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Light Years(31) : ASAYAKE

 翌朝、通常授業がある最後の登校日。ミチルたちは体育館に機材が運び出され、一時的にガランとしたフュージョン部の部室に集まっていた。
「こう?」
「だから薬指の曲げ方が違うんだって、こう!」
 座り込んで青いアイバニーズでギターのコードの練習をしているミチルに、背後からジュナが二人羽織状態で覆い被さって、文字通りの密着指導が行われていた。その様子をリアナがじっと見ている。
「ギター弾ける後輩が2人も入ってきたんだぞ。簡単なコード進行くらいできるようになれ。あの本田雅人なんかサックスプレイヤーなのに、ギターもベースもできるんだぞ」
「あたしあんな変態マルチプレイヤーじゃないもん!」
 だいぶ失礼極まる泣き言を言いながら、ミチルは目の前のTAB譜と格闘していた。
「はーい、ちょっと集合ー」
 マヤがパンと手を叩いて、何気に大所帯になったメンバーたちを招き寄せた。みんながゾロゾロと立ち上がる中、ミチルとジュナは二人羽織状態のままの起動を試みた。
「よしミチル、左脚から行くぞ」
「わかった、せーの」
「よいしょ」
「合体解除してから来い!」
 マヤが声を張り上げる中、女子高生合体ロボはメンバーの背後に立った。フュージョン部の”参謀長”マヤは、スマホの画面を見ながら説明する。
「クレハとマーコから、面白い提案があったので検討したい」

 その提案内容に対する、メンバーの反応は「なるほど」「いいんじゃないの」などと、おおむね好評だった。
「部長の意見は?」
 マヤは、ジュナと横顔が密着したままのミチルに判断を仰いだ。なんだかんだで、最終的にはミチルが判断を迫られる。
「うん。なかなか面白いと思う。向こうがいいなら、進めちゃって」
「わかった。演奏については各自、問題ないね」
 いちばん重要な問題を、マヤは全員に確認した。2年生は平然としたもので、今すぐでも何の問題もございません、といった様子である。1年生はさすがに緊張の色があった。
「1年生の演奏はまあ、オマケみたいなもんだよ。気にしなさんな。失敗したら全部あたし達が悪い、って思っておきなさい」
 つっけんどんなマヤの言葉に、1年生たちはそれなりに気が楽になったようだった。
「準備はオッケーってことだね」
「あっ、ねえみんな、ちょっと聞いて」
 二人羽織状態のまま、ミチルが挙手した。
「司会っていうか、進行は私と薫くんに任せてもらえるかな」
「え?うん、やってくれるなら私は楽でいいけど」
「それじゃ薫くん、頼んだからね」
 ミチルに向かって、薫は落ち着いた様子で頷いた。

 その日のフュージョン部、主にマヤとクレハは休み時間も昼休みも、本来は演奏の準備も終わって特にやる事がなかったはずだが、実際は打ち合わせに奔走する事になった。
「クレハ、環境整備委員は話つけておいた。そっちは?」
「とりあえずOK。まだ準備は整ってないけど、向こうがやたら乗り気みたい」
「助かるわね」
 マヤとクレハが話している所へ、マーコが走ってきた。
「話ついたよ。昼休み、できれば全員来てくれ、だって。寸法確認するから」
「全員!?…わかった、私は何とかする。他のメンバーに話通しておいて。ほっとくと部室に行っちゃうから」
 なんだか、クレハ達の思い付きで持ちかけた話がどんどん大きくなって行くな、とマヤは唸った。
「昨日の搬入係に報酬は渡したの?」
「ぬかりありません」
「よし。あとは…」
 マヤは、クレハに向き直ってひとつ確認した。
「例の"保険"はどうなってる?」
「問題なし」
「…まあ、杞憂であればそれに越した事はないんだけどね」
 廊下から吹き込む風に目を細めて、マヤは小さく呟いた。

 最後の最後まで結局忙しないフュージョン部だったが、いよいよ最終ラウンド、教員による部活動の審査の時がやってきた。教員たちは指定されたとおり、揃って第二体育館へと足を運んだ。理工化の清水美弥子先生もいる。その7人とは別に、立会人としてフュージョン部顧問の竹内先生も同行した。
 だが、体育館の入口に差し掛かったところで、阪本敬三教頭をはじめとした7人は、予想外の出来事に驚きと困惑を隠せなかった。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
 それは、メイド風のエプロンとヘッドウェアをつけた、女子生徒だった。
「君はフュージョン部か?」
 思わず、阪本教頭は訊ねた。すると、メイドはにこやかに答えた。
「いえ、私達はスイーツ研究部です。フュージョン部の催しに参加しております」
 催し。催しとはなんだ。これは部費の拠出をかけた、真面目な審査の場ではないのか。訝りながら、教員たちはメイドに案内されるまま体育館に入った。

 体育館の中は、さらに驚きの光景があった。なんと、審査の場のはずの体育館には多数のテーブルが並べられ、すでに生徒たちがコーヒーや紅茶とともに寛いでいたのだ。テーブルそのものは事務用の長テーブルだが、きちんとクロスが引かれ、真ん中にはバラの花瓶まで置かれている。なにやら、ゆったりとしたジャズまで流れていた。ケニー・Gの”At Last”というナンバーだ。バスケットボール部という主が不在の体育館は、そのまま巨大なジャズ喫茶へと変貌を強いられていた。
「これはどういう事だね!?」
 さすがに教頭は面くらい、周囲を見渡した。しかし、ステージは緞帳が下がっており、肝心のフュージョン部の姿が見えない。他にどうしようもないので、7人は指定されたステージ正面のテーブルに、案内されるまま着席した。教頭は真ん中で、左右に他6名が着席する。やはりテーブルクロスの上には、透明な花瓶に赤や白のバラが彩られていた。竹内顧問は少し離れたテーブルに、生徒と一緒に座る事になった。
 さらに、審査員ひとりひとりにメニューが手渡される段になると、失笑がもれる。なにしろメニューは3品だけだったからだ。スイーツ研究部オリジナルブレンドコーヒー、モカ、ダージリンティー。勇気ある清水美弥子先生は率先してダージリンを注文した。それに倣う形で、教頭も含めた他の教員も、半数は怪訝そうに、半数は面白がって注文する。むろん教頭は前者だった。

 めいめいにコーヒーと紅茶、そしてスイーツ研究部オリジナルのガナッシュが行き渡ると、主役のフュージョン部がいっこうに現れないため、やむなく審査員たちは突如開店したジャズ喫茶で寛ぐ事になったのだった。
「このバラって、どこから持って来たんでしょうか」
「ひょっとして、学校の庭園じゃないんですか」
「環境管理委員会が協力してるんですかね」
 手入れが行き届いた見事な剣弁高芯咲きの白バラを、一人の教師が眺めた。
「ジャズ喫茶なんて懐かしいですな、教頭」
「…そうかもな」
 自分より少しだけ若い男性教師に言われ、教頭にまだ若い頃の記憶が蘇った。そのときふいに体育館の真っ白な照明が落とされて、暖かな色の間接照明が全体を満たした。
「この照明って」
「演劇部の照明ですね。彼らも協力してるらしいですね」
 すると、緞帳がゆっくりと開いて行った。半分くらいそれが開いたとき、審査員の教員たちは「あっ」と声を上げた。緞帳の向こうには、楽器を奏でるフュージョン部2年の5人がいたからだ。
「今までの演奏、彼女たちがやってたんですか」
「てっきりCDを流してるんだと思ってましたよ」
 清水美弥子先生以外の6人が驚く。彼女たちの演奏能力を知っている清水先生にとっては、驚くには値しなかった。教頭先生は、憮然としているのか、困惑しているのか掴みがたい表情だった。
 ふいに演奏が終わって、ステージ全体をライトが照らした。そのとき気付いたが、フュージョン部員は学校の制服の上に、黒いストールを装い、胸には2年生は青、1年生は赤のコサージュをつけている。どうやら学章の代わりらしい。バックにはごく簡単なものだが、演劇部の上演で教員も見覚えがあるセットが置かれ、上質な雰囲気を演出していた。やはり衣装も含め、演劇部が協力しているようだった。
『ご足労願いましてありがとうございます、教頭先生はじめ諸先生方。フュージョン部部長、2年1組大原ミチルです。本日は審査の機会を与えていただいて、ありがとうございます。フュージョン部一同、礼』
 ミチルの合図で、脇に控えていた1年生も加えて10人の部員が、深々とお辞儀をした。その態度に感心したのか、一人の教師が拍手をすると、全員がそれに倣う。教頭先生は一番最後に、仕方なさそうに手を叩いた。
『審査に入る前に、このあと説明する比較作業のため、まず一曲お聴き願いたく思います』
 ミチルは、マウントラックの前に陣取る薫に手で合図した。薫は頷いて、ラックの機材に繋がっているらしいノートPCを操作した。比較作業とは何のことか、と教員たちは思ったが、教員の一人はまた、なぜわざわざ上質なセットが組まれている中で、無機質なマウントラックやノートを袖に下げないのかと訝った。ただ一人、清水先生だけがその意図を理解していた。

 やがて奏でられたのは、日本人で知らないのは物心がついていない幼児だけかも知れない、大野雄二”ルパン三世’80”だった。なるほど、そうきたかと竹内顧問はニヤリと笑った。生徒たちからは「ルパンだ」というささやきが聴こえる。あえてスローテンポの”'80”を持って来たのは、さっきまで演奏していたジャズナンバーとの違和感がないように、という配慮だった。
 上手い。教員たちは素直にそう思った。キーボードはマヤに加えて1年のキリカも参加しており、リアナとアオイもさりげなくコーラスを重ねている。サトルもEWIでミチルのメインのサックスと合わせ、音に厚みを持たせていた。また、本来ギターはない曲だが、ジュナはリバーブをかけて他の楽器に干渉しないように、さり気なくジャズ風の音を重ねている。

 演奏が終わると、静かな拍手が起こった。メンバーが礼をすると、再びミチルがマイクに立った。
『ありがとございます。それでは、失礼ながら同じ曲を同じアレンジで、もう一度演奏させていただきます』
 それはどういう意味だろう、とざわめきが起こる。その中で、薫はマウントラックの機材を再び何か操作すると、ミチルに合図を送った。その合図で、宣言したとおり、同じ曲の演奏が始まる。
 だが、演奏が始まって5秒もしないうちに、審査員たちの表情が驚きのそれに変わった。
「音が変わった」
 そう言ったのは、吹奏楽部の顧問の女性教師だった。
「変わりましたね」
「さっきと全然違う」
 教師たちは口々に言った。さっきまでの音は、いかにも体育館で鳴らしています、という音だった。体育館の音響なんて、こんなものだろうという音である。だが、今は違う。あの、線の細い男子生徒が、ノートPCを少し操作しただけで、寝ぼけた缶コーヒーのような音が、まるで喫茶店のマスターが淹れたばかりのコーヒーのように、透明で、かつ腰のあるサウンドに変身したのだ。そして、まったく同じ曲であるのに、音が変わるだけでここまで曲の魅力が際立つものなのか、という驚きがあった。
 再び同じ曲の演奏が終わると、拍手とともに男性教員の一人が手を挙げた。メイドの一人がマイクを手渡す。
「演奏も良かったけれど、さっきとは音が全然違う。これは、イコライザーを操作したんですか」
 すると、ミチルは解説を薫にバトンタッチした。
『1年の村治薫です。はい、端的に言うとそういう事です。が、単純に操作したわけではありません』
「何か特別なソフトウェアを使ったということ?」
『たいへん申し訳ありませんが、詳細については時間を要しますので、演奏がひととおり終わった後で解説します。それでは、2年生による演奏を引き続きお聴きください』
 とても1年生とは思えない落ち着いた態度で、薫はその場を仕切るとミチルに引き継いだ。
『それでは、演奏を続けます。ルパン三世’80に続いて、カシオペア”ASAYAKE”からの、T-SQUAREで”TRIUMPH”』
 曲紹介とともに、カシオペアらしい爽やかなギターとシンセのイントロが始まる。全編にわたってギターが入る、ジュナが大活躍のナンバーである。この曲からは1年生はいったん下がって、2年生だけの演奏になる。この曲もフュージョン部のお約束ナンバーだが、実のところけっこう久しぶりなので、各メンバーは帰宅してからこっそり聴き直して自分のパートをチェックしていた。そのため、自分以外はぶっつけ本番のはずだ、と全員が思いながら演奏していたのだった。
 続くスクェアのナンバーは1995年のアルバムからの曲で、やはりたびたび演奏する曲だった。温かみと疾走感が同居している爽やかなナンバーで、EWIとギターのハーモニーが聴きどころになる。前半のEWIソロ、後半のギターソロはいずれも高度なテクニックを要し、これを完璧とはいかなくても、8割方コピーしてしまうミチルとジュナの演奏技術は、審査員の全員が度肝を抜かれた。とくに吹奏楽部の顧問は、市橋菜緒がミチルを散々吹奏楽部に引き込もうとしていた理由を、今さらになって思い知らされた格好である。
「とんでもない子がいたものね」
 そうつぶやく顔には、笑みが浮かんでいない。同じ2年の吹奏楽部のアルトサックスなど、足元にも及ばない。下手をすると菜緒を超える、と思った事は胸に秘めておいた。

 3曲目の演奏が終わると、1年生が怪訝そうな顔をしていたのにマヤが気付いて、キリカに小さくささやいた。
(ごめん。勝手に1曲追加した)
 そう、スクェアはラストに1曲の予定で、今の曲は本来のセットリストになかったのだ。要するに、正真正銘のぶっつけ本番である。それを、どの段階でか2年生の5人はコンタクトを取り、カシオペアの曲に続けて演奏したのだった。リアナはこの時、ひょっとして自分達は、とんでもない人達を先輩と呼んでいるのではないか、と思ったらしい。
 演奏が終わると、すでに審査の事を忘れて単なる拍手が起こった。教頭先生の表情はまだ少し渋いが、ときどき感心したように頷いているのがわかる。だが、これで手応えあり、と油断するミチルたちではない。それは今までさんざんな目に遭って来た彼女たちの本能だった。

 ミチルたちの演奏が盛り上がっている頃、ふたつの体育館から少し離れた所にある狭いコンクリート打ちの空間に、一人の男子生徒が足音を殺して入り込んでいた。生徒は、何かぶつぶつと呟き、眉間にはシワが刻まれている。
 生徒は、白い蝶番の蓋がついた壁の金属ボックスに近付いた。中を開けるとそれは、体育館への電源供給を管理するブレーカーのパネルだった。
「ふざけやがって。調子に乗ってんじゃねえ」
 生徒は苦々しげに吐き捨てると、ひとつの大きなブレーカースイッチに手をかけた。
「電気がなくなりゃ何もできねえくせに」
 今にもスイッチを下ろそうと指に力が込められた、その瞬間だった。横から逞しい腕が飛び出してきて、男子生徒の手首をがっしりと掴んだ。
「ひっ!」
 男子生徒は腕を掴まれたことに驚き、そしてその腕の主を見て再び驚いて悲鳴を上げた。
「ひゃあああ!!!」
 生徒は腰を抜かしかけ、逃走を試みた。ほんとうに心臓が停まるかと思ったその理由のひとつは、手首を掴んでいる同じ学校制服を着た男子――らしき何者かの頭が、二本の角が飛び出したヤギだった為である。ヤギの腕力は半端ではなく、ブレーカーに手をかけた男子生徒は一歩も逃げる事ができなかった。

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