Light Years(34) : It's My Life
兎にも角にも部活の形を変えた存続は決まり、ミチルたちフュージョン部にとってそこそこ激動の一学期が終わって、夏休み初日がやって来た。来月の市民音楽祭までは10日ほどで、その間にセットリストを決め、衣装を決めて、リハーサルを終わらせる予定である。
とはいえ、連日のハードなスケジュールでメンバーは疲労が溜まっており、今日明日はみんな羽根を伸ばそうという事になった。部室のモニタースピーカー問題は、薫が勝手にやっておいてくれるらしい。
「ミチル、あんたはこの間倒れたんだからね。皇帝ラインハルトだって過労で熱出したんだから、仕事だと思ってゴロゴロしてなさい」
ラインハルトってどこの誰だろう、ドイツのサッカー選手か何かだろうかと思いながら、ミチルはマヤに言われたとおり家でゴロゴロする事にした。
が、活動的な人間にとって最も苦痛なのが、ゴロゴロするという行為である。ミチルもご多分に漏れずそういうタイプだった。
「これ出してくればいいの?」
ミチルは、キッチンわきにまとめてあるプラスチックごみの袋を掴んで母親に訊ねた。
「あら、お願いできる?」
「うん。ついでにコンビニ行ってくる」
「あ、それならあそこの唐揚げも買ってきてくれるかな。2パック」
ミチルは近所の公園を抜けて、市の指定リサイクル資源回収ボックスのある公民館に向かう。日差しはやや強いが、この時期としては比較的空気が乾いており、風が心地良い。
初夏のバラもそろそろ終わりかと思っていたが、公園の丘にまだきれいに咲いている場所があった。ミチルはスマホを片手にピースサインで、白と赤のマーブルのバラと一緒に自撮りした。
折登谷ジュナが自宅ガレージでギターの塗装剥がしに熱中していると、潤滑油スプレーの横に置いてあるスマホから着信音がした。スクレーパーを置いて通知を見ると、ミチルからのLINEだ。
「何やってんだ、あいつ」
トーク画面には、ミチルが公園のバラの横で笑う写真が送られてきていた。こっちは塗装が剥がれたギターの、木材の香りが立ちこめるガレージである。落差がすごい。ジュナは笑いながら、自分もほぼ白木になったテレキャスターと一緒にピースサインをして送り返した。
その時、ジュナは何かピンとくるものがあり、塗料でサイケデリックな柄になっているエプロンを外して、作業中の物をひとまず奥に寄せて片付け、出かける準備を始めた。どうせ兄貴はバイクで遠出してるし、きちんと片付けなくてもすぐ帰って来る心配はないだろう。
「ジュナって、ギターいじってない時は何してるんだろう」
返されて来た、白木のテレキャスターとのツーショット写真を見て、ミチルはしみじみと考えた。とりあえずミチルと同じで、お笑い番組とニコニコ動画が好きなのは知っている。マヤはゲーム廃人なので推察するまでもないが、最近クレハと出かけているという噂もある。クレハもアニメオタクである事が判明したので、家で動画でも観ているのだろう。そういうミチルはといえば、たまにゲーム、たまに動画、漫画を読む、楽器の練習、思い付きで叔父さんの真似をしてコーヒーのドリップ練習など、雑多でいまいち決まった個性がないように思う。
ある意味で最も謎なのはマーコだ。いちばん学校に近く、帰路の途中ですぐ別れてしまうため、自宅に行く事も数えるほどしかなく、休日に一緒に出かける率も一番低い。最後にショッピングに同行したのはいつだろう、というレベルだ。マヤにゲームを借りて遊んでいる、というのは知っている。ジュナに古いロックのCDを借りているのも知っている。自宅には電子ドラムがあるので、それで練習しているのはだいたい想像できる。あんがいミチルと似て雑多な日常なのかも知れない。
「そういえば、マーコも弟がいたな」
メンバーの家族構成は、クレハをのぞいて全員わかっている。マヤは5つ上のお姉さんがいる。似ていないが美人だった。大人びているのはそのせいだろう。ジュナは、バイク乗りでペンキ屋だかに務めている兄貴がいた。初日に改造バイクで出勤して大目玉をくらった、という伝説を持つ人物だ。マーコは、自宅に行った時に中学と小学の弟に会っている。最近、中学のほうに背丈を抜かれたと沈痛な面持ちで嘆いていた。うちの弟が私を抜く時は来るのか。
「…クレハが謎だな」
ミチルは試みに、1年生も含めて残りのメンバーに先刻の自撮り写真をまとめて送信した。みんな真面目にくつろいでいるか、部長として確認するという体で、クレハの日常を探るためだ。すると1年の4人は、親睦を深めるために4人で出かけているらしかった。サトルくんは何気にハーレムだが、そういえば女子に囲まれていても平然としている。
「たぶんだけど、お姉さんが複数いるな。あるいは妹か」
ミチルはそう結論づけた。女性に囲まれて育った男子はたいてい、良くも悪くも女性慣れしている。
「薫くんも謎といえば謎だな。なんか妙に育ちがいい雰囲気はあるっていうか」
薫くんからは早速、部室でスピーカーをいじっている光景の写真が届いた。ワーカホリックか。ユニットと吸音材を抜かれたヤマハNS-1000Mと、その脇に転がるケーブルや端子類が見える。機械と遊んでいられれば幸せ、という部類だ。ある意味ではジュナに近い。
学校では、たぶん市橋菜緒先輩はじめ吹奏楽部が、月末のコンクールに向け大詰めだろう。あの人も職人肌っぽい雰囲気があるが、それこそ休日が気になる。
マーコからは、一番厄介な宿題を片付けている、という予想外の返信があった。真面目か。ますますマーコという人物がわからなくなった。宿題。考えたくない。
写真を送ったメンバーのうち、クレハとマヤだけ揃って返信がない。既読マークさえない。マヤはゲームに熱中していてスマホなど気付かないという可能性はあるが、クレハは何をしているのか。意外とゴロゴロ寝過ごしているのか。
そこまで考えて、友達のことをいちいち詮索しても仕方がないと思い、ミチルはおとなしく資源ごみをボックスに入れ、コンビニに向かったのだった。
薫はミチルからの写真などとうに忘れ、他に誰もいないフュージョン部の部室で、名機と呼ばれたスピーカーの改修に取り組んでいた。
「こいつは半端ないな」
取り出した巨大な30cmウーファーの重さに、薫は感動していた。そもそも今、こんな大きなウーファーのスピーカーはほとんど売られていない。小径ウーファーを複数配置したトールボーイ型が主流だ。
「うへー」
薫は、背面の端子を見て呆れたように肩をすくめた。今どき、本格的なコンポでは絶対に使われていない、バネ式の貧弱な端子だ。しかも、そこから内部ネットワークに繋がるケーブルが、下手をすると輪ゴムと見紛うほどの細さだった。
「時代なのかなあ」
よくこれで音が出たな、と半ば感心しながら、薫は各パーツをもう少しマシな新品と交換していった。ちなみにこのスピーカーはダクトがない密閉型と呼ばれるタイプで、耐入力は大きいが低音の抜けと量感は後退する。しばし考えたすえ、薫は大きなプラスチック製の背面端子盤の穴を利用して、ほんの少しだけ息抜きのダクトを開ける事にした。効果があるかどうかはわからない。名機と呼ばれるスピーカーの構成を変えてしまう事のためらいもあった。
外に放置していた鉄製の27kgあるスピーカースタンドを中に運び入れた時点で、薫は疲れ果ててごろりとカーペットに寝転んだ。誰もいない部室。そういえば、薫はもうフュージョン部の一員なのだった。来年の春までは、オーディオ同好会との掛け持ちという事になる。
オーディオ同好会がフュージョン部に事実上吸収合併される件については、同好会の先輩たちに許可を求めたところ、お前がそれでいいなら好きにやればいい、という話だった。先輩というのは、どこの部活もそういうものなのだろうか。
「先輩、か」
薫は呟く。今度からは、ミチルたちが薫の先輩になる。自分はエンジニアの役割で、2年生や1年生の演奏をサポートしていく事になる。そういえば、吹奏楽部の顧問からは、録音を依頼できるだろうか、との質問が寄せられた。その時は出来る、と自信満々で答えてしまったが、生演奏の録音は数えるほどしかやった事がない。
もし実際に頼まれたら、どういうセッティングで対応すればいいのか。いちばん簡単で音場をリアルに録れるのはマイク2本だけのワンポイントステレオだが、マイクの本数が少ないと、バカにするなと怒るアーティストもいるという。何本もマイクを林立させておいて、実際に生きているのは2本だけ、という”テクニック”も業界では本当にあるらしい。壊れたマイクをダミー用に仕入れておくか。
あれこれと頭の中で考えたすえ、薫は近代化改修を施したモニタースピーカーを、かつてPAスピーカーが置かれていた場所に据え付けた。とりあえず音出しをしてみる。
「うおっ」
薫は焦った。改修が効きすぎたのだ。低音が驚くほど伸びている。そこで、減らした吸音材をいくらか元に戻し、中音と高音の調整ツマミを回してバランスを整えた。あとは先輩たちに実際に演奏してもらって調整しよう。
時計を見ると、まだ11時過ぎだ。意外と早く終わってしまった。さてどうするかと考えたあと、薫はここでする事ももうないので、鍵を締めて部室を後にした。
うちは昼に唐揚げを食べる事が多いような気がするんだけど、とミチルは昼の食卓で母親に訊ねた。清水美弥子先生のようなシュッとした美人タイプと比較してしまうと、まあいくらか健闘はしているかな、という容姿の母はミディアムヘアを揺らして振り向くと、ひとこと言った。
「気のせいよ」
本当にそうだろうか、と野菜キーマカレーを口に運びながら、ミチルは自分が買ってきた唐揚げを見た。
そのとき、ミチルのスマホがブルブルと震え、空いているほうの手で2件のLINEメッセージの着信を確認した。マヤとクレハからだ。
「!」
マヤからは、どこかのカフェらしきテーブルの写真が送られてきた。手前にフェットチーネのカルボナーラ、真ん中に小さなピッツァを挟んで、向かいの席にはペンネのアラビアータが見える。なんだこれは。まさか誰かとデートか。炭水化物の摂り過ぎではないのか。
クレハからの送信を確認すると、彼女もどこかのカフェのテーブルに座っている。気のせいか、マヤが送ってきた写真とテーブルクロスが似ている。手前にはペンネのアラビアータ、真ん中には小さなピッツァを挟んで、向かいの席にはフェットチーネのカルボナーラ。まさかクレハも誰かとデートしているのか。炭水化物の摂り過ぎではないのか。
もうわかった事だが、いちおうミチルはトーク画面に向かってツッコミを入れた。
「仲良しか!」
あとで聞いた事だが、マヤとクレハはその日、何とかというアニメの映画を一緒に観ていたため、着信に気付かなかったらしい。オタクのカミングアウトをしたクレハは、もう誰憚る事なくマヤとオタクライフを満喫しているようだ。向こうはカフェのお洒落なパスタ、こっちはレトルトのカレーとコンビニの唐揚げ。目の前では、タブレットで仕事のチェックをしながら食事をしている父親が、母親に行儀が悪いと怒られている。
そこでミチルは気付いた。そういえば、弟のハルトが朝からいない。
「またギター背負って朝早く出かけたわよ。ま、三日坊主じゃないのは確かみたいね」
母親は、そこそこ感心している様子だった。ハルトが続いているということは、バンドが続いているということか。
「いちど指導に行ってあげたら?バンドの先輩として」
「うっ」
ミチルは唐揚げを喉に詰まらせかけた。ミチルができるのはサックスやトランペット、フルート等であって、ギターはいまだにジュナから指導を受ける身である。というか、入部してきた1年生の方がミチルより百倍上手い。
休日の過ごし方も各人各様だなと思いながら、ミチルはキーマカレーの残りをかきこんだ。
そのすぐ後に、ジュナからミチルへ突然写真が3枚送られてきた。どこかの店内だ。一瞬ホームセンターかと思ったが、インテリア専門店らしい。一枚目はピンク色の花柄の壁紙、二枚目は紫地の白バラの壁紙、三枚目は深い青地に白いレリーフのように浮き出した、やはりバラの壁紙。なんだ、あのバイク兄貴のスタイルの正統伝承者みたいな女子高生も、ついに乙女のライフスタイルに目覚めたのか。
そう一瞬思ったミチルだったが、写真のあとで、次のようなメッセージが送られてきた。
『テレキャスターに貼り付けようと思うんだけど、どれがいいと思う?』
折登谷ジュナは決してブレない女子高生だという事を、大原ミチルは思い知らされた。