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Light Years(113) : Daylight

 ミチルたちザ・ライトイヤーズの全員が帰宅したのは、結局21時頃の事だった。家族が出迎え、よくやったと褒めてくれた。家族に褒められるというのは、また違う嬉しさがある。
 高速道路の車中でそこそこ睡眠を取ったミチルだったが、疲れが取れたという気はしない。ただ、その間じゅう小鳥遊さんはずっとハンドルを握ってくれていたわけで、運賃が安すぎたかなと思っているところへ、レーベル側が今回の移動費用も負担してくれたのは有り難かった。
 その日、ミチル達は入浴を済ませると、翌日のライブのため、すぐに就寝した。

 その夜、ミチルは奇妙な夢を見た。見覚えがあるようなないような、肌の浅黒い白髪の老人が、ミチルに微笑んでいる。
『光の道を行きなさい』
 老人はひとことだけミチルに告げると、正面にある古びたドアを開け、その奥に広がる青空の中に消えて行った。
 バタン、とドアが閉じられた、その音でミチルは目が覚めた。
「!」
 それは、不思議な体験だった。ドアを閉じた音の残響が、目が覚めたあとのミチルの部屋にも、確かに響いていた。あまりにもリアルな音で、本当に誰かが部屋のドアを閉じたのではないかと思ったほどだ。
 その夢に妙な胸騒ぎを感じたミチルは、気を紛らすために何気なくスマホを立ち上げた。時刻は深夜3時13分。学校の先輩後輩たちから、大量にLINEメッセージが届いているのに今気付いたが、読む気力がない。たぶんジャズフェスお疲れ様といった内容だろう。申し訳ないが、起きてからまとめて確認する。
 ミチルは夢が気になったものの、またすぐ睡魔がやって来て眠りにつくと、そのまま朝まで夢を見る事はなかった。

『それはまた大変だったね』
 LINEではなく電話口で、佐々木ユメ先輩は言った。いつもの、ケラケラ笑う様子はない。
『でもまあ、こういう言い方も何だけど、あんた達らしい出来事ではあるね』
 不本意というわけではないが、ミチルもそう思う。何がというと、ジャズフェス会場へ向かう途中、交通事故に遭っていた少女を助けた件についてである。
 ちなみにクレハ経由で小鳥遊さんからは、被害者である市東レイネをはねた車が、運転手の所有する山中の敷地内に隠匿されていたのを発見されたとの連絡があった。小鳥遊さんが予想した地点から1キロほど離れてはいたが、人目につかない山中という点は見事に的中していたらしい。
『何者なの、その小鳥遊さんって』
「まだ謎が多いんで、クレハに訊いてください」
 小鳥遊さんはミステリーだ。まだ、どんなスキルを隠しているかわからない。とりあえず彼の事は論じてもわかりっこないので、さっさと今日の、小さな街角ライブの話に移る。
「先輩は直接ライブ会場に行くんですよね」
『もちろん』
「愚問ですけど、演奏はオッケーですよね」
 口にして、愚問だなとミチルは思った。今日はライトイヤーズに、ユメ先輩がゲスト参加してダブルサックスで演奏するのだ。
『当然よ。あたしを誰だと思ってるの』
「甘いものを食べさせればたいがいの注文は聞いてくれる、佐々木ユメ先輩です」
『そのとおり。ちなみに今日は和菓子の気分なんで、よろしく』
 何がよろしくなんだ。どら焼きとか、最中でも適当にギャラとして用意すればいいのか。
「それじゃ、予定通りのセトリでいくので、お願いしますね」
『大丈夫ぅー?いつぞやの音楽祭みたいな事にならないよう、いざという時の予備セトリ、考えておいた方がいいんじゃない?あんた達のバンドは、絶対何か起きる呪いかけられてるからね』
 冗談じゃない。そう年に何度も、よそのバンドの代打でステージに立つグループがあるものか。
「今回はトリじゃありません。私達の後に、ふた組います。仮にそのどっちかが出られない事になっても、私達が出しゃばる必要はありません」
 あっそ、それじゃ会場でね、と言ってユメ先輩は電話を切った。会場入りは午後1時の予定だ。ちなみに当日のセトリは全部コピーである。オリジナルを演奏するのに、そこそこ疲れが見える頃だろう、というメンバー全員の意見もあり、息抜きで”いつでもやれるフュージョンナンバー”をチョイスした。ちなみに当日の持ち時間は20分で、予定しているセトリは以下のとおりだった。

 1.Tourist In Paradise/リッピントンズ・フィーチャリング・ラス・フリーマン
 2.Pipo's Song/スパイロ・ジャイラ
 3.MEGALITH/T-SQUARE
 4.TRUTH/T-SQUARE

 前半2曲はフュージョン好きでない人にはちょっとマニアックだが、これはユメ先輩のリクエストだ。みんなで覚えた思い出があるナンバーである。そして後半2曲は言わずと知れた、現フュージョン部お約束のナンバー。ベタと言われようが何だろうが、これをやらなきゃ年は越せない。まだ2カ月近くあるけど。
 ミチルは微笑みながら、ライブのステージ衣装を選んだ。今日に関してはもう、フリーのイベントなのでみんな好きなものを着てこい、と言ってある。制服だろうがジャージだろうが、何でも構わない。約1名、不安なのはいるが。

 
 小さな街角ライブは、市内の駅裏にあるちょっとした広場を利用して、商工会が20年くらい前から始めたイベントだ。基本的には地元のバンドが出演する。夏の市民音楽祭が街角レベルに縮小された、といえば手っ取り早い。バンドによっては持ち時間15分でいい、という人達もおり、数だけで言えば音楽祭並みのアーティストが出演する。ちょっとした出店もあるし、周辺のお店も潤うので、演奏の騒音をのぞけばわりと歓迎されているイベントだった。
「おー、今年もやってるなあ」
 ミチルが機材を抱えて会場に来た時には、もう周辺は人でごった返していた。こういうお祭りは好きだ。屋台で飲み食いするのを見越して、昼食はカップ麺だけで済ませてきた。あとは、ほかのバンド演奏を聴きながらジュナと食べ歩きしよう。
「あっ、いたいた!」
 何やら知った女の子の声がする。誰だ。声の方を見ると、遠くからでも目立つ赤毛のミディアムの少女が手を振っていた。
「アンジェ!」
 ミチルは、後輩の千々石アンジェリーカの顔を見付けると駆け寄った。モデル体型のアンジェは、ゆったりした黒の上下にシアー素材の白いシャツを重ねている。ファッション誌からそのまま出て来たかのようだが、手には近くの商店のビニール袋が提げられており、ドリンクが4本入っている。ミチルはというと、同じようにゆったりした黒のインナーに、シンプルなデニムのスリムパンツとジャケット、といういでたちである。
「早いね」
「こんにちは。昨日のステージ素敵でした!」
 絵に描いたような”感激のポーズ”で、アンジェは微笑んだ。わざとらしい仕草も、元がいいと様になる。
「他のみんなは?」
「もう来てますよ!ほら」
 アンジェが指差した方には、相変わらずなぜかファッションがお揃いっぽくなってしまう、村治薫と獅子王サトルが屋台のソーセージを食べていた。ちなみに二人ともダークグレーのジーンズに、薫はネイビーブルー、サトルは藍色のシャツである。男子2人がいつもお揃いコーデっていうのもどうなんだろう。お姉さんちょっと気になるぞ。
 その近くには、たこ焼き等をパクついている長嶺キリカ、鈴木アオイ、戸田リアナがいた。キリカとアオイはちょっとガーリーなパンツルック、リアナは渋めのグリーンの、ベルトつきワンピース。モデル体型というには若干細身だが、悪くない。
「あっ!先輩だ!」
 キリカがこちらに気付いて手招きしている。ミチルはアンジェと駆け寄った。

 ステージでは、地元のベテランスラッシュメタルバンド、”ホワイトアウト”のシャウトが響き渡っていた。PAの前にいると鼓膜がかゆくなる、などと言われているバンドである。ギター担当の人のコレクションが最近また増えて、今現在38本が自宅にあるという。確か妻子持ちのはずだが、家のどこに収納しているのだろうか、とミチルたちはいつも話している。ジュナは、忍者屋敷のように壁や天井のそこかしこにギターが格納してある、という説を唱えていた。
「あー、この感覚久々だなあ」
 ミチルは焼き鳥を食べながら、PAのサウンドに身をゆだねた。やっぱり何だかんだで、地元のインディーバンドの集まりは楽しい。ミチルたちはフュージョンバンドという異色の存在だが、異色だろうと何だろうと、ステージに立てばみんな音楽仲間、という雰囲気がある。もちろん中にはナンパ目的とか、妙に偉そうに振舞ったりだとか、好きになれない人達もいるにはいるが、基本的にバンドマンというのは、いい人達の集まりなのだ。
 後輩たちとダラダラしていると、向こうからよく知った顔がゾロゾロと歩いてきた。
「ミチル早いな」
「絶対いちばん遅く来ると思った」
 マヤとマーコは、見るからに眠い目をしながら歩いてきた。マヤはプチプラ感漂うゆるめのパンツルックに、巨大なキーボードケースが重そうである。マーコはどこかの食べ歩きタレントみたいなオーバーオール。そして二人の後ろから、ベースとギターを背負ったクレハとジュナが現れた。
「ミチルは元気ね」
 さすがのクレハも、昨日の今日では疲労が溜まっているようだ。彼女にしては珍しく、ひざ上のスカートに厚手のストッキング、ショートのデニムジャケットという装いだった。問題はその隣の人物だ。
「ういーす」
 お前はどこの酔っ払いだ。ジュナはミチルの正面に立つと、ファッションを採点するかのように上から下までを見た。
「お前にしちゃ無難だな」
「あんたこそ無難なファッションを勉強してこい!」
 毎度の事ではあるが、今日もミチルは相棒のファッションに唖然としていた。革のパンツとブーツに、オジー・オズボーンの顔面のインナー。お前ほんと顔面プリント好きだな。その上に、両腕に真っ白な龍が舞っている黒のロングコート。首にはシルバーのクロスのチョーカー。
「ステージのホワイトアウトのおっちゃん達を見習ったらどうなの」
 ミチルはステージに立つ、ジーンズにシャツが基本のベテランバンドを指した。うちはフュージョンバンドであってレディースチームではない。ダンガリーをパンツもとい、”ズボンにイン”しているあの超絶ギタリストおじさんを見習ったらどうなのか。ジュナはどこ吹く風である。
「これがあたしだから仕方ない」
 誰がかっこいい事を言えと言った。

 そのあとユメ先輩も合流して、とりあえずステージ出演組は揃った。そこで、念のため全員でセトリを確認しよう、という事になった。広場の空いているスペースに移動し、Bluetoothスピーカーでセトリの曲を再生し、演奏のポイントをおさらいする。
 ところが、ミチル達には誤算があった。
「いた!」
「もう来てる!」
 突然周囲を取り囲む、女の子たちの声。いやな予感がして、ミチルは顔を上げた。
「うわっ!」
 いる。スマホを持った女の子の集団が。ざっと見て8人くらい。
「あのっ、ライトイヤーズの皆さんですよね!」
 違います、と答えたら面白いだろうが、あいにくどう見てもライトイヤーズのみなさんである。
「ジャズフェスの映像見ました!すっごいカッコ良かったです!」
「握手してください!!」
 心構えができていない所に一斉に声をかけられ、一瞬ためらってしまうと、ユメ先輩がその場を仕切ってくれた。
「はいはい、きちんと並んでね」
「ちょっ、先輩!」
「ファンサービスは大事よ。ほら、並びなさい、あんた達も」
 先輩の指示で、ミチルたち5人はきれいに横一列に並ばされた。先頭のミチルから順に、女の子たちと握手してあげる。みんなメンバーと同世代、もしくは少し下くらいのようだ。思わずミチルは、一人の子に質問してしまった。
「ねえ、握手を求められるのってだいたいあなた達みたいな子なんだけど、どうしてかな」
「何言ってるんですか!」
 ロングヘアの少女は、スマホを取り出すと鮮やかな指さばきでSNSアプリを立ち上げ、ひとつの記事をミチルたちに示した。

 ギター少女の高見沢ハルナは、お見舞いに来た相手に殺意を覚えるという、人生でそう経験する事はないであろう感覚を、今まさに味わっていた。
「LINE交換!?」
 思わず病室で声を出し、一緒に来た安達ミーナが指を立ててたしなめる。ハルナはやむなく黙ったが、これが驚かずにいられるか。ライトイヤーズのメンバーに助けられて救急車を呼んでもらった、そこまでは昨日聞いた。それもすでに驚きだったが、自動車にはねられたレイネをお見舞いに来て教えられたのは、ライトイヤーズのリーダー大原ミチルさんと、レイネがLINE交換をしたという事実だった。
「なんでそういう事になるわけ」
 精一杯静かに、ハルナはレイネを問い詰める。握手してもらって、一緒に写真撮影までして、サインまでもらったフルコース達成済みのはずの自分も、”LINE交換”という衝撃には敵わないのではないか。レイネの説明を、殺意メーターがMAXまで行きそうな状態でハルナは聞いた。
 それによると、ミチルさんはフュージョンというものを知らないレイネのために、公開しているフュージョン名曲プレイリストのURLを教えてくれたのだという。あの、ヒットチャートにさえ興味がないレイネが、フュージョンに興味を持ったというのか。
「そっ、そのプレイリスト、私にも教えて!」
 ハルナは、レイネがLINEで受け取ったというプレイリストを見せてもらった。ロックバンドなら知っているが、フュージョンバンドなんてT-SQUAREとカシオペア以外知らない。リストに載っているアーティストは、ぜんぜん知らない名前、ちらっと聞いた事だけはある名前ばかりだった。チック・コリア、デヴィッド・ベノワ、ジョー・サンプル、ラリー・カールトン、リー・リトナー、リッピントンズ、アコースティック・アルケミー、プリズム、ジャコ・パストリアス、ウェザー・リポート、ジョン・マクラフリン、スタッフ、キャンディ・ダルファー…
「いったい何曲あるんだ」
 ハルナは、”Fusion Playlist パート1”と題されたリストに驚いていた。ざっと50曲はあるのに、まだリストはパート1である。ザ・ライトイヤーズは女子高校生であって、音楽マニアのおじさんではない。一体、同世代の女の子が、どうやってこれほどのプレイリストを用意できるのだろう。
 その時、ハルナはレイネの口から、信じられない言葉を聞いた。
「ねえ、ハルナ。アルトサックスって難しいのかな」
「…え?」
 ハルナは、レイネの顔をまじまじと見た。レイネの顔は真剣さが見える。
「…まさかあなた、やってみたいの?アルトサックス」
「うん。ミチルさんの演奏聴いてたら、カッコいいなって思えてきちゃった」
 そこで、ミーナが驚きの表情を見せる。
「何の前触れかしらね。音楽からっきしのレイネが」
「いいじゃない。ほんとにカッコいいって思ったんだもの。ミーナは何か、やってみたい楽器ないの」
「ええ?うーん…何だろうな。ドラムはなんかストレス解消になりそうだけど」
 ハルナはまだ、耳を疑っていた。音楽活動などほとんど興味がない2人が、今こうして楽器について語っている。窓から午後の日差しが差し込むように、不思議な予感を覚えるハルナだった。


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