルイベントのようです」
 ホテルのスイートルームで初めて日本のテレビ放送を観るステファニーに、付き人の女性が説明した。
「みんなアマチュアなのね。私も、売れなかった頃を思い出すわ」
 ステファニーは、次々と登場する様々なミュージシャンの演奏に、興味深そうに耳を傾けた。日本の何とも言えない、ミンヨーという民族音楽はとても面白い。スプリングスティーンを思い出す、ギターの弾き語りの男性もいる。
 だが、その次に登場した5人の少女に、ステファニーは釘付けになった。
「見て、真ん中の子、ウィンド・シンセサイザーを準備しているわ。アルトサックスもスタンバイしてる」
「フュージョングループでしょうか」
「クールね。衣装も素敵。16歳ですって。ジャパニーズ・スクール・ガールね」
 さて、演奏はさすがにどうだろうか。そう思っていたステファニーは、1曲目が始まって10秒も経たない間に、自分よりずっと年下の少女たちに、度肝を抜かれる事になった。
 曲は日本の伝統的なフュージョングループ、T-SQUAREのものだ。ステファニーも一応、その存在くらいは知っている。コピーバンドらしい。
 その演奏能力が本物である事は、ステファニーには一瞬でわかった。見事なまでにリズムが揃っていて、堂々としたプレイ。ギターソロもテクニカルで素晴らしいが、ウインドシンセの少女のセンスは頭ひとつ抜けている。
「ワオ。アメイジング」
 ステファニーは、テレビ画面に向かって拍手した。続いてジャズファンク調のナンバー、スローテンポのようだがテクニカルなピアノメインのナンバーが続き、4曲目は深く沁み入るようなバラードが、夕焼けをバックに展開される。どうやら、それで演奏は終わったようだった。ラストの盛り上がりは感動的で、とても10代の少女たちによるパフォーマンスとは思えないスケール感がある。
 だが、演奏後のステージの様子が何かおかしい。少女たちの挨拶のあと照明が落ちたまま、スタッフが右往左往しているのが見える。
 ステファニーが見守る中、突然呼び出された少年少女たちが、即興でイージーリスニング調の演奏をした。演奏能力は高いようだが、いかにも場つなぎ、といった感じだ。
 そう思っていると、司会の女性が現れて、何事かを説明した。日本語がまだ勉強中のステファニーは、付き人に訊ねる。
「どうやらアクシデントで、予定のプロアーティストが出演できなくなり、代わりにさっきの少女たちがイベントの最後までを引き受けたようです」
「グレート。彼女たちこそプロフェッショナルだわ」
 再び現れた5人の少女たちは、改めて「Light Years」と紹介されていた。ライトイヤーズ。それが、彼女たちの名前らしい。遠大で、輝かしい響きだ。
 ライトイヤーズの再登壇は、ファンタジックなスムースナンバーで幕を開けた。そして、2曲目のMCでサックスの少女が何事かを話している。
「彼女が、音楽を志したきっかけとなったアーティストの曲だそうです」
「誰かしら」
 ステファニーの耳に聴こえてきたのは、彼女もよく知るファンキーなサウンドだった。それまでのナンバーとはまるで違う。
「オー、キャンディ・ダルファー。彼女のルーツはキャンディなのね、クールだわ」
 16歳の少女が吹くキャンディのサックスは、完璧だった。顔には疲労の色が見えるが、演奏は少しもそれを感じさせない。頬を伝う汗が照明に輝いて、美しい。それは真っ直ぐな黒髪の、東洋のキャンディ・ダルファーだった。
「ヘレナ、あのサックスの彼女の名前は、クレジットに出たかしら」
「クレジットは出ていませんが、さきほどメンバー紹介で、ファーストネームを”Michiru”と言っていましたよ」
「ミチル。彼女はミチルというのね。ライトイヤーズの、ミチル」
 ステファニーは、その名前を自らのメモリーに記憶した。付き人は時計をちらりと見ると、ステファニーに向き直って言った。
「ステファニー、明日はAM10時には、東京都内で記者会見となっています。そのつもりで」
「OK。彼女たちの演奏は最後まで聴かせてちょうだい」
「どうぞ、ごゆっくり。それでは、私は自室にいったん失礼します。何かあれば呼んでください」
「ええ、ありがとう。あなたもゆっくりして、ヘレナ」
 オーストリア出身、アメリカ在住のシンガーソングライター、ステファニー・カールソンは、優しい声で付き人が退出するのを見送ると、喉を守るために加湿器のスイッチを入れた。

 ◇

 ステファニー・カールソンが日本のTV放送を視ているのと時を同じくして、母と一緒に音楽祭の放送を観ていた戸田リアナは、青ざめた顔でテレビを睨んだ。まさか。そう思っていると、ステージに照明が戻り、ジュナ先輩がマイクを握った。
『1年生!ステージまで全員来い!』
 リアナそっくりの母親が、手を叩いて笑った。
「ここ、おかしかったわね!面白い先輩ねえ、あの人達」
 外野は笑っているが、あの時の自分達1年生組の緊張感は半端ではなかったのだ。観客モードで悠然と座っていたら、いきなりステージに上げられて演奏しろと言われた15歳の気持ちがわかるか。まさか、ここはカットするだろうと思っていたら、さすがローカル局である。

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