Light Years(130) : ルパン三世'78
もう12月にもなると、いよいよ受験を控えた3年生は勉強に集中して、今までは部室にフラリと現れたりしていたのに、もうまるっきり姿を見せなくなった。ミチルもユメ先輩とは、ほとんどLINEで少し会話する程度だ。それは他のメンバーも同じようである。
それを受け入れられないほど子供ではないが、やはり一抹の寂しさはある。だから、後輩がいてくれるのはとても有り難かった。特にミチルは、アンジェリーカとのコミュニケーションが以前よりも活発になっている。
「サックスの解釈はプレイヤー次第だから、自分でこれだと思う音を見付けられれば、それが自分の個性だと思う」
ミチルはそれまでろくに指導できていなかった事もあり、ヴァイオリン講習がないこのタイミングで、アンジェリーカにつきっきりで演奏について教えていた。1年生の映像組は、フュージョン部ならびにライトイヤーズのWEBページについて会議中である。
アンジェリーカは集中講義が新鮮なのか、目に見えて身が入っている。ミチルの言葉を聞き漏らすまいと、耳を傾けていた。
「あなたのサックスはものすごく上手いんだけど、まだ吹奏楽の"調和"の演奏から脱却できてない。私は吹奏楽時代、その逆で苦労したんだけど…はい、そこ笑わない!」
ミチルは、傍らで薫と一緒にカシオEG-5を直しながら聞いていたジュナにツッコミを入れた。ミチルはアンジェリーカの、ハーモニーを意識するあまり主張が弱い演奏について指摘したのだが、ミチルはミチルでもともとジャズファンクから入ったせいか、上手いは上手いが、吹奏楽部の演奏に合わせるのに苦労したのだ。
「以前も指摘されて、意識してはみたんですけど…」
「もちろん、主張ばっかりじゃ困るから、あなたの"合わせる"能力は、そのまま大事にして欲しい。ただこう、なんていうか…ジャズやフュージョンは、調和の捉え方がクラシックと異なる、って言えばいいのかな」
そこへ、マヤが補足してくれた。
「ミチルが言ってるのは、わりと高い次元の話だからね。あなたならもっと上を目指せるってこと。まあ理論ばっかりで頭でっかちになっても仕方ない。ミチルの代わりに一曲やってみたら?」
マヤの提案で、"ルパン三世'78"を合わせてみる事になった。もはや日本人なら乳幼児以外は全員知っていると思われる、ルパン三世のTVセカンドシーズン初代オープニング。ジュナはコンデンサー類の交換作業に飽き、クレハとマーコも譜面のチェックに飽きたのか、張り切って参加した。
「いくよ。ワン、ツー」
マーコがスティックで音頭を取る。全パートがほぼ一斉に始まるイントロなので、きっちり息を合わせないといけない。だが、そこはアンジェリーカが得意とする所で、わずかな狂いもなく2年生に合わせてきたのにはミチルも驚いた。アンジェリーカの、音程が一切狂わない演奏にも全員が素直に感心した。これぐらい正確にできるなら、それはそれでひとつの強みである。つまり、本番でミスを犯す可能性が少ないということだからだ。
だが、間奏のサックスのソロでアンジェリーカの弱点が見えて来た。ソロは音程の正確さよりも、右脳的な感性が重要になる。サーキットのコーナーを教科書通りに通過するのではなく、縁石に乗り上げ、ランオフエリアにはみ出しながら、きっちりレーシングラインに戻ってくるような、アグレッシブな演奏が求められるのだ。
演奏が終わって、マヤ先輩とジュナ先輩も「なるほど」と頷いた。アンジェリーカは、ドキドキしながら講評を待った。
「ミチルの言ってる事もよくわかる。特にソロパートで、まだ思い切りが足りないね」
「要するに、アドリブの練習だろ。ミチル、吹いてみなよ」
「いいよ」
今度は、ミチル先輩が代わって同じ曲を合わせてみる。メインのパートでは、アンジェリーカも大差ない。むしろ音程という意味では、アンジェリーカの方が安定感がある。
だが、ミチル先輩が下手という意味ではない。ミチル先輩もやろうと思えば、楽譜通りの正確な演奏ができるのは、同じサックス奏者のアンジェリーカにはわかる。だが、正確すぎる音は面白味に欠ける、というよく言われる現象は真実らしい。ソロパートに入ると、アンジェリーカは目を瞠った。
これは音を外しているのではないか、とも思えるようなピーキーな演奏が、ダイナミックでゾクゾクするサウンドを生み出す。吹奏楽部時代、いちおう存在するアドリブパートを、見本譜どおりに吹いていたアンジェリーカには難しいサウンドだ。話によると、ミチル先輩はこういうピーキーな演奏を吹奏楽部で好き放題に吹いて、大目玉を食らったという。そんな演奏ができる中学生がおかしいのだが。
気のせいか、ミチル先輩の演奏に引っ張られる形で、他の演奏も生き生きと聴こえる。そうか、これがマヤ先輩が言う、調和の捉え方が違う、という意味か。お手本を聴いているうちに、ただのオーディエンスになってしまっていた。気が付いたら、演奏は終わっていた。
「マヤは”思い切り”って表現したけど、ちょっと表現としては違うかもね。言わんとするところは同じだろうけど」
ミチル先輩はサックスを口から離すと、アンジェリーカを向いた。
「無暗に滅茶苦茶な演奏しろって事じゃないんだ。ここはホントに説明するのが難しくてさ。これはもう、自分で掴む以外にないんだけど」
「先輩は、そういう感覚をどうやって身に付けたんですか」
アンジェリーカは、ごくシンプルに訊ねた。先輩は自分のケースを思い出すように、斜め上を睨む。
「私は、とにかくキャンディ・ダルファーに憧れてたからさ。入り口がフュージョンというより、正確にはジャズ・ファンクだったんだ。そうだね、キャンディの音源を聴いてごらん。ひたすら聴くのも勉強するひとつの方法だよ」
そう言うと、ミチル先輩はキャンディ・ダルファーのサックスのコピーを演奏してみせた。タイトルはわからないが、確かにミチル先輩らしいサウンドだ。明るいけれど重心が低くて、どこか泥臭さも伴って聴こえる、不思議なサックス。音程は正確なのに、何とも言えないキレの良さとピーク感がある。かと思うと、ドキッとするほど色気のあるサウンド。とても高校2年生が出すサウンドには聴こえない。
「そうだなあ、ジャズ・ファンク全開の曲もやってみたいな。キャンディみたいな」
唐突に先輩はそんな事を言い出した。アンジェリーカへの指導の時間ではなかったのか。だが、もう先輩の中ではスイッチが切り替わっているらしい。
「よし、アンジェ。宿題だよ。サブスクに作ってある私のキャンディ・ダルファーのお気に入りプレイリスト、あとでLINEで送るから、全部聴くこと。それで、気に入った曲があったら吹いてごらん」
「はっ、はい」
「そうだなあ、ちょっとだけアドバイスしよう。キャンディの奏法の特徴はね」
そのあと、第二部室のリアナ達が戻って来るまで、ミチル先輩による”ジャズ・ファンク講習”が続いた。何曲も実演してみせたそのサウンドで、ミチル先輩の音楽的ルーツというものが確かにわかった気がする。先輩のサウンドを学ぼうと思ったら、まず先輩のルーツを尋ねてみるべきだったのだ。
といってもジャズファンクというのはすごく定義が曖昧らしく、実際に先輩はジャズ・ファンクを入り口として、フュージョンに行き着いたあと、フュージョンを起点にジャズ、ロックも学んだという。音楽のジャンルって一体なんだろう、とアンジェリーカは思ってしまった。
「お前も薫と同類だな」
帰りの電車の中で、ジュナはミチルに笑いながら言った。薫は少し離れた席で、相変わらずサトルと談笑している。
「同類って、どこが」
「好きな事について語り出すと、止まらなくなるだろ」
「そんなの、誰だって大なり小なりそうでしょ。あんただって、ジミー・ペイジとエディ・ヴァン・ヘイレンの偉大さについて語り始めたら止まらなくなりそう」
「朝まで話せる自信がある」
それ見ろ。ミチルは笑った。みんな何かが好きで、何かのオタクなのだ。一般人はそのオタク度が極めて低いだけである。
「ジャズ・ファンクの曲も作りたいって、マジでやるのか」
「うん。曲っていうか、それこそアルバム作りたいね。ファンクなら、あんたのギターも大活躍じゃない?」
それを聞いて、ジュナはまんざらでもなさそうな顔をした。ジャズ・ファンク。確かに、ジャンルとしては世間の人々は馴染みがなさそうにも思える。だが、さっき演奏したルパン三世だって、ジャズ・ファンクの要素はあるのだ。
「あたしも曲作ってみるかな」
「おっ」
「作れるかどうか、わかんないけどな。正直、お前もマヤも凄いと思う」
ジュナが突然真面目な表情を見せたので、ミチルは少しだけ面食らった。だが、ジュナは誰よりもストイックな内面を持っている。作曲をミチル達だけに任せている現状は、自分で納得できていないのだろう。
「実際、曲ってどうやって作ってるんだ?メロディーが浮かんでくるのか」
「まあ、そんなとこ。浮かぶ事もあるし、唸って何種類もデタラメに作ってる中から、いけそうなのをピックアップする事もある。あとは、漠然とした曲のイメージから入る事もあるね」
「そういう説明をできるところが、もう凄いんだ。お前たち、自分が何歳かわかってるか」
16歳。マヤ、クレハはとっくに17歳になった。ミチルはメンバーの中でいちばん遅い、2月生まれである。
「うーん。あんまり歳は意識したことないかな。若くても歳食ってても、できた作品が良ければそれでいいんじゃないの」
「ミチル。作曲のコツ、あたしに教えてくれ。あたしも作ってみる」
ジュナの真面目スイッチが入った。こうなると、とことん真剣になるのをミチルは知っている。ミチルも、真剣に応えることにした。
「いいよ。ただし、私だってまだ手探りの連続だって事は、覚えといてね」
「手探りでも何でもいいよ。お前の感性を信用する」
「わかった。じゃあこんど、マヤも交えて作曲について勉強しよう」
ミチルは、相棒が橋をひとつ渡ろうとするのを、頼もしく思った。ジュナはいったい、どんな曲を作ってくるのだろう。いずれT-SQUAREのように、メインはマヤとミチルが作曲して、ときどきジュナ達も楽曲を提供するようなスタイルになれば面白いだろうな、と思った。
そういえば、クレハは将来アニメのサントラを作るのが夢だと言っている。そういう音楽も自分達で演奏できたら、面白いだろうなと思う。夢はどこまでも広がる。このメンバーなら、何でもできそうな気がした。流れる車窓の街明かりを見ながら、ミチルは何かがひとつの到達点に辿り着くような予感を覚えた。何かが、ひとつの地点に向かって極まりつつある。その後、何が起こるのか、それはわからない。
その後も、表面的には今までになく落ち着いた日々が続いた。アンジェリーカはミチルに言われたキャンディ・ダルファーのプレイリストを聴き、自分なりにサックスの練習に励んだ。
肝心のザ・ライトイヤーズはというと、1年生の提案で、まず試験的にインスタグラムの公式アカウントを作る事になった。ここは、メンバーが実際に記事を投稿する。そして、Youtubeにもフュージョン部ではなく、正式に”ザ・ライトイヤーズ”の名義で公式チャンネルを開設する事も決定した。過去にフュージョン部扱いで投稿したPVも、すでにこちらにアップロードしている。一時期の話題性はすでにピークを過ぎたようだが、それなりに安定した再生数は得られていた。
「先輩達は、アピールするっていう事を真剣に考えるべきです」
キリカが真顔で迫るので、ミチルたちは後輩に気圧されて黙ってうなずいた。
「先輩たちはルックスがいい。これはきっちり活用すべきだと思います」
何ら悪びれる事なく、キリカは言ってのけた。ルックスがいい。改めてそう言われても、ミチル達は何とも返答しがたい。
「天は二物どころか、五物も八物も与える事があります。そこで遠慮する必要はないんです。むしろ全部を堂々と活用して、多くの人を楽しませるのが義務です」
「すげえ事言いやがるな、お前は」
ジュナが、突然熱弁をふるい始めたキリカにようやく返せたのがその一言だった。どうやらキリカも、話せば止まらなくなるタイプらしい。サトルやアオイは最初からわかっているらしく、特に驚いている様子もなかった。
「まあ、私達に義務があるかどうかは別として。魅力的なPVを作るっていうなら賛成だね」
「はい。それも、できればワールドワイドに対応するものを作るべきだと思います」
「ワールドワイド?」
ミチルは、キリカの指摘に首を傾げた。
「どういうこと」
「何も、難しい事はありません。先輩たちは、どちらかと言うと世界、具体的には北米とヨーロッパを中心に注目を集めています。これも、きちんと利用するべきです」
「要するに、欧米でウケるようなPVにするってこと?」
「そうです。ダサいデカ文字サムネイルで、ひたすらビル・ゲイツみたいな仕草で延々しゃべり続けるようなのは無しです。オシャレに、クールにいきましょう」
なんとなく、キリカの根っこはジュナと似ているのではないか、とミチルは思った。ジュナが妙に渋い顔をしているのは、自分を鏡に映しているような気がしているからではないのだろうか。
「そうなると、マーコの出番かな。ビジュアル面は強いから」
「そうだね。サムネイルは任せていいと思う」
マヤとミチルの提案に、クレハも頷く。マーコはというと、自分を指差して「あたし?」と確認を取っている。
「なんだか、私たちの専属の映像チームみたいね。いっそ、ギャラを払ってきちんとお願いしたらどうかしら」
クレハの提案に、1年生達は一様に手と首を横に振った。なんかそういうオモチャなかったか。
「とんでもないっす!」
「先輩達からお金取るなんて!」
3人は、あり得ないというような表情である。そこへ、ミチルは極めて真面目な顔で伝えた。
「とんでもないのは、あなた達の考え方よ。私達は自分の判断でチャリティーみたいな活動をする事はあるけど、それに付随する活動にはきちんとお金は払う。といっても、現時点で収入なんて言えるような収入はないけど」
ミチルは、自分で言って肩を落とした。実際、人気が出て来たといっても金銭的にはほとんどないに等しい。ジャズフェスのギャラはある程度まとまった額ではあったが、それでも新人アーティストなどそんなものだろう、というほどの額である。
「PVを作ってくれるっていうなら、制作費はきちんと払う。といっても、どれくらい払えばいいのかわからないから、そこはきちんと話し合おう。私達はいちおう、プロの末席を汚してる程度の自負はある。その自分達の活動のためにコンテンツを作らせて、1円も払わないっていうのは道理に合わないし、プライドも許さない」
そのミチルの説明に、今度はキリカ達が気圧されているようだった。遊びでやっているわけではない、という事が伝わったのだろう。実際ミチル達も、まだ趣味でやっているという感覚から抜け切れていない所はあるが。
「どう?それでいいなら、ザ・ライトイヤーズとして正式に、有料でPV制作を依頼するわ。窓口担当は誰になるのかしら」
マヤ、クレハ達もミチルに異論は唱えない。仕事をさせるからにはギャラは払う。キリカ達は若干狼狽えつつも3人で話し合い、ようやくまとまったらしく、キリカが答えた。
「わかりました。私達、動画制作チーム”こりあんだー”が、ザ・ライトイヤーズからのPV制作の依頼をお受けします。詳細はこれから話し合う事にしましょう」
「よし。商談成立ね」
ミチルが差し出した手を、キリカがしっかりと握り返す。どちらも、真剣な表情をしていた。そうだ、それでいい。いつまでも、後輩だからと甘えていてはいけない。そして、プロの依頼を受けた瞬間、彼らもまたプロの道を踏み出した。これが、どういう帰結を迎えるのか。それは、その時のミチル達には、まだわからなかった。