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Light Years(15) : Jamming

 その夜、ジュナはミチルからの電話を受け取った。ミチルの弟のハルトが、友人のツテで機材をレンタルだが確保できたので、中学の秋の文化祭に向けて練習を開始したという。
『どこまで続くかわかんないけどね』
「まっ、始めただけでも立派なもんだろ」
 ジュナは無糖のアイスティーをひと口飲んで、膝の上のギターをポロンと鳴らした。
『あんたが売ってくれたギター、大事そうに磨いてるよ』
「そりゃ良かった」
 ジュナは、初めて手にした自分のエレキギターを思い出していた。今は物置きでホコリをかぶっている、真っ白なストラトキャスターのコピーモデルだ。
「明日の準備、どう?」
『何とかなりそう』
「あたしも全体的にギターは楽なもんだけど、1曲だけ、クレハの選んだナンバーがなかなか手強い。聴いてる分にはそうでもないけど、アレンジが意外なくらいトリッキーなんだ」
『さすがのジュナも降参?』
「冗談だろ」
 ジュナはもう一度、ギターのスティール弦をかき鳴らした。アンプを通さない乾いた音が響く。
「明後日は通常のナンバーなんだろ。寝てても弾ける、いつものやつ」
『ええ。たまに息抜きしないと。毎日こんな無茶苦茶やってたら、指と脳みそがおかしくなるわ』
 二人はゲラゲラと笑ったが、言っている事は冗談でも何でもなかった。多様な音楽を即席で覚えて、半分ぶっつけ本番で演奏するなど、正気の沙汰ではない。
『それじゃ切るね。おやすみ』
「脳みそおかしくなる前に寝ろよ」
 ジュナは笑いながら通話を切る。
「十年経っても、こんなことやってんのかな」
 それは、まったく無意識による呟きだった。十年後、まだ自分たちは音楽をやっているだろうか。そもそも、仲間達は一緒にいられるだろうか。そんな事を考えて少し怖くなったジュナは、逃避するようにマヤから送られてきた譜面のデータに目を通したのだった。

 
 翌朝、例によってフュージョン部の面々は部室に集合すると、放課後のストリートライブについての打ち合わせを開始した。自分たちで勝手に始めた事ではあるが、始めてしまうとすでにひとつの仕事のような気もしてくる。
 昨日までと違うのは、昨日の終わりに突然現れてフュージョン部に加入が決まった1年生、戸田リアナの存在であった。リアナは昨日と違ってうなじの所で長いストレートヘアを結ってきたのだが、それが先輩たちには好評だった。ただし、外見の可愛らしさの問題ではない。
「うん。そうしないと、後ろ姿でミチルと区別がつかない事がある」
 ジュナの一言が全てを集約していた。リアナは部活の時は髪を結う、という事がこの時決まったのだった。
「まあしかし、あなたが来てくれて助かったわ。私一人で採譜なんてやってたら、途中で血管切れてたかも」
 マヤはそう言いながらも、リアナと譜面をチェックする。手書きとパソコン出力したものが混在していた。
「ほれ、ミチル。あんたのパート」
「ありがと」
「もっと感謝しろ」
 冗談めかしてマヤは譜面をミチルに手渡すものの、目は半分本気に見えた。ひととおり終わったら、マヤには食事のひとつも奢ってやらないと後が怖そうである。後方ではクレハとマーコのリズム隊が、黙々と音を合わせていた。
「捨てる神あれば拾う神あり、だね。ようやく新入部員かー」
 ミチルが心から嬉しそうに言うのを、メンバー達も微笑ましく思った。
 だが、物事というのはとことん意地が悪いもので、その時ミチル達の行動を阻む足音が近付いてきていた事に、誰も気付かなかった。

 それは比喩ではなく、文字通りの足音だった。アスファルトを打ち鳴らす、ヒステリックなヒールの音が、フュージョン部の部室前でピタリと止まった。
 コン、コン、と溜めのきいたリズムで、誰かがドアをノックした。
「はーい」
 もしや2人目の入部希望かと、その場の面々は期待の大小に差異はあれど思っていた。が、開いたドアの向こうに立っていたのは、まったく予想外の人物だった。
 落ち着いた赤のタイトスカート・スーツに身を包み、長い髪を後ろに結い上げ、細い縁なしの眼鏡をかけた女性。その人物は、理工科の教師で清水美弥子といった。
「フュージョン部の皆さんにお話があります」
 その声色が、好意的なものであると思った者は一人もいない。清水先生の眼鏡の奥の瞳は、特にミチルに向けられていた。
「ここ数日、学園敷地内での屋外演奏活動を行っているようですが、当学園は長年にわたって、科学技術の発展に寄与する人材を輩出してきた伝統ある学園です。私はあなた方の野外での活動が、その学園に相応しいものだとは思えません」
 何やら回りくどい言い方だ、とミチルは思い、いきなり現れて活動に水を差された事への苛立ちも手伝って、つい言い返してしまう。
「要するに、気に入らないから野外ライブを中止しろという事ですか」
 その堂々たる返しに、その場の全員が一瞬、絶句した。ミチルは一応、優等生で通っている生徒であるだけに、反抗的と言っていい態度には清水先生も一瞬驚いたようだったが、すぐに冷静な表情に戻って言った。
「そういうことです」
「それは、清水先生の個人的な希望ですか。それとも、職員会議を通しての決定ですか」
 そこまで言ったところで、さすがのジュナも止めに入る。
「おい、ミチル」
 ジュナに言われ、ミチルも少しだけ矛を下げる。清水先生は、さすがに眉間にシワを寄せて答えた。
「現段階では、私の一存です。が、今後も続けるようであれば、私から職員会議に提案をする事になるでしょう」
「いま行っているライブは、顧問の竹内先生が会議でかけあって許可を取ってくださったうえで行っているものです。私たちには今の時点では、まだ演奏する権利はあります」
「そうね。では、私には提案を会議にかける発言の権利がある。それを行使する事にしましょう」
 それだけ言うと、清水先生はミチルに一瞥をくれると、踵を返して立ち去った。足音が聞こえなくなると、ミチル以外の全員がほっと胸を撫で下ろした。
「ヒヤッとしたぜ、ミチル。お前もほんと危ねーやつだよな。喧嘩っ早いわけでもないのに、腹が立つと先生だろうが誰だろうが、立ち向かって行きやがる」
「当たり前よ。こっちは部活の存続をかけて活動してるのに、足を引っ張るような真似をされて、腹が立たないはずはないわ」
「そりゃもちろん、全員同じ気持ちだよ。何なんだ、あの態度」
 それ以上、ジュナも他のメンバーもミチルを咎めはしなかった。ミチルは、みんなの気持ちを代弁してくれたからである。
「リアナ、ごめんね。入部早々、こんな場面に出くわして」
 ミチルは申し訳なさそうにリアナを見た。リアナは妙にキラキラした目でミチルを見ている。
「いえっ、あの、かっこよかったです」
「カッコ良かったか。そいつはいいや」
 ミチルはケラケラと笑う。
「さあ、あんなの気にしないで練習しよう。気にしてられるか。私たちは私たちなんだ」
 ミチルの目に、炎がゆらめいているように見えた。その気迫に気圧され、メンバーはわずかに気を取り直した。しかし、一人だけ何か考え込んでいる者がいた。
「ねえ、何かおかしくないかしら」
 その柔らかい声の主は、クレハだった。普段そこまで口数が多くはないクレハだけに、視線が集中する。ジュナはギターのチューニングを直しながら訊ねた。
「おかしいって、何が」
「わたし清水先生が話してる所見た事あるけど、あんな表情、見た事ないわ。クールな人かも知れないけど、ヒステリックでは決してない」
「そりゃ、ミチルがあんな生意気な返しをしたからだろ」
「いいえ。あれはもっと違う何かに対する、苛立ちのように見えた」
 まるでどこかの名探偵のような観察眼を、クレハは披露した。
「…職員会議でたぶん話すよね、さっきの件」
 マヤの推測に、全員が同意する。話さないわけがない。何ならミチルの態度も判断材料として、俎上に上げられるだろう。ミチル自身は言ってしまったものは仕方ないと平然としていたが、ミチルの気分がどうであれ、それが現実に活動に影響を及ぼさないという保証もない。”参謀”マヤはミチルに訊ねた。
「どう思う?放っておいていいと思う、ミチル」
「うーん」
「あの先生のおかげで、活動ストップさせられるかもよ」
 マヤの冷徹な予想に、全員の表情が少し翳る。これでは、ストップがかかる前に全員の意気が消沈しそうだった。だがそこで、挙手する者がいた。
「あの、ちょっと聞いた話なんですけど」
 その声の主は、新入部員の戸田リアナだった。
「清水先生、学生時代は音楽志望だったって」
「ほんとう?」
 ミチル達は首を傾げた。清水先生といえば理工科のITエレクトロニクス専攻で、超理系の秀才、ついでに蛇足ではあるが42歳で二人の子持ちとは思えない若々しさの持ち主として、学園のちょっとした有名人でもあった。理系のイメージが、どうしても音楽というイメージとは結びつかない。
「音楽に理解があるのなら、あんな風に私たちの邪魔をする事もなさそうだけど」
 マヤは首を傾げる。だが同時に、彼女の中の何かを刺激したようでもあった。

 その、清水先生の行動は早かった。その朝の職員会議で、さっそくフュージョン部の活動について意見したのだ。
「近隣の迷惑にもなりかねません。すぐに禁止させるべきです」
「ちょっと待ってください」
 清水美弥子の提言に、口をはさんだのはフュージョン部顧問の竹内先生だった。
「この間の職員会議で、先生はそんな意見をされなかったのではありませんか」
「私が実際に彼女たちの演奏を聴いて意見を変えたということです。あのような騒音は、この学園に相応しいとは言えません」
「相応しいとか相応しくないとか、誰がどう決めるんです。自分が顧問だからという贔屓目があるのは否定しませんが、彼女たちは部活の存続をかけて、自発的に行動してるんです。私はそれに水を差そうとは思いません」
 竹内先生の訴えに、他の先生たちはそれなりに心を動かされたようではあった。が、清水美弥子という教員の発言力もまた小さいものではなく、まるっきり無視もできない、という微妙な空気が生まれつつあった。竹内顧問は続けた。
「あと実質10日もないんです。雨でも降れば、さらに日数は減る。すでに彼女たちは追い詰められているのに、このうえ活動を止めさせるというなら、私は反対します」
「活動全てをやめろと言っているわけではありません。音楽をやるのに、野外でやる必要もないでしょう」
「清水先生のお話を伺っていると、どうも彼女たちが目立つ事を止めさせたい、とでも思っているように私には見受けられるんですけどね」
 その竹内顧問の発言が、清水先生の何かを刺激してしまったらしく、清水先生は突然デスクをバンと叩いて言った。
「私は私憤で意見しているわけではありません。誤解なさらないようお願いします」
 そこで、黙って聞いていた教頭先生が咳ばらいをした。
「まあ、そのへんにしておきましょう。清水先生の意見も汲みつつ、とりあえず今日は保留ということで。ええと、夏休みの生徒たちの行動規範についてですが…」
 教頭先生によって話はうまく丸め込まれ、ひとまず清水先生と竹内顧問の第1ラウンドは終了した。第2ラウンドがあるのかはわからないが、両者は目を合わせる事もなく、会議は淡々と、手短に終わったのだった。

 その日の昼休み、教室を出ようとするミチルとマヤのもとに、一人のクラスメイトが声をかけた。
「1年生の子、来てるよ」
「ん?」
 それは、フュージョン部のリアナだった。リアナは昼食が入ったバッグを下げ、小さくお辞儀をした。

 ミチルとマヤは、部室に移動しながらリアナの話を聞いていた。
「それ本当なの?」
 マヤはリアナの報告に、疑っているわけではないが確認のためにそう言った。リアナは小さく頷いて、周囲に聴こえないよう気をつけながら話を続ける。
「本当みたいです。清水先生はもともと高校を出たあとで、音楽の勉強のためウィーンに留学する予定だったそうです。でも、そのタイミングでご実家の事業が破綻して、留学どころではなくなったんだとか」
「そうなんだ…それで、いま理工科の先生やってるのはどうして?」
「そこまでの細かい事情はわかりません。ただ、もともと音楽の道を志望されていた人だというのは、間違いありません。ご実家の事業が安定していれば、少なくともウィーン留学は予定通りだったはずです。そこまで予定していたということは、おそらくはプロ志望だったと思われます」
「音楽って、何を専修していたの?」
 すると、リアナは小さく頷いて言った。
「清水先生は若い頃、バイオリニストを目指されていたんです」
 リアナの情報に、ミチルとマヤは顔を見合わせた。その理由は、リアナにはわからなかった。
「…何か?」
「いえ、実はね」
 ミチルは笑いながらも、少々苦い顔をした。

 同じころ、オーディオ同好会の村治薫は3年2組、理工科の教室を訪れていた。見知らぬ下級生が突然訪れ、呼び出しを頼まれた生徒はその名前にまた驚いていた。
「お待たせしたわね」
 昼食を中座して現れたのは、吹奏楽部の市橋菜緒だった。
「いえ、こちらこそ。昨日ご依頼を受けた、例の音源です」
 薫は、菜緒から預かったSDカードをその場で手渡した。中には、依頼されたミチル達の演奏のマスタリングデータが収められていた。
「ありがとう。ここで待っていて」
 カードを受け取った菜緒は席に戻ると、すぐに戻って来て薫に何かを差し出した。それは、少し上等そうな紅茶のバッグのセットだった。
「ティー・バッグで申し訳ないけれど、それなりに上等なのは保証するわ。」
「わざわざ、すみません」
「依頼のお礼よ。受け取っておいて」
 そう言って笑う菜緒は、いつもよりもう少し普通の女子生徒に見えた。いつも張りつめているようなオーラがない。それも手伝ってか、薫はひとつ質問した。
「あの、その音源、どうして市橋先輩が所望されるんですか」
「理由?」
 菜緒は、少しだけ考えたのち短く答えた。
「そうね。ミチルの演奏を手元で聴きたい、というのも理由ね」

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