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Light Years(162) : Living on the Net

 思い付いて録音したメロディーを仮メロディー、とマヤ達は便宜的に言っているが、仮メロディーとは本来は歌ものの楽曲をレコーディングする際の、ボーカルをガイドするために仮に奏でるメロディーの事である。
 そういう細かい話はともかく、マヤとミチルは現在、拷問を受ける人はこういう気持ちなんだろうか、という気分を味わっていた。
『続いては、そんなに悪くはないと思うんですけど、16ビートで明るめのメロディーですね』
『仮タイトルは"午後3時すぎの公園"だそうです』
『この手の仮タイトルは全部、バンドリーダーのミチル先輩ですね』
『右脳からそのまま持って来た、みたいな』
 動画の中では、顔を隠したアオイとキリカが平然と、ライトイヤーズのバンドリーダーであり、フュージョン部の部長であり、先輩であるミチルを弄り倒していた。
 やがてファイルをクリックして流れてきたEWIのメロディは、アオイが言う通りそんなに悪くはない。が、はっきり言って大したインパクトもない。ホームセンターのBGMとしてなら使える、というレベルである。ミチルは、もうやめてくれという表情で動画のウインドウを見ていた。
 思い付いたメロディーを仮に弾いた音源というのは、たとえば漫画のキャラクターのデザイン案だとかの、まだ完成していないラフと同じであり、それをネットで公開されるというのは、ほとんど公開処刑に等しいのだ。

 確かにクレハには、反論動画のために、楽曲を使っていいとは言った。だが、どの楽曲という指定がなかった事に、マヤもミチルもその時気が付くべきだった。
 だが、ふたりはすぐに、クレハの真意を理解した。クレハは、単に面白がって未完成の音源を公開したのではない。
『さて、ここまでなかなかひどいものを聴いてきましたが』
 いま、ひどいものって言ったな。しっかり聞いたぞ。
『次にお聴かせするのは、これはちょっと貴重というか』
『許可取ってるんですよね』
『ベースのクレハ先輩が、いいって言ったから大丈夫です』
 ここでクレハが小さく咳払いするのを、マヤとミチルは聞き逃さなかった。裏方のサトルが、ファイル名を拡大してみせる。その、仮音源の名前にミチルはハッとした。
 ダブルクリックで流れてきた、その未完成ながらも爽やかで夢幻的なメロディーは、ミチルが作曲し、ザ・ライトイヤーズの現在の代表曲のひとつでもある、"Dream Code"だった。
 まだ初期の手探りな演奏で、コード進行も定まっていないようなところがある。その後、マヤの助けもあって現在のメロディーとアレンジが完成したのだ。ミチルは聴きながら、あの夏にみんなで音を作り上げた日々を思い起こしていた。
 わずか1分半ほどのメロディーが終わって、トーク用のBGMに切り替わったところで、アオイが極めて重要な指摘をした。
『はい、こちらはザ・ライトイヤーズの代表的なナンバーのひとつ、"Dream Code"の最初期の、まだメロディーを練っている段階の音源ですね』
『ファイルの日付を見ると、昨年の8月になってます。ちょうど、ステファニー・カールソンのライブに出る前のあたりですね』
『ミチル先輩が今でもたまにボヤくんですけど、初めて作ったオリジナルナンバーの初ステージが、3万人相手のステファニー・カールソンの前座です。実のところ、相当緊張していたらしいです』
 ここで、マヤとミチルはようやく、クレハの目論見に気が付いた。動画内のアオイとキリカが話を続ける。
『まあ我々は、こうしてザ・ライトイヤーズの楽曲が出来上がる過程を毎日のように耳にしているわけで、そのへんは後輩の役得なんでしょうかね』
『ほんとうに、どれもこれも素晴らしい楽曲だと思います』
『突然褒めそやし始めましたけど、どうしたんですか』
『こう言っておけば、課題曲をもうちょっと難易度低めの曲にしてくれるんじゃないかと』
 何を寝ぼけた事を言っているんだ。確かさっき、ひどいものを聴いたとか言ってたが。次の課題曲も難易度高めのやつを出してやるぞ、とマヤは心で呟いた。
『さて、この特別企画ですが、まだまだたくさんの秘蔵というか、未完成のデモ、もしくは謎メロディーのファイルがたくさんあるんですけど』
 画面には今まで編集作業を繰り返して、とっ散らかったフォルダ内のファイル群が表示されていた。"Shiny Cloud"だとか、色んなタイトルが見える。
『次もやりたいんですけど、先輩達からストップがかかる可能性が高いので、ザ・ライトイヤーズのオリジナル曲の、完成前や未発表の音源が聴けるのは今だけです!』
『先輩達に削除される前に、拡散してください!チャンネル登録もぜひお願いいたします!』
『それじゃ、次回があったらまたお会いしましょう!』
 調子のいい締めのBGMが流れて、動画は終わった。マヤとミチルは呆気に取られながらも、クレハの意図は理解できた。
「なるほどね。そういう事か」
 マヤは納得しつつも、クレハを横目に若干冷ややかな視線を向けた。
「未完成の楽曲データを使うなとは、私達は言わなかったものね」
「使うなって言われても使うつもりでいたけど」
 しれっとクレハは言ってのけた。もう、物わかりのいいお嬢様キャラは、粗大ごみにでも出したらしい。
「とりあえずこれで、ゴーストライター云々の批判は黙らせる事ができるでしょうね」
「盗作疑惑の方はどうするの」
「放っておく以外にないわ。もし、どこかのプロが私達を訴えでもしてきたなら、話は変わってくるでしょうけど。聴いた事もない曲と、部分的に一致したからと言われても、そもそも盗作した事実がない以上、説明のしようがないんだもの」
 まったくもってクレハの言うとおりである。ひとまず、ミチルたちは今回1年生が協力してくれた、”反論動画”の効果を確認することにした。

 『これはひどいww』
 『あの名曲が生まれる背後で、無数のメロディーがお蔵入りになってたんだな…』
 『セルフ公開処刑はさすがに草』

 公式チャンネルでボツ音源の一斉公開という暴挙に対し、反応は上々だった。単にネタ動画として面白いという反応はもちろんあるが、同じミュージシャン志望の学生からは、どうやって曲を作っているのか非常に参考になった、という大真面目なコメントもけっこう見受けられた。
 その一方で、裏で仕掛けたクレハの意図を完璧に把握しているコメントもあった。

 『ゴーストライター云々って言ってた人ら、息してる?これ、ライトイヤーズが自分達で音楽作ってるっていう証拠になる動画だよ』
 『すげえなこの子達。声高に反論するんじゃなく、ほんとは聴かせたくないはずのボツ音源をファイル情報ごと晒して、オリジナルって事を証明しちゃったよ。録音された日時までハッキリしてる以上、もう否定のしようがない』
 『ライトイヤーズを批判してた動画配信者達はどうするんだろ。きちんと謝罪すんのかな』

 クレハの取った方法は、しごく単純だった。マヤ、ミチルが思い付いて大雑把に弾いただけのメロディーや、制作過程で必然的に生まれる没アレンジ、本番ではないデモ演奏など、オリジナルを制作している立場でなくては絶対に所持し得ない音源ファイルを、それが保存された日時を含むファイル情報とともに公開する。オリジナルである事を証明するには、それだけで良かったのだ。
 コメントでも指摘があったように、声高な反論は一切用いない、というのもクレハの戦術だった。これによって自分達のクリーンな態度、イメージを守りながら、ユーモアを交えた動画で真実を伝えることができる。
「やり方がエグいわね、クレハ。自分では一切、誰の事も攻撃せずに、ネット上に真実を公開することで、攻撃材料を提供する。あんたのそういう知略みたいなの、どうやって身についたわけ?」
 マヤは、まるっきり感心しているとも思えないような笑みを浮かべてクレハを見た。事実、この”反論動画”の公開後、ライトイヤーズを支持する層だけでなく、単に誰かをやり込めたい、という層までもが、ライトイヤーズの擁護という体で”味方”に回ってしまったのだ。
「あまり気は進まなかったけれど、今回はこういう作戦を取らせてもらったわ。ネットはデマが拡散するスピードも速いけれど、真実が拡散するスピードも同じくらい速い。情報と言う名の武器を流せば、自然に戦況はこちらに有利になる」
「あんたが敵でなくて良かったって思うわ」
「本当は、ネットでの論争なんて関わりたくないわ。私達への非難が加熱していた以上、ある程度威力の大きな手段を取らざるを得なかったの」
 クレハの少し沈んだ表情は、その言葉が真実である事を物語っていた。やはりクレハは基本的には、争いごとなど好まない、穏やかな少女である。だが、誰よりも仲間想いの彼女だけに、メンバーが理不尽なデマで攻撃されるのを看過できなかったのだろう。優しい人間を怒らせると後が怖いのだ。
「ちなみに、小鳥遊さんの協力で、デマを流した大元の何人かはすでに特定できつつあるそうよ。どうする、ミチル?」
 クレハは、サラリとすごい事を教えてくれた。やはり今回も、小鳥遊さんが背後で動いてくれていたらしい。ミチルは、どうするべきか悩んだ。ことを大きくするのは本意ではないからだ。だが、クレハは珍しく強い口調で言った。
「ミチル。私達は事実無根の誹謗中傷によって、公然と侮辱されたのよ。少なくとも、その罪は認識してもらう必要がある。私はそう思うわ」
「…そうだね」
「それに、私達は比較的小規模とはいえ、アメリカのレーベルに所属している。私達だけの問題ではない。仮に、事を荒立てないという選択をするにしても、レーベル側と相談する必要はあるわ」
 クレハの指摘に、ミチルは頷いた。
「小鳥遊さんに伝えて。私達は事を荒立てるつもりはないけれど、最低限、相手から直接の謝罪を受けて、なおかつその事実を公表したい。その方向で調整してくれるよう、お願いしたいって」
「わかったわ」
 それだけ言うと、クレハはスマホを持って部室を出て行った。小鳥遊さんに連絡をするのだろう。
「参ったわね。こんな面倒な事に巻き込まれるなんて」
「何があるかわからないぞ、この後だって」
 ジュナの忠告に、ミチルは首を横に振った。
「やめてよ。この一件だけでウンザリしてるのに、これ以上何か起きたら神経がもたないわ」
「そりゃ、あたしら全員が同じ気持ちだよ。盗作だの、ゴーストライターだの。胸くそ悪いったらありゃしない。けど、世の中は悪意がある人間で満ちてるらしいって事、この半年くらいで痛感しただろ」
 ミチルは、その指摘に反論ができなかった。社会というのは、考えている以上に悪意に満ちている。どうして人間はこうも悪事や争いが好きなのだろう、と首を傾げる事が多過ぎる。
「そうだね。けど、世の中がどうであっても、私は音楽をやめようとは思わない。誰に命令されたわけでもない、私自身がやりたい事だから。悪意に取り巻かれていたって、自分自身が何かをする事を、止める事は誰にもできないよ」
 そのミチルの宣言に、マーコがパチパチと小さく拍手した。
「難しい話はわかんないけどさ、あたしもそう思うよ。ネットでくだらない事言われたからって、こっちが音楽やるのは止められないじゃん。好きにやってりゃいいんだよ」
 マーコの言葉に、全員が頷く。そのとおりだ。誰に何を言われようとも、活動を続ける選択権は自分自身にある。自分でやめない限り、活動が終わる事はない。そう信じて、ミチル達はアルバムの完成という目標に向かって、再び作業を再開したのだった。

 その、翌日の事だった。ネット上ではあっという間にミチル達への批判が収束し、残っているのはごくわずかな、ほとんど難癖レベルの声だけだった。だが、事態は予想外の方向に向かう。それは、サブスクリプションの音楽ストリーミングサイトに現れた、ひとつのアーティストだった。そのアーティストの名は―――

「ザ・ライトイヤーズ?」

 ミチルは、最近おなじみになりつつある酒井三奈、桂真悠子コンビからの報告に首を傾げた。
「そういう名前のバンドが現れたっていうの?」
「そう。同じフュージョングループ」
 ミチルは、怪訝そうにふたりの顔を交互に見た。三奈たちによると、ザ・ライトイヤーズと同名のフュージョンバンドが現れて、ものすごいスピードで楽曲をリリースしているのだという。
「ふうん。けど、ライトイヤーズって名前のアーティスト、世界にたくさんいるからね」
「そういうと思ったわ。けど、この楽曲のリストを見て」
 そう言って、真悠子はスマホに表示された、その”ザ・ライトイヤーズ”なるバンドのアルバムの楽曲リストを見せた。その並んだタイトルに、ミチルは鼻白む。
「…なにこれ」
 そのタイトルは、以下のようなものだった。

 Dream Road
 Sunnyside Way
 Twilight in Hometown
 (後略)
 
 そう、それはいかにもミチル達の楽曲に酷似したタイトルだった。だが、全く同じではない。気になって、ミチルはそれらを再生してみた。
「……」
 ミチルは驚いた。どの曲も、クオリティが非常に高い。どこか無機質な印象はあるのだが、音程もリズムも完璧で、転拍子も変拍子も全く狂いがない。しかし、それ以上に困惑する事があった。楽曲が、やはりミチルたちのものに酷似しているのだ。盗作と言っていいレベルである。
「一体、どこの誰なの、このバンドは」
 ミチルは、当然の質問を三奈と真悠子に投げかけた。だが、ふたりの回答は要領を得ない、不可解なものだった。この、ミチルたちと同名のバンドは、いくら調べても全くわからないというのだ。
「どういうこと」
「私たちも困惑してるわ。これだけの実力を持ったグループが、サブスクに楽曲をアップロードしている以外は、どこにもその存在を示すものがないの。SNSはもちろん、ブログも、個人サイトもない。掲示板に書き込んでいる様子もない」
 お手上げといった様子で、三奈が溜息をついた。ミチルはなおも訊ねる。
「あなた達は、このバンドの存在をどうやって知ったの」
「そこよ。例のゴーストライターや盗作問題で、私達は分担して、あちこちのSNSや掲示板をチェックしていたの。そしたら」
「ライトイヤーズと同じ名前で同じような音楽で、もっとハイレベルなバンドがいる、っていう書き込みを見かけてね。気になってサブスクを確認したら、本当にいた、ということ」
 真悠子によると、そのバンドが現れたのはごく最近、たぶん年が明けて間もなくだという。その間に、もうアルバムを2枚も発表している。そしてミチル達にとって無視できない事がひとつあった。三奈は、不安そうな表情で言った。
「このバンドが”本当のザ・ライトイヤーズ”なんじゃないか、っていう声が、ゴーストライター騒動の収束と入れ替わるように広まりつつある」
 その報せに、ミチルは言い知れない不気味さを感じた。そのバンドはまるで、ネットの中に棲息する、ミチルたちのドッペルゲンガーのように思えた。


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