Light Years(114) : Tourist In Paradise
ミチルたちザ・ライトイヤーズは、ステージで演奏準備を進めながら、ついさっきファンの女の子から教えられたSNSでの話題拡散について思い出していた。
決して、爆発的な話題というわけではない。単に話題性だけを問題にするなら、ザ・ライトイヤーズを明らかに模倣した、メジャーレーベルの後発ガールズフュージョンバンドの方が、明らかに盛り上がっている。彼女達は毎週のようにTVに出てくるし、ほとんどアイドルと変わらないレベルの人気だ。勝ち負けなんか競っても何の意味もないが、仮に商売の成功でそれを論ずるなら、ミチル達は明らかに"負けて"いる。
だが、握手を求めてきた彼女達は言った。
「ミチルさん、世間に吹奏楽やってる女の子、一体どれだけいると思ってます?」
その一言で、ミチルはハッとさせられた。そうだ。あくまでサックス主体の場合だが、フュージョンには吹奏楽の側面が確かにある。まさかと思って訊ねたところ、彼女たちもやはり高校の吹奏楽部所属だという。スマホを見せてくれた彼女は、バスクラリネット担当だった。
「そうです。いま、吹奏楽部の女の子達が、ライトイヤーズに注目しているんです。すでに、ライトイヤーズの楽曲を演奏している部活もいるんですよ!」
それは、考えも及ばない事だった。
「吹奏楽部でフュージョンの曲を演奏するのは、別に珍しい事じゃないですよね。ミチルさんも中学の時に、吹奏楽部だったって聞いてます」
そのとおりだ。ミチルはアルトサックスをやりたくて吹奏楽部に入った。パートを決めるオーディションで力を入れ過ぎたため、感心よりもドン引きされたのは、懐かしくも嫌な思い出である。
「同世代の女の子が、フュージョンっていう表現で活躍してるのって、私達にはすごく新鮮だったんです。なんていうか、きちんとフュージョンしてるじゃないですか。無理に現代風に寄せようとしてなくて、古典的なフュージョンを今の女の子がやるとこういう音になるんだよ、みたいな」
その言葉に、ミチルは自分こそ励まされた気分だった。ミチルの音楽をもっとも理解してくれたのは、同世代の女の子達だった。アイドル性ではなく、あくまでも音楽を追求する仲間として認識してくれているのだ。表現に共感してくれるのは、何も世間一般の人間だけではない。何かを追求する者同士の間だけに、生まれる共感もある。妙な高揚感を覚えながら、ミチルはステージに向かった。
「サックスの音いいですかー」
ミチルとユメは、普段の商工会議所の所員は仮の姿、その実態はベーシストにしてモグリの音響のおじさんに確認を取った。経歴は不明である。
「はいオッケー!」
おじさんの声がアスファルトに響く。ミチル達だけのために新たにマイクが用意されたので、やや申し訳ない気分だった。例年、まれにサックスとか、トランペットの人も出演するのだが、今回は軒並みふつうのロックバンドで、ブラス系のバンドはいなかった。むろん、フュージョンバンドなどミチル達以外いない。
ステージ下には、もう人が集まっていた。ザ・ライトイヤーズが出演するというのは当然すでにアナウンスされていた。
「エントリーはあくまで"フュージョン部"なんだけどな」
ジュナは、ストラップの位置を確認しながら苦笑した。そう、あくまで南條科技高フュージョン部、という名義での出演なのだが、ライトイヤーズだという事は明らかなので、人が増えるのは当然ではあった。さすがに予想以上に増えてしまったため、スタッフが総出で交通整理に出る有様だ。ミチル達は心の中で"ごめんなさい"と謝りながら、ポジションについた。
『あー、あー。ただいまマイクのテスト中』
『それは今終わったんだよ!』
ミチルとジュナの漫才で、会場に笑いが広がる。今日は街角のお祭りであって、肩肘張る必要はないのだ。
『えーと、言っとくけど今日は私達、フュージョン部だからね!コピーしかやらないよ!』
もう、ミチル流のMCがだいぶ出来上がりつつあった。スタンスはライトなロックバンドのノリで、というスタイルが、この頃だいたい完成する。つまるところ、これこそがザ・ライトイヤーズの画期的な側面だった。接し方はフレンドリーに、しかし楽曲はオールドスクール、古典的な表現に基盤を置く。ダンスチューンだとか、ヒップホップの要素で現代に迎合する事は決してなかった。
今日もステージにはオールドスクールなフュージョンナンバーが流れる。ハイハットがシンプルな16ビートを刻み、ゆったりと長尺に、しかし正確なベースが刻まれる。気だるげな午後の日差しを思わせるシンセが、爽やかな空気を演出した。この、音が流れた瞬間にその場が支配されてしまう感覚が、ザ・ライトイヤーズというバンドの特徴だった。ザ・リッピントンズ”Tourist In Paradise”。まさしくフュージョンの王道を行く名曲だ。
ミチルとユメは、随所でサックスの合奏を聴かせた。ずっと一緒にサックスを練習してきた2人であり、互いの呼吸は目を見なくてもわかる。本来サックスはひとつの曲であり、ほとんど即興での演奏だった。
実はこの曲は本来、ギターの出番がない。というより、これが主役、というパートがないのだ。なので、ミチルたちはリッピントンズのライブのアレンジを参考に、ギターのパートを増やしている。ジュナは年に数回しか使わない、コーラスエフェクターでトゲのないギターサウンドを演出した。レスポールから爽やかなサウンドが流れるのも、絵面的には新鮮である。
ミチルたちはたいがい、頭にインパクトのある曲を持って来るので、今回のような柔らかめのトーンで始まるのは珍しかった。これは、秋の爽やかさを演出しようという試みである。ミチルは、久しぶりにユメと一緒のステージでサックスを吹けたのが嬉しかった。
1曲目を終えると、拍手のなかミチルは再びマイクに向かう。
『えー、本日私の隣でサックスを吹いているこの人。みなさん、誰?と思っている事でしょうけど、ほんとに誰なんでしょうね』
『おい!』
『なんか気が付いたらここにいるんですよ。私はフュージョン部の佐々木ユメだ、大原ミチルにサックスを教えたのは私だ、って言い張ってるんですけど、ほんとに知らないんですよ、わたし』
ここで、ミチルの後頭部をユメ先輩がひっぱたく。客席からは爆笑が起きた。ユメ先輩はマイクを奪って喋り出す。
『えー、恩を仇で返すっていうのはこういう奴の事を言うんですね。なんか最近はザ・ライトイヤーズとか名乗って調子に乗ってますけど、こいつにジャズ、フュージョンのサックスを教えたのは私です。べつに、売れてる後輩のネームバリューを最大限利用しようとか、そういう浅ましい魂胆は一切ございません。あ、ちなみに私ども3年生も、”Electric Cirquit”っていう名前のバンドで活動してますので、サブスクで検索かけてみてください』
そこへ、ジュナからツッコミが入る。
『あのさ、漫才やりたいんだったらそういうイベント多分あるから、そっちでやろうよ』
結局漫才から離れられない。ライトイヤーズの”客を笑わせる”という精神もまた、佐々木ユメをはじめとした現・3年生から受け継いだものである。
そのときミチルは、オーディエンスの中に3年生のソウヘイ先輩、ジュンイチ先輩、カリナ先輩、ショータ先輩が笑っているのに気が付いた。3年生揃い踏みだ。5人を一緒に見られるのは、あと4か月くらい。この光景を忘れまい、とミチルはその瞳に焼き付けた。
2曲目、スパイロ・ジャイラ”ピポズ・ソング”。これも1曲目同様、爽やかなフュージョンサウンドだが、1曲目を車のドライブとすれば、こっちは自転車か徒歩の散歩、といったテンポである。Aメロのアコースティックギターは、ジュナがレスポールのクリーントーンで対応した。レスポールは甘めのサウンドなので、ストラトキャスターのようなシャープな表現は一歩譲る。だが、これはこれで悪くないな、と思うジュナだった。
この曲はシンプルながら、ダブル・サックスが存分に活かせるナンバーだ。ユメ先輩が参加すると知っていたからこその選曲でもある。また、ゆったりしていながらサックスの演奏への要求はそこそこ厳しい。それほど高度な奏法は必要ないのだが、それだけに崩れを見せないナチュラルな演奏、完璧な音程が求められる。後半のソロはユメ先輩に任せたが、やっぱり安定していて上手いなあ、とミチルは思った。トリッキーな演奏はミチルの方がひょっとしたら得意かも知れないが、スローテンポで地に足のついた正確無比な演奏になると、まだミチルはこの人には及ばない。
一緒に演奏しながら、ミチルはユメ先輩にジャズ、フュージョンの奏法を教わった日々を思い出していた。ミチルは中学校では吹奏楽をやっていたので、いくらかそっちに表現が流されていた。キャンディ・ダルファーの音が出せなくて悩んでいた所に、ユメ先輩はまず、キャンディを表面的に真似るのではなく、もっと根本的なジャズの理論を体感的に覚えろ、と指導してくれた。誰かの表現を表面的に真似ても、それはただの真似にすぎない。
大雑把に言うなら、ジャズ・フュージョンのサックスは個人の表現であり、吹奏楽・クラシックのサックスは調和のための表現だ、とユメ先輩は言った。そもそもあり方が違うのだから、まず吹奏楽で染み付いた感覚から脱却しろ、と徹底的に叩き込まれた。具体的にはアンブシュア、口の筋肉の使い方による音色のコントロールだ。ミチルは独学で覚えていたつもりだったが、ユメ先輩の出す音を聴いた時、自分がまだ振り切れていない事を一瞬で悟った。
演奏をジャズの感覚に振り切る事。これをミチルに教えたのは、佐々木ユメだった。演奏のセンスはミチルが持っていたかも知れないが、それをユメ先輩はジャズの理論に正しく導いてくれたのだ。マウスピースの選択、リガチャーの選択、何もかもユメ先輩から受け継いだ。ミチルの音の半分は、ユメ先輩の音だった。
2曲目も終わり、パラパラと拍手が送られる。爽やかな2曲で、ああ今日はこういう雰囲気で行くんだな、とオーディエンスは思い始めたようだった。それこそ、フュージョン部が仕掛けた罠だ。MC無しで、マーコのドラムがリズムを取ると、ミチルとユメのサックスが力強いイントロを響かせた。
冒頭のサックスのソロはミチルが担当する。テクニカルでファンキーなサウンドは、ミチルの独壇場だ。そのままマヤのシンセと、ダブルサックスに移行し、クレハのベースのスラップが空間を揺るがす。T-SQUAREの”MEGALITH”。市民音楽祭でも演奏した難曲だ。そのはずだが、もうミチル達にとってはこれも定番のナンバーである。1年生の頃は頭がおかしくなりそうだった間奏のリズムも、今や誇張抜きで寝ながらでも演奏できる。ジュナはほとんどリフ、カッティングだけでソロがないのが本人的には不満らしいが、この曲は楽なパートなど存在しない。サックスもギターもベースもドラムスもキーボードも、等しく忙しいのだが、だんだんその忙しさが快感に変わって来る。
ユメ先輩はテクニカルな演奏も難なくこなしてみせる。音程の正確さで言えば、たぶんミチルより上だ。2人のサックスのハーモニーは完璧かつパワフルで、オーディエンスは最初の2曲からガラリと変わったファンクサウンドに、最初は呆気に取られ、次第にそのサウンドに高揚していった。
ラストのサックスは、2人のユニゾンが秋の空に高らかに響いた。演奏が終わると、さっきとは違う盛大な拍手と歓声が沸き起こる。オーディエンスの盛り上がりは最高潮だ。マーコのバスドラムが、”いつものリズム”を刻み始めた。
『すっごい人増えてきたね!それじゃラスト、いくぞ――――!』
ミチルの凛とした声が、商店街に響き渡る。マヤのキーボードがおなじみのイントロを奏で、ジュナのギターが重なった。T-SQUARE”TRUTH”。ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのラデツキー行進曲と同じく、ラストはこの曲でなくてはならない。たぶん旧約聖書にも古事記にもそう書かれているはずだ。
ミチルとユメ先輩は、素早く持ち替えたEWIでメインのメロディーを吹いた。これも原曲とは違うコーラスサウンドである。先輩との合奏は楽しい。大人になっても、ときどき2人で演奏できればいいな、と思う。
間奏のギターは、ジュナが”やっとあたしの出番か!”みたいな勢いで、とんでもない演奏を聴かせてくれた。ステージ下で聴いている見知ったバンドのギタリスト達が、苦笑したり呆気に取られたり、ある人はなぜか爆笑したりしている。なんでそこまで変態フレーズを弾く必要があるんだ、という事だろう。ミチルもそう思う。
クレハもマーコもマヤも、みんな楽しそうだ。昨日までオリジナル曲の演奏で必死だったので、こうして好きなナンバーのコピーを思い切りやれるのは、何よりも楽しい。いつか、自分達の曲もこんな気持ちでできるようになるだろうか。その日が来るまで、活動を続けられたらと思う。
ラストのEWIは、ユメ先輩とミチルのアドリブ・バトルが2分近く続くという変態構成だった。互いのフレーズとフレーズがぶつかり合う。楽しい。こんな演奏ができる相手は、そうそういないだろう。先輩と肩を寄せ合って、心ゆくまで2人のサウンドを楽しんだ。
マヤに目線で”もういいよ”と伝えると、キーボードがラストのフレーズを奏で、ラストは全員のアドリブで一斉に締め括った。
『サックス、佐々木ユメでした!みんなありがとー!』
最後に先輩を立てて、みんなでお辞儀する。昨日のジャズフェスからの、一連の演奏がついに終わった。ミチルたちは拍手と歓声のなか、やり切ったという清々しい気持ちでステージを降りる。さすがにオーディエンスもわかっているのか、今回はアンコールはなかった。さっき会ったミチルたちのファンの子たちも、両手を振って声を上げている。
「先輩、今日はありがとうございました!」
ミチルは楽屋で、ユメ先輩に頭を下げた。もともと、ミチルの要望でステージに立ってもらったのだ。先輩は笑ってミチルの肩に手を置いた。
「こっちも楽しかったよ。久しぶりだもんね、2人で吹くの。あなたは浮気して、菜緒と吹いてたけど」
「あっ、あれはその」
しどろもどろになるミチルが可笑しいのか、先輩は吹き出して言った。
「よし、じゃあ今度、菜緒も入れて3人でやろう」
「ほんとですか!…いつ?」
「さあ。そのうち何かあるでしょ、あんた達の場合」
またか。しかし、本当に何かありそうで怖い。ステージに出てもらえませんか。急で申し訳ないんですけど。そんな事が、この先も起きないという保証はない。だが、先輩2人と一緒にステージに立てるなら、どんなステージでも構わない。そう思うミチルだった。