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[小説]メイズラントヤード魔法捜査課(4)
(四)
ジュエリー・ジェニーは老舗の宝石店でありながら、メイズラントで五十年ほど前から進んできた、産業革命以降の新しい商業の流れに敏感だった。旧来の宝石店というのは、いくつかサンプルが展示してあるだけで、あとはデザインも含めて個別に注文する方式だった。
だがグレアム暦一八八〇年代に入り、一定のデザインの指輪やネックレス、ブレスレット等が大量生産される時代に入ると、それまでの個別注文から、照明つきのガラスのショーケースに多数の商品を展示する店が現れる。ジェニーもその中のひとつだった。
だがその業態は当然ながら、窃盗あるいは強盗の憂き目に遭う事例が増える。ひどい場合には店主が殺害されるケースもあり、それを恐れて細々とカタログだけを置く店も健在だった。
ジェニーの店主のオワード氏は六〇代半ば、ゆったりと両脇にふくらんだ白髪と眼鏡が特徴的だった。
「そりゃあ驚きましたよ。朝、店を開けようとしたら、お巡りさんが倒れてるんですから」
オワード氏は大袈裟な身振り手振りで、制服の警官が倒れていたという床をアーネット達に示した。大人の男性ひとりが寝そべるのにギリギリのスペースだ。そこからカーテンで仕切られた奥が裏口になっていた。
「この裏口のドアは閉まってたんですね」
アーネットは鍵が開いているノブを回して、外の細い路地に顔を出した。拳銃が落ちていたという側溝も見える。
「ええ、はい」
「ここ以外に、この建物の出入り口は?」
「自宅も兼ねていますので、通りの反対側が母屋の玄関になっています」
オワード氏の案内で、母屋側の玄関を確認する。中流家庭にあるような、ごく普通の玄関だ。
「ここから例の警官が入った可能性は?」
「絶対にないとは言い切れませんが…しかし、ここも鍵は閉まっていたのですよ」
「例えばです。その警官が、窃盗犯がこの玄関から侵入するのを発見して中に入った。そこで犯人に首を絞められて寝かされた、としたら」
玄関は二重鍵にはなっていない。腕の良い泥棒なら、鍵を開けるくらいの事はできる。だがそこでアーネットは、おかしいと思い始めた。
「違うな。針金なり何なりで鍵を開けられても、外から閉じる事は鍵がなければできない」
「つまりどういう事?」
「『俺たちの案件』という事かもな」
アーネットの推測に、ブルーは少しだけ真面目な顔をした。
「オワードさん、まあ形式的な質問ですが。その窃盗があった夜中に、物音などは聞きましたか」
「いやあ、そういったものは何も…気がつかなかっただけかも知れませんが」
「なるほど」
アーネットは頷くと、もう一度店に戻り、警官が倒れていた床を入念に確認した。
「その警官、どっちを向いて倒れてました?」
「え?ああ、はい。路地側の壁に足を向けて、仰向けのような姿勢でした」
「つまり、壁側から反対方向に倒れたような姿勢、ということですか」
「そうですね、まあ姿勢としてはそんな印象です」
店主の説明に、アーネットは何やらひとりで納得したような顔をして、もう一度裏口から路地をのぞくと、振り返った。
「現場の状況はだいたいわかりました。捜査へのご協力、感謝します」
それだけ言うと、アーネットはブルーをともなって、『ジュエリー・ジェニー』を辞した。
店の外に出ると空の雲は一段と重くなり、雨の気配が漂ってきた。リンドンは雨の多い都市であり、長年住んでいると気配でわかるようになるのだった。
ブルーとアーネットは、拳銃が落ちていたといく細い路地側の店舗の側面を検証した。特に見たところ、変わったところはない。
「どういう状況だろうね」
ブルーが訊ねると、アーネットはごく簡単に答えた。
「出来事が仮に難解だとしても、出来事の根本は単純なものだ。ブルー、警察官が誰かと争うとしたら、相手は誰だ」
「…なるほど」
「そうだ。まあよほど素行の悪い警官なら別だが、警官が争う相手は基本的に犯罪者か、何らかの行為をはたらいた者だ」
「つまりあの警官は、宝石の窃盗犯と争いになったってこと?じゃあ、この側溝に拳銃が落ちてたっていうことは」
ブルーの問いに、アーネットは頷いて答えた。
「そういうことだ。つまり拳銃は、窃盗犯と取っ組み合いになった時に落としたんだ」
「じゃあ争ったのは、あの路地でってことか。そして警官は首を絞められて…」
「店の中に押し込められて、犯人は逃走したということだ」
だがそこで、当然の疑問が湧いてくる。
「つまり、犯人はやっぱりその警官を、首を絞めてこの店の中に押し込んで逃走したわけか」
「そうだ。だが、店主の証言が正しければ、その時この裏口のドアも、通りに面した正面ドアも、二重鍵がかけられていた。つまり犯人は、『何らかの手段』で警官を店舗内に押し込めたんだ」
アーネットは、裏口ドアの左側の壁面を睨んだ。ただの真っ平らな、白塗りの壁だ。
「ということは、やっぱり僕らの案件か」
ブルーはそれまでの飄々とした態度がやや鳴りをひそめ、だんだんと真面目に事件を追う刑事の顔になっていた。それでもまだ一三歳の少年であり、決定的な部分ではまだ、いまひとつ締まりに欠けるのだった。
「よし、今度は例の倒れてた警官の話を聞くぞ」
ジュエリー・ジェニーの店内で倒れていた警官は一八歳とまだ若く、制服のまま官給品だけ取り上げられた状態で、本庁の取調室でオドオドとしていた。ブルーが言える事ではないが見るからに若く、警官としての経験もまったく足りていないのが一目でわかる。
「まあ、なんだ。運が悪かったな、お前さん。俺は魔法犯罪特別捜査課のアーネット・レッドフィールド巡査部長だ。名前は」
アーネットは同情を浮かべながら、テーブルをはさんで訊ねた。若い警官は憔悴しきっており、おどおどしながらアーネットと、なぜか刑事の格好をしている金髪の少年を怪訝そうに交互に見た。
「まっ、魔法犯罪…?」
「おっと、そいつはまあ適当に流しておいてくれ。毎度訊き返されるからな。お前さんだって将来刑事課に配属されれば、所属と階級は必ず言わなきゃならなくなる。たとえそこが、どんなに珍妙な名前の課だろうとな」
「はあ」
アーネットのくだけた態度にいくぶん落ち着いたのか、警官は入ってきた時よりは姿勢をただして名乗った。
「チャーリー・シモンズ巡査、マリーボーン地区駐在所勤務であります」
「シモンズね。それでお前さん、何やら面白い証言をしてるようじゃないか」
アーネットは、捜査二課から借りて来た最初の取り調べの聴取内容のメモに目を通しながら訊ねた。
「店舗から黒ずくめの窃盗犯が出てきた。これは間違いないな」
「間違いありません」
シモンズは即答した。
「ふむ。だが、そいつが店から出て来るとき、壁に丸い穴が開いた、って?」
メモを読み上げると、シモンズは少しだけばつが悪そうな顔をした。
「…見間違いかも知れません」
「ほう?」
「ちょうどガス燈の陰になって暗かったですし、単にドアから出て来たのを、動転してそう思ったのかも」
「今のは嘘をついている目だな。最初の回答はそうじゃなかった」
アーネットは立ち上がると、窓の外に目をやった。
「それがどんなに常識はずれだろうと、嘘ついてるかどうかは七割がた、目つきや仕草でわかる。刑事を一〇年もやっていればな」
「けど、今でも自分の目が信じられません。壁の真ん中に穴が開くなんて、あり得ない。まるで…」
そこまで言って、シモンズはハッとしてアーネットを見た。アーネットは横顔を向けてニヤリと笑う。
「まるで、何だ」
「いえ、その…」
言い淀む若い警官に、アーネットは内ポケットから、ひとつの品物を取り出してテーブルの上に置いた。一五センチメートル程度の、キャップがついた黒い筒状のそれは、万年筆のようだった。
「妙なことを訊くが、お前が見た窃盗犯。そいつは、これと同じ万年筆を持っていなかったか」
「はい?」
いきなりそんな事を訊かれて、シモンズは面食らっているようだった。なぜ事件の事情聴取の最中に、犯人が筆記用具を持っていたかどうかを確認されるのか。
「いえ…わかりません。持っていたのかどうか…あのときは、犯人を取り押さえようと必死でしたから」
「そうか」
「この万年筆が何か?」
シモンズの目の前でアーネットは万年筆を持ちあげ、キャップを外してみた。とくだん変わった所はない、ごく普通の万年筆だが、いくぶん軸が太すぎるように見えないでもない。再び内ポケットにしまうと、テーブルについてシモンズを見た。
「いや、いい。とりあえず君の話に信ぴょう性がある事を、俺たちが実証できるかも知れん、ということだけ伝えておこう」
「なんですって?」
「上の判断しだいだけどな。早ければ明日にでも、駐在所に復帰できるだろう。勾留されたぶんの給料の申請、忘れるなよ。労働者への金は一ペナンでもケチることを信条としてる奴らだからな。おっと、最後のは聞かなかったことにしてくれ」
意地悪く笑うと、アーネットは立ち上がってブルーに合図をした。ブルーは欠伸をしつつ、アーネットのあとに続いて取調室を退出する直前、思い出したように刑事手帳を取り出して若い警官を振り向いた。
「忘れてた。ぼく、魔法犯罪特別捜査課のアドニス・ブルーウィンド特別捜査官だよ、またね」
呆気にとられる巡査を置いて、アーネットとブルーはそのまま本庁の階段を上の階へと上っていった。
ガールズフュージョンバンド物語「Light Years」(完結)