Light Years(53) : Dream Code
大原家のお盆は、ミチルが幼い頃は親戚が集まる事もあったのだが、近年はごく近い親戚と一緒に墓参りをして終わるパターンだった。
毎年見ている、線香の煙たなびく墓参りの風景だ。そういえば昨夜のテレビで紹介されてたが、東北の一部では賑やかな料理の折り詰めをお墓に供えるらしい。
「ミチルが音楽祭で大活躍したの、きちんとご先祖様に報告したからな」
何ヶ月ぶりかに会った祖父が、誇らしげに胸を張った。
「そういえば、お爺ちゃんも昔出たんだっけ」
「ああ。まだ、今みたいな規模じゃない時代にな。おれが30代くらいの頃に、ちょっとずつスポンサーが増えたんだ。まあ、経済成長期の名残りのイベントだな」
なるほど。何事にも歴史がある。ちなみに祖父は、沢田研二だか誰だかのモノマネじみた事をやっていたらしい。素っ頓狂な人だから、目に浮かぶ。
林立する墓石は、なんだか薫くんの自作スピーカーを思い出す。というか実際に、墓石そっくりのスピーカーが部室にある。
彼は例の編集部から寄稿依頼が来たということだが、文系のイメージもある少年なので、文章くらいお手の物だろう。
さてミチルはどうかと言えば、次の曲に取り掛かったものの、さっそくつまづいていた。帰宅して、例によってEWIを手にするものの、そうそう簡単に次の曲など浮かばない。そもそもミチルの人生初の1曲目は、サビのメロディーが夢に出て来たという代物である。次も、ウトウトしていれば何か出て来るだろうか。眠って作曲するミュージシャン。非効率この上ない。
「作曲か」
ミチルは、ごく身近にいるミュージシャンの卵に何気なく相談した。弟のハルトである。ハルトはTAB譜を見ながらギターと格闘している所だった。
「作曲?オリジナル作ってんの?すげーじゃん」
素直だ。ほんの3年若いだけで、人間こうもシンプルなものなのか。作曲している=すごい。もっとも、クラスメイトの小説を書いている文芸部の子もミチルからすれば凄いとは思うが、いったん作る、創る事を始めると、凄い凄くないの話はどうでもよくて、「どう作るか」に焦点が移るのだ。
「1曲目は作れたんだけどさ」
「なら2曲目も作れるだろ」
「柳の下のドジョウってことわざ、知ってるでしょ」
首からEWIを下げたまま、ミチルはふと、ハルトが見ているTAB譜に目をやった。
「あんた、TAB譜見て弾けるの?」
「ちょっとならね」
「あたしはダメだわ。五線譜の方が見やすい」
「普通は逆だろ」
ハルトは、呆れとも尊敬ともつかない表情で姉を見た。しかし、三日坊主で終わるかと思ったら、あんがい続いているようだ。
「この間のジュナさんの指導、すげえわかりやすかった、ってメンバーの奴ら言ってたよ」
「ふうん。意外な才能ね」
まったく意外だった。ジュナが、人にものを教えられるタイプだとは思っていなかったのだ。だが、エレキギターが苦手と言っていた1年生の戸田リアナも、最近少しずつジュナの指導で慣れてきている。
そのとき、ミチルはふと気付いた。
「…コード進行か」
「え?」
「コード進行から曲を作る」
ぶつぶつ言いながら立ち去る姉を、不審者を見るような目でハルトは見送った。
コード進行の基礎くらいは、ミチルもいちおう知っている。三和音、四和音。合唱の伴奏でも、ギターの弾き語りでも当たり前に使われる、曲の基幹となる3つ、4つの組み合わせの音の並び順だ。
だが、知っているのと、マスターしているのとは別な話だ。ミチルは単音のサックスを集中的に学んできた。だから、楽譜のコードは読めても、ギターで実際に弾く事は苦手なのだ。
コード進行の組み合わせは自由に変えられるが、だいたい基本は同じだ。誰でも知っている名曲、ヒットナンバーも、たいがいは基本的なコード進行に収まるか、基本からの変則である。どんな変態進行にも、基本はある。だが、
「理屈はわかるけど、いざやるとなると難しいな」
ミチルは苦手なDTMソフトを立ち上げて、J-POPなどで「黄金進行」などと呼ばれる、ベタなコード進行を打ち込んで再生した。それに合わせてEWIでメロディーを組み立ててみる。
何となくそれっぽい音にはなるが、本当にただそれっぽいだけで、中身も何もない。その日は何となく、何も作れないまま過ぎて行った。
翌日は朝から薄曇りで、暑くないのは助かるが、妙に静かだ。お盆だからか、誰からも連絡はない。京野さんにも原稿は問題ないと伝えてあるので、こっちからデモ音源を送るまでアクションはない。
そう思っていると、忘れていたようにスマホにメッセージが届いた。3件のうちひとつは広告、あとはマヤと薫からだった。マヤはフュージョン部の1年、2年グループあてに送ったものだ。
『とりあえず私の3曲とミチルの1曲、それぞれ仮オケにまとめてみたので、URLからダウンロードして聴いてみて意見ください。あと、関係者以外に聴かせたらダメだからね。』
早すぎるだろ。もうこのまま、例の映画用のデモ音源って事でいいんじゃないのか。そう思いながら、薫のメッセージも開いてみた。
『事後報告だけど、部の自作スピーカーについて、例の雑誌に寄稿する事になりました。いちおう、部長に報告しておきます』
部長。薫くんに言われると妙な感じだ。なんだか彼も、文章を書くのは早そうな気がする。オタクは我々一般人類と異なり、言葉が即座に大量に出て来る生命体だ。
ミチルは二人に場当たりな返信をしつつ、何気なく薫に訊ねた。
『オリジナル曲の2つめ以降がなかなか出てこないんだよね』
それは、本当に単なる呟きだった。返答も何も求めていなかったかも知れない。聞き流してくれればいい、という類の話だ。
だが、薫くんの返信は意外なくらい早く、的確だった。
『どんな曲を作りたいか、考えればいいんじゃない?』
その一言に、ミチルは雷どころか、巨大隕石の直撃を受けた気がした。
どんな曲を作りたいか。そんな、バカみたいに単純な答えに辿り着くまで、あれこれと迷走していたのだ。それまでミチルは、どうすれば作れるか、という事ばかり考えていた。まな板の前で、どんな料理が作れるかと唸っているようなものだ。そうじゃない。どんな音楽を奏でたいか。作れるかどうか、ではない。何を作りたいか、だ。
眼が開かれる、というのだろうか。ミチルに、本当の意味で「作れる」という確信が出来た瞬間だった。
◇
墓参りも終わって自宅で寄稿する文章をまとめていた薫少年は、ミチル先輩からの返信に首を傾げていた。
『ありがとう。開眼した。視点が°18変わった』
とりあえず『それ鋭角です』とだけ返しておいた。どれくらい開眼したのかは不明である。
◇
そこからのミチルは、自分でも称賛に値すると思えるほどのスピードで、仮のメロディーを何と午前中に6つも作り上げてしまった。もっとも、作ったからといって良作かどうかはわからない。だが、兎にも角にも「作曲する」という事の意味が、掴めた気がしたのだ。
大ヒットしたバンドのボーナストラックの初期音源など、収録する必要あるのかと思えるくらい、ひどいのが普通だ。最初はそんなものだろう。失敗作でもいいから、とにかく作ろう、とミチルは考えた。100曲作れば3つくらい、まともな曲もできるだろう。
それにしても、とミチルは思う。薫という少年は、ミチルが何か迷っている所に、不思議なタイミングで解決につながるヒントを提示してくれる。フュージョン部とオーディオ同好会を合併させるという奇策も彼の存在あっての事だし、市民音楽祭の木吉レミのドタキャンの後、わずか10分足らずの間に穴埋めのセットリストを考えてくれた。表面的に、目に見える形での功績はないように一見思えるのだが、実際は舞台裏で確かにミチル達を支えてくれているのだ。もし薫がいなかったら、フュージョン部は”何事もなかったかのように”、すでに消滅の道を辿っていたかも知れない、と考えるのは誇張だろうか。
その日の夜、ミチル以外のフュージョン部2年生は、驚くよりも困惑していた。ミチルから送られてきたURLにアップロードされている、大量の仮メロディーファイルについてである。その数、じつに16曲。ファイル名も「朝の踏切」とか「夜のマンハッタン」とか「田舎の山奥」とか、抽象的なのか具体的なのかわからない、いかにも仮のタイトルである。
『いいと思うのがあったら教えて。ダメなやつは作曲家(わたし)がダメージ受けるので無言スルー推奨』
そう添えられたメッセージに、ジュナはクスリと笑った。彼女は親戚の家でテーブルを囲んでいる最中なので、さすがにまだ聴く事ができない。豪勢な海鮮料理の写真とともに『あとで聴く』とだけ返しておいた。
マヤはイヤホンを耳に、ミチルから大量に送り付けられた音源を聴いて爆笑していた。ここは姉とのホテルのツインルームである。シャワールームから出て来た姉の明日香は、「もう末期かな」と呟いてレモンサワーの缶を開けた。
ミチルの曲はなかなかひどい。曲などという代物ではない。だが、マヤは賛辞を惜しまなかった。人に聴かせる、という精神力が凄いのだ。やはり、大原ミチルというミュージシャンに注目した、自分の目に狂いはなかった。
そして、大量の曲の中に3曲だけ、荒削りだが間違いなく良い曲があった。「夜のマンハッタン」「ヤシの木とブルーハワイ」そして「夕暮れの部室」という曲だ。そこで、マヤは『この3曲、ちょっと私に預けて』と返信した。
お盆が明け、ミチルは再びバイト先でジュナと再会した。ジュナは会うなり「お前、すげえ奴だな」と言ってくれた。額面通り受け取ってはいけないのは、半笑いの顔を見ればわかる。メイド服に着替えながら、ジュナは少しだけ真面目な笑顔を向けた。
「でも、3曲だけ良かったと思う。荒削りだけどな」
「みんなと全く同じ反応だね」
ミチルは笑った。しかし、全員から同じ反応があるというのも凄い話だ。みんなが挙げてくれた曲については、有望ということらしい。逆に、スルーされた13曲は、それなりの内容だったということだ。
「今日あたり、マヤが仮ミックス音源をアップすると思う」
「あいつも仕事が早いよな。実のところ、マヤって一番プロ志望なんじゃないのか。最初から、そのつもりでお前と組んでる気がしてきた」
そうなのだろうか。ミチルに確信は持てないが、ジュナの直感もバカにできない。ともかく、喫茶店でのアルバイトは今日を含めて3日で終わる。頑張ろう、と拳を突き合わせて二人は店に出た。
その夜さっそくマヤから、実質のデモ音源完成版がアップされ、1年生、2年生の全員が多少の期待を込めて自宅でそれぞれ内容をチェックした。ミチルが4曲、マヤが3曲である。いつの間にかミチルが曲数で上回っていたが、夢に出て来た曲を除けばタイだった。
そしてその夢に出て来た曲「Dream Code」は、他の曲がメンバー間で好みが分かれた中、全員一致でゴーサインが出たのだった。リアナは「文句のつけようがないです。今すぐレコーディングするべきです」とまで言ってくれた。夢に出て来た曲、というのがミチルには多少ひっかかったものの、マーコの「そんなのどうでもいいじゃん、曲が良ければ」という一言で全部解決した。「そんなのどうでもいい」。いい言葉だ。
こうして、件の映画撮影用に起こした仮音源はマヤとリアナによって正式に譜面に起こされ、ミチルとジュナのアルバイトが終了する翌日に部室へ集合して、デモ音源を収録する事が決まったのだった。
何かが動き始めている、そんな予感がミチルたちの心を揺り動かしていた。
「ねー、ドラムのフィルインってこの譜面どおりでないとダメなの?」
マーコが、いかにも不満でございますといった手振り身振りで、譜面を書いたマヤに訴えた。久しぶりの部室に2年生の5人と薫が集合して、オリジナル曲のデモ収録である。今日は昼食も近くのコンビニで調達し、夏休みだというのに運動部なみに学校に居座る事になった。ちなみに薫以外の1年生は、すでに”第二部室”と化したオーディオ同好会部室にて、何やら2年生に触発されてオリジナルナンバーを録音しているらしい。
「仮だからね。あんたの好みで変えてもいいわよ。とりあえずセオリーに従って書いたから、最初はその通りに演奏してみて。そうすれば、不満点がどこにあるかわかるでしょ。そこを直せばいい」
「わかった。…ねえ、ライドとクラッシュの区別いまだにつかないんだけど」
「なに!?」
覚えたんじゃねーのかよ、とマヤはマーコと一緒に譜面を見て、改めて指導した。クレハはいつものように、黙々と譜面を覚えながらベースを弾く。ジュナは久々に遠慮なくギターを鳴らせるので嬉しそうだった。ミチルはと言えば、薫と一緒に譜面を睨んではアルトサックスを吹いてみる。
「こんな感じかな」
「うーん。ここ、長音でワーって伸ばした方がカッコ良くないかな」
「こう?」
薫の意見をもとに、メロディーの一部に変更を加えてみる。うん、いい感じだ。
「ねえ、マヤー。ここちょっと変えてみていいかな」
「どこ」
マヤはこういう時、全員の音をまとめる役割を引き受ける。今回は、少なくとも2年生としては初めてのオリジナル曲だ。全体を俯瞰しながらも、個別にチェックできるマヤの力は不可欠だった。
「よーし、まずはリズム隊から合わせてみようか」
パンとマヤが手を叩くと、クレハとマーコがアイコンタクトを取り、スティックがリズムを取った。譜面通りにまずドラムのフィルインから始まり、スピード感のあるベースがスタートする。テンポはT-SQUARE”TRUTH”に近いが、コード進行的にはもっと明るめだ。薫いわく"T-SQUAREにだいぶ影響を受けたスパイロ・ジャイラ風味のキャンディ・ダルファー"とのことである。
「うん、いいね。じゃあ全員でとにかく合わせてみよう。いくよ」
参謀総長マヤのゴーサインが出た。いよいよだ。緊張の一瞬。再びマーコのドラムから、今度はベース、少し遅れてキーボードのイントロが入る。一瞬の無音が挟まれて、ジュナのギターが唸り、ミチルのサックスがメロディーを響かせた。
何という爽やかで、希望的なメロディーだろうか、と、演奏しながら全員が思った。ミチル自身、これを自分が生み出したのか、と感動を覚えずにいられない。Bメロでいったん音が落ち着き、キーボードとハイハットだけの静かなパートから、一気に”ミチルの夢に出て来たサビのメロディー”へと移行する。
それは、言葉では説明のできない体験だった。初めて演奏するはずの曲なのに、どうしてこれほど息が合うのか、誰一人として説明がつかない。演奏が完璧なわけではない。ところどころミスがあったり、音が抜けてしまった箇所もある。だが、そんなことは問題にならないくらい、これはバンド「Light Years」の曲だった。
演奏が終わった時、メンバーは市民音楽祭で放心状態になった時の事を思い出していた。自分達はついにここまで来た、そんな感慨が共通の思いとしてあった。いける。私たちはやれる。
「薫くん、どう?」
恐る恐る、ミチルは”プロデューサー”薫にたずねた。薫は微笑んでサムズアップしてみせた。
「完璧だよ。じゃあ、細かいミスを修正して、本番といこう」
薫はいつものように、ノートPCの前に陣取ってレコーディングアプリを立ち上げた。
”伝説の夏”は、いよいよ終幕に向けてゆっくりとリズムを刻み始めた。