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Light Years(167) : Take The Long Road

 翌朝、卒業式を2日後に控えた独特の空気の中、フュージョン部部長の大原ミチルは、2年生の他のメンバー4人に囲まれるようにして、部室の真ん中にへたり込んでいた。
「現在、リツイート数は9700」
 千住クレハが、部長によってツイートされた記事の数字をぽつりと読み上げた。
「返信を読みましょうか。"5月と聞いてましたが、まさかの前倒しの3月リリースですか!もうレコーディングは進んでるってことですね!楽しみです!"」
 その、ごく短いメッセージが、簡潔にミチルに突き刺さった。もう本当に、物理的に刺さっているのではないかとミチルには思える。
「レコーディングが進んでる、か」
 マヤも苦い笑みを浮かべて、モニターに肩ひじをつく。レコーディングが進んでいるどころではない。予定の11曲中の2曲が、まだ作曲されてもいない状況である。
「もう、海外のファンサイトにも広まっているわよ。待ち望んだファーストだ、って。すでに後戻りはできない状況ね。なんとか頑張って、宣言どおり今月中にリリースするか。それとも、やっぱり無理でした、と謝って来月以降にするか」
「そのへんにしといてやれよ、クレハ」
 ジュナが相変わらず、ギターのネックを握ったままフォローを入れた。クレハがジュナの目を斜めから見る。
「ジュナはミチルに優しいわね」
「どーいう意味だよ」
 一瞬、場の空気が険悪になりかけたところで、マーコがバスドラムの背面をドンと手で叩いた。胴体の中に詰めたタオルがわずかに浮く。
「やめなよ、ケンカしてる時じゃないだろ」
 マーコのおかげで、滅多に言い争う事のないジュナとクレハの衝突は避けられたようだった。だが、問題は依然としてそこにある。
「そうね。私達は選択を迫られている。さっき言ったとおり、今月中に約束どおりアルバムを完成させるか。それとも、恥をしのんで遅らせるか。宣言した張本人としてはどうなの、ミチル」
 マヤは、気まずそうに黙っているミチルを見た。見かねたのか、肩をポンと叩いてフォローを入れた。
「ミチル。私ならいいよ。今月中に、みんなでアルバムを仕上げよう」
 そう言ったマヤの目を、ミチルは救われたような目で見た。マヤも頷く。
「みんな、考えてみて。予定してる11曲中未完成なのは、2曲だけ。それ以外の9曲は一応完成していてすでに演奏してるし、そのうち2曲は録音済み。再録する3曲は何度も演奏して慣れている。つまり楽観的に言うなら、新曲を2曲作るっていう関門さえ突破すれば、残り9曲は頑張ればどうにかなるって事。いつかミチルが言ったとおり、今月中にリリースは理論的に十分可能よ」
「なるほど」
 ジュナが、カレンダーを振り向きながら計算した。
「そうだな。まあいつも言ってる事だけど、あの部員勧誘のストリートライブに比べたら、むしろ余裕があるとさえ言えるかも知れない」
 そのとき、ずっと黙っていたミチルは突然立ち上がり、その今月のカレンダーの後半を凝視した。ミチルの行動に全員が否応なく注目する。
「ごめん、みんな。ちょっと確認してくる!鍵お願いね!」
 呆気に取られるメンバーをよそに、ミチルは荷物をまとめて、ひとり校舎に向かって走った。

 
 校舎に差し掛かったところでミチルは、あるいてくるカリナ先輩とショータ先輩、ジュンイチ先輩のトリオに出会った。
「おっ、どうした」
「これから部室に顔出そうって思ってたのに」
 もう進路も決まって自由登校期間の3年生は、気楽なものである。ユメ先輩、ソウヘイ先輩、そして市橋菜緒先輩はまだ日程が残っているので、卒業式当日以外は来ないだろう。ミチルは3人の前で急停止した。
「おっ、おはようございます!探してたんです!」
「なに?」
 3人がキョトンとしている所へ、ミチルは捲し立てるように訊ねた。
「先輩達がお引越しするのって、いつですか!いえっ、そうじゃなく、お引越しの前に、お暇な時っていうか」
「落ち着きなよ、息切らせてちゃ会話にならないよ」
 カリナ先輩がミチルの肩をポンと叩いてくれて、ようやく落ち着く事ができた。ミチルは呼吸を整え、整理して話し始めた。
「先輩達は、大学に通うのに色々準備されてると思うんですけど、お引越しの前に、集まる事ができる日って、ありますか。3月末を目処に」
「全員が、ってこと?」
「全員です!」
 ミチルの勢いに多少引きつつも、3人はそれぞれ話し合って、いくらか目星をつけてくれた。
「まだユメとソウヘイがわかんないけど、たぶん、それこそ3月末…そうね、27日から31日の間あたりなら、もうみんな落ち着いてるんじゃないかな。この3人は4月入ってから引っ越しの予定だし」
「じゃあ、例えば、私達がライブやったら、来てもらえるって事ですね!」
 そのミチルの問いに、一瞬3人は目を丸くしたが、ショータ先輩はいつものクールなスマイルで言った。
「何言ってるんだ。お前たちがライブやるっていうなら、予定の方を変更してでも行くさ。そうだろ、ふたりとも」
 ショータ先輩は、カリナ・ジュンイチ両先輩を見て言った。ふたりも、何の疑問も持たず頷いた。
「もちろんだ。おっさん風に言うなら、万障繰り合わせて、ってとこだな」
「そうね。卒業の最高の思い出になるわ」
 それを聞いたミチルは、感極まるヒマもなしに、スマホのカレンダーを開くと、指折りしながらスケジュールを考えた。
「つまり、仮に30日にライブをやるとすると…」
 先輩そっちのけでブツブツ言い始めたミチルを、3人は若干怪訝そうに見守っていた。ミチルは「よし」と一人頷くと、3人に頭を下げた。
「ありがとうございました、決まったらまた連絡します!」
 走り去るミチルの背中に「大丈夫か、あいつ」「最初からあんな感じだったよ」などという会話が聞こえたが、ミチルはもうこれからのスケジュールの事で頭がいっぱいになっていた。

 部室を訪れたカリナ先輩達に、クレハは今ザ・ライトイヤーズがおかれた状況を説明した。すると、3人は揃ってゲラゲラと笑いはじめた。何がおかしいというのか。ギリギリのスケジュールで、告知どおりにアルバムが出せなかったらどうするのか。
「そういうことか。海原先輩に挑発されて、じゃあアルバム出してやるよ!って事になったんだな。それだけならまだしも、レコ発ライブまで宣言しちまったか」
「あいつらしいな。火が付くと、もう後先なんか考えられなくなる。相手が先輩だろうと、先生だろうと関係ないんだ」
 ショータ先輩もジュンイチ先輩も、他人事のように笑う。ミチルは確かにそうだ。いつも真っ直ぐに突っ走る。初めて会った時は、一体この子、何なんだろうと思ったのを今でも思い出す。
「それで結局、俺の推理は文字通りの邪推だったって事か」
 ジュンイチ先輩が、少し気まずそうに言った。そう、海原シオネ先輩が、例の模倣バンドのリーダーではないか、という推理を最初に展開したのはジュンイチ先輩だったのだ。クレハは、調べた結果、海原先輩のひとつ上の先輩たちによる嫌がらせだった、という事を詳しく説明した。
「なるほどな。俺たちは面識はないけど…何とも、気分の悪い話だな」
「はい。ですが、きちんと謝罪の言葉はいただいて、楽曲も全て削除してもらいました」
 ゴーストライター騒動も含めたデマに関する謝罪の言葉も受け取り、個人名は出さないがザ・ライトイヤーズの事をよく知る人物たちによる工作だった、という事は、バンドとして公式に発表した。困ったのは、それが大手のポータルサイトにまで取り上げられてしまった事だ。アルバムリリースについては一切取り上げないのに、こういうネガティブな話題には飛びついてくる。
「千住、海原先輩に連絡つけられるか。もとはと言えば、俺が先輩を疑った事が発端だ。俺からも謝っておかないとな」
「ああ、それでしたら」
 クレハは、海原先輩からジュンイチ先輩への伝言を伝えた。きっとジュンイチ先輩は自分からも謝罪しようとするだろうけれど、こちらもそれなりに礼を失している事とチャラにするので、ことさら謝罪は無用、との事だった。
「あの先輩らしいな」
 その表情から察するに、さぞ扱いづらい先輩だったんだろうな、とクレハは思った。ほんの十数分話しただけで、大変な人だと思ったのだ。クレハは、ジュンイチ先輩にフォローを入れた。
「けど先輩、結果的にはそれで正しかったんですよ。最初に先輩の推理がなければ、あの仁藤和也という人が、海原先輩のサックスを真似たという可能性には辿りつけなかったんです」
「千住は優しいな。うちの学年にもこんな優しい子がいたらって思う」
 しみじみ語るジュンイチ先輩の後頭部に、カリナ先輩の提げているバッグが叩き込まれて、なんだか鈍い音がした。ジュンイチ先輩はよろめいてショータ先輩に肩にもたれる。何が入っていたのだろう。
「うん、状況はわかった。クレハ、ミチルに色々振り回されて大変だろうけど、まあ許してあげてよ。あの子がいい奴だってこと、あんた達が一番よく知ってるでしょ」
 カリナ先輩にそう言われると、クレハは黙る以外にない。そうだ。ミチルはいい友達だ。そんなこと、誰に言われなくても知っている。実のところ、今回どうしてあんなふうにミチルにつっかかってしまったのか、クレハ自身もよくわからない。だが、ひとつだけハッキリしている事があった。
「ミチルは私達の、信頼できるリーダーです。私は、リーダーを信じます」
「それでいい。あんた達、本当にいいバンドになったね。鼻が高いよ、私達」
 その言葉に、クレハはなんだか感情を刺激されて、目尻に涙が浮かんだ。今までお世話になった先輩達は、明後日この学校を去る。その事実が、今になって胸の奥からこみ上げてきた。
「ほら、そろそろ始業だよ。行かないと」
「はい」
 クレハは涙を拭って、他のメンバーと一緒に部室を出る。そのさい、ジュナが先輩達をつかまえて、ひとつの質問をした。
「あの、いま3年生って自由登校ですよね。…学校で、何やってるんですか」
 カリナ先輩の解答は、なかなかに予想外のものだった。
「学科ごとにフリーダムな事になってるよ。理工科の友達は、なんか電子科の連中と組んで、よそのコンピューターからデータを盗み出す特殊な装置とかプログラムとか開発して遊んでる。実際、となりの教室の端末からデータ盗むのに成功したみたいよ」
 それ、卒業式の前に警察が駆け込んで来たりしませんか。クレハ達は若干不安になりながら、おとなしく授業を受けに校舎へと向かった。

 昼休み。フュージョン部1年の6人はいつものように、スピーカーが林立する第2部室で昼食を取っていた。その際、レコーディング担当の村治薫がぽつりと言った。
「嵐が来る」
 その、珍しく詩的な表現に、思わず獅子王サトルは吹き出した。
「飯食ってる時に笑かすな」
「冗談言ってるんじゃない。今月、みんな覚悟しておいた方がいい」
 薫の目に冗談の色がないのを、戸田リアナ、千々石アンジェリーカは見てとった。
「先輩達の件?」
「アルバムの件か」
 そう、1年生にもすでに、例のゴーストライター騒動からの一連の顛末は伝わっていた。その結果ミチル先輩が、会った事もない先輩に向かって、今月中にアルバムを出したうえ、レコ発ライブもやると啖呵を切った事も。もう、目に浮かぶ。
「薫だけじゃねーのか?忙しいのは。レコーディングで引っ張り出されるんだろ、ご苦労様です」
 サトルは薫に向かって合掌した。やめろ馬鹿、縁起でもない。薫はサトルを見て真顔で言った。
「引っ張り出されるのがレコーディング担当だけとは限らない。今から予言しておくけど、先輩達は今までよりも、オーバーダビングを多用してくる」
「一発録りはしないってこと?」
 鈴木アオイは、隣の長嶺キリカの弁当箱から卵焼きをくすね取りながら訊いた。キリカもまた無言で、アオイの弁当箱からアスパラのベーコン巻きを盗み取る。親友どうしの意地汚い応酬に眉をひそめつつ、薫は説明した。
「先輩達は今、新曲2曲の制作と、既存の楽曲のレコーディングを並行して進めようとしている。つまり、ミチル先輩やマヤ先輩が作曲で動けない間、効率を考えて、録音できるトラックは録音しておく事になる」
「なるほど」
「けれど、今まで一発録りに慣れて来た先輩達にとって、いきなり何曲もオーバーダビング方式に切り替えるのは難しい。そこで、どういう方法を採ると思う?」
 薫はキリカに訊ねた。キリカは「うーん」と唸ったあと、ハッと青ざめた。
「…誰かに代わりに演奏させておいて、あとでそのトラックだけを差し替える」
「正解だ」
 薫は缶のブラックコーヒーをひと口飲んで、説明した。
「ミチル先輩がいなければ、アンジェリーカが代わりにサックスのトラックを吹き込む。そのあとでミチル先輩が、改めて正式な音源を吹き込む。マヤ先輩のパートでも同じ事だ。おそらく、サックスのアンジェリーカと、キーボードのキリカが一番忙しくなると思われる」
「理不尽!」
 アンジェリーカとキリカは同時に叫んだ。だが、実際問題そうなる公算が高い。ミチル先輩とマヤ先輩がそれぞれ、新曲を早く完成できるかどうかが問題になる。相変わらず綱渡りのスケジュールだ。このバンドが何年、あるいは何十年続くのかはわからないが、もう一生こんな調子じゃないんだろうかと思えてくる。
「あくまで推測でしょ?そのとおりに行くとは限らないんじゃないの」
「本当にそう思う?リアナ。今から3分後、あのドアからジュナ先輩が飛び込んできて、『おい1年生、飯食ったら全員第1部室に集合!』って言って来ない保証、ある?」
 1年生は、その想像できすぎる光景を想像して、互いの表情をうかがった。そして、そのドアが勢いよく開かれたのは、沈黙が4分33秒続いたあとだった。
「1年生、飯食ったか!第1部室に集合!」
 
 第1部室までジュナ先輩に連行された1年生は、薫が予想した事と寸分違わぬ内容を説明された。おおむね、通常営業のザ・ライトイヤーズである。緊急案件。時間がありません。みんなで何とかしましょう。もはやバンドというより、特殊部隊である。
 ただ、今回の件はミチル先輩が何とかというフュージョン部OGの挑発に乗せられた結果ということで、いつもより何となくおとなしい。というより、何となくバンドがぎこちなく見えるのは気のせいか。こんな調子で大丈夫なんだろうか。
「そんなわけだから、1年生の皆にも、悪いけど制作に協力してもらう。演奏だけじゃなく、機材の準備だとかもね。安くて申し訳ないけど、きちんと報酬も支払う。なんとか、お願いします」
 もとより引き受ける以外に選択肢はないが、マヤ先輩に頭を下げられては、なおのこと断るわけにもいかない。先輩風を吹かせているように見えて、きちっと筋を通す人達だ。
「まず、曲が揃わないうちはどうにもならない。私とミチルで新曲を2曲、デモ音源まで作るから、その間に曲の土台部分を、進められるだけ進めておいて欲しい。みんな、頼んだよ」
 それがのちのち語り草になる、壮絶とまではいかないが、楽しくも混沌とした、短くて長い日々の始まりだった。


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