Light Years(39) : 青空
その日の朝、ミチルとジュナはハルトに案内されて、中学生の4人組バンドが練習に使用しているという友人宅のオンボロの小屋にやって来た。もう使われていない農具置き場で、畑のど真ん中、しかも中に詰められた稲藁やら何やらが上手い具合に吸音材になっており、空調がない事をガマンすれば、いくらでも音を出せるという。
「地方バンザイってとこだな」
ジュナは、一歩外に出ればド田舎の"政令指定都市"を讃えて口笛を吹いた。気温はあるが、外はだだっ広く、風が吹き抜けてむしろ中は涼しいほどである。風の音は演奏の邪魔になりそうだ。
「練習のつど、こいつの家からドラムだけは運んでこなきゃいけないんで、そこは大変っす」
「ぜーたく言ってんじゃねーよ。機材も場所もあるだけで、とんでもなく恵まれてんだぞ」
ジュナは、ベリーショートのドラムス担当の肩を小突いた。ハルトは慣れているが、ジュナの男勝りな様子に他の3人は若干気圧され気味である。ミチルはジュナの張り出した胸で歪んでいる、Tシャツにプリントされたキング・クリムゾンの例のジャケット画を睨んでいた。青少年の教育に良くないのではないか。
「ふーん」
土間のような床に置かれたドラムセットや、延々引き回してきた電源に繋がれたモニタースピーカーを、ジュナは微笑ましく眺めた。ほんの数年前だが、自分がギターを弾き始めた時を思い出していた。
「よし。んじゃちょっと1曲やってみて」
すでに指導役の趣きである。少年たちはそそくさとポジションについた。ハルト少年は、ジュナから買ったメタリックグリーンの改造ストラトを若干高めの位置に構えている。ドラムスはタムやハイハットの位置を確認した。それなりに慣れている感はある。
ボーカルの、ソフトモヒカンっぽいツーブロックの少年はマイクの位置を確認し発声練習をしている。ベース担当のサイドを刈り上げた長身の少年は、ハルトと対象的にやや低めにベースを下げた。
やがて、テンポは速いが少し寂しげなトーンのギターのイントロが始まった。amazarashi"季節は次々死んでいく"。中学生にしては渋い選曲だなと思ったが、高校生でフュージョンをやっている自分達に言えた事でもない。
ドラムスは一応叩けてはいるが、ちょっとたどたどしい。何か変だなと思ったが、ジュナもミチルもその原因をすぐに理解した。
ハルトのギターはまだ初心者なりの甘さが見えるが、意外なほど弾けている。ジュナは素直に感心しつつ、ミュージシャン姉弟だなと苦笑いした。
ベースもそこそこ弾けてはいるが、どこか違和感がある。これもジュナはすぐに原因を突き止めた。ボーカルはちょっと厳しいかな、と両者が感じた。
「どうですか」
演奏が終わると、ハルトが恐る恐る訊ねた。最初、ジュナとミチルの胸をチラチラ見ていたモロバレ青少年たちも、完全に演奏指導教官を見る目になっている。
「うん。全体としては、音にはなってる」
多少言葉を選びつつ、ジュナはまとめた。
「もうちょい簡単な曲でやった方がいいと思うけど、まあそれはいい。今の所、最大の問題はボーカルかな」
わりと容赦のない講評に、ボーカルのソフトモヒカン君はギクリとした。ジュナは手を上げてフォローする。
「あー、下手って言ってるんじゃない。お前さ、秋田ひろむのボーカルをコピーしようとしてるだろ」
「あっ」
図星を突かれたソフトモヒカン君は、口を開けたままジュナの指導を待っていた。
「うん。あの人の声は、声質もあるし、青森県っていう地方で育った微妙なイントネーションもあるだろうから、地方っつってもほとんど標準語に近いあたし達じゃ、バックグラウンドが違うんだ」
ジュナの指摘に、ソフトモヒカン君は何度も何度も頷いた。
「だから、自分の声で自然に歌う事を考えれば、変なトーンにならないでのびのび歌えるよ。歌唱力はそこそこある方だと思うし」
「はっ、はい」
「それと、次。ドラムス」
今度は、ベリーショートのドラムス君がギクリとした。
「無理にオカズ入れようとするな。まず基礎のリズムを、一定の間隔で叩けるようになれ。ダシの取り方がなってないスープに、ラードやニンニク入れたってまともな味にはなんねーだろ」
オカズというのは、基本のリズムの合間に入る不規則な演出、いわゆるフィルインの俗称だ。決まればワンランク上の演奏になるが、下手にやると全体のリズムが壊れるだけである。
それにしても何という的確な喩えだ、と隣で聞いているミチルは呆れつつもジュナに感心した。なるほど。こいつ、詞を書かせたらけっこういい線行くんじゃないか、とミチルは考えた。
「あと、ハルト。お前のギターは予想外に上手い」
「ほんとっすか」
「うん。生来のセンスだな」
一人だけ好評価のハルトは、小さくガッツポーズを取った。しかし、指導教官はそう甘くない。
「センスがある奴は、逆に基礎をおろそかにしがちだ。基礎の、地味な練習を怠ってると、そのうち才能だけでカバーできなくなる時が来る。まあ、ウサギとカメの話のウサギみたいなもんだ。センスを維持する努力は忘れんな」
「はっ、はい」
「問題がないわけでもない。テクニックよりも聴かせる事を意識してもいいかな。感情の表現っていうか。それと逆の意味で問題があるのが、お前」
ジュナは、ベースの長身刈り上げ君を指差した。他のメンバーの例に違わず、ギクリと背筋を伸ばす。
「お前も、上手いのは上手い。けど、ベースってのはドラムスと併せてリズム隊の役割がある。音程はきちんとしてるから、次からはリズムを一定に保つ事を意識しろ。他のメンバーも、ベースに意識を集中してリズムを取ってみな。そうすりゃ、走るのも防げる」
走る、というのは演奏のテンポが予想外に速くなってしまう事で、ビギナーに限らず起こりうる。ベースは音程とリズムの基盤を整える役割があり、基本的に上手いプレイヤーでないと任せられないのだ。
少年たちは、ジュナの指導に基づいて話し合いを始めた。そして全員で頷くと、ハルトがジュナを振り向いて言った。
「もう一度やってみます」
「よし」
なんだか体育会系の趣きさえ漂っているな、とミチルは思った。少年達はそれぞれ自分の問題点を見直すと、再び同じ曲の演奏に入った。
だが、一度言われた程度ですぐに改善するなら苦労はない。今度は指摘された事に注意が行きすぎて、全体の調和が崩れてしまった。演奏を終えた面々は、納得しがたいような表情で首を傾げる。
「気落ちすんな。最初はそんなもんだ。あたしの中学の頃の演奏なんて、お前らの比じゃないくらいグダグダだったからな」
ケラケラとジュナは笑う。
「ほれ、貸してみろ。あたしが一緒に弾いてやる」
ジュナに言われて、ハルトはかつての主にグリーンの改造ストラトを手渡した。何週間ぶりかで再会したギターを、ジュナは自信に満ちた姿勢で構える。
「まずベースとドラムスだけ、リズムを合わせてみろ。はいワン、ツー」
ジュナの手拍子に合わせて、ベースとドラムスが基本的なリズムを取る。余計な演奏は入れない、ごくシンプルなリズムだ。
それに合わせて、ジュナのギターがゆっくりと入った。小難しいテクニックは含めない、極めて基礎的なコード進行だ。それなのに、ハルトよりも厚みがあって魅力的な音になる。
ジュナがボーカルに合図すると、それまでとはうって変わって、声量のある歌が響いた。無理に原曲の声に寄せようとしない、自然体な自分の声だ。
演奏しながら、メンバーは驚いた。リズムが揃うだけで、こんなにも音が豊かになるのか、と全員が思っていた。ジュナがギターでリードしている事もあるかも知れないが、音がまとまる事の楽しさと意味を、耳で理解できたようだった。
(正直言えば、まだだけどな)
そこまで考えて、ジュナは彼らがまだ、バンドを組んで1ヶ月も経っていないという事に気がついた。
(おいおい、ひょっとすると…)
その先は考えない事にして、ジュナは自分の演奏に集中した。もともとはロック畑の人間なので、シンプルなバンドサウンドは実家にいるような安心感があった。
そのあとジュナが、ギターを弾きながら歌うというテクニックを説明するために、スガシカオの"Progress"を実演してみせた。ベースもドラムスもなしで、ディストーションをかけたギターの弾き語りというのも不思議な感覚だったが、少年たちは「マジかよ」「プロ並みじゃね」などと口々に感想をもらした。演奏を終えたジュナは偉そうにならないよう注意しつつ、
「ま、いきなりやれって言われても無理だろうけどな」
とだけ言った。
「コツってあるんですか」
「慣れだな」
ハルトの問いに、ジュナの答えは甚だありきたりなものだった。それ以外に言いようがないのだ。
「最初は頭と指がおかしくなるけど、やってるうちに何ていうか、喉と指を並行して操作できるようになる。ジュース飲みながら自転車こぐ、みたいな」
少年たちの怪訝そうな視線がジュナに向けられた。その程度の理解で、ほんとうにできるようになるのか。
そのあとドリンク休憩をしながら、実際にオーディエンスの前で演奏してきた二人に、色々と質問が飛んできた。中でも、極めて真剣な質問があった。
「大勢の前で、演奏ミスった時は、どうするんですか」
それは確かに、重要な質問だった。ジュナはその回答に関しては、ミチルに譲ったというか、正確には押し付けた。ミチルは腕を組み、少年たちに向き合った。
「ミスった時は、こう考えなさい」
うんうん、と少年たちの真剣な目が集中する中、ミチルはその百倍も真剣な表情で答えた。
「間違ったものはしょうがない」
市内に向かうバスの中、ジュナはミチルに細い目を向けた。
「あれがアドバイスか」
「だって、他にどうするのよ。時間巻き戻して演奏し直せるわけもない」
「そりゃそうだけど、他に言いようがあるだろ!」
「あたしは、あんたがミスっても、マーコのドラムが走っても責めないよ。あたしも間違う、みんなも間違う。それでいいじゃない。オリンピックのフィギュアスケートで転倒すんのに比べたら、一瞬音階外れるくらい何てことないわよ」
ジュナは、呆れればいいのか敬服すればいいのか、わからない様子で肩を落とした。もしこれが音楽誌のインタビューだったら、編集者は本文に載せるべきか否か悩むことだろう。
「そりゃ、ミスだらけで音にならないレベルならダメだけどさ。ひとつのミスを責め合ってバンドが険悪になるのと、許し合って続けて行くのと、どっちがいいと思う?あたしなら、後者を選ぶよ」
「なるほど。お前の考えはよくわかった」
ジュナは諦めたように窓に片肘をついた。
「けど音楽祭は頼むぜ」
「うん。任しといて」
ミチルは、ジュナが差し出した手を力強く握った。窓の外は、正午近い日差しが照り付けている。バスに揺られながら、ジュナの脳裏にはザ・ブルーハーツの"青空"が流れていた。
翌日、フュージョン部は部室に集合すると、もう一度音楽祭当日のセットリストを通しで演奏した。エフェクターのセッティング等の最終確認を終えると、いよいよ機材の積み込みである。
「向こうで混乱しないように、パートごとに小物は分けてね!」
例によって仕切るのはマヤである。ハードケースに納められたギターやベース、キーボード等が竹内顧問の銀色のハイエースに積まれ、そのあとでエフェクターやケーブル類のボックス、衣装が積まれて行った。あとは翌日、部活の責任者としてミチルと竹内顧問が現場まで運ぶだけである。
「それじゃ先生、明日はよろしくお願いします」
「おう、任しとけ。終わったら全員に晩飯おごってやる」
その言葉に、1年生の獅子王サトルが遠慮会釈なしに反応した。
「俺たちもっすか!?」
「ああ。たかが10人の部員、どうってことない」
竹内顧問は胸を張るが、奥さんにあとから何か言われないだろうな、とミチルは眉をひそめた。
翌日、みんな何事もなく予定通り会場に集合することを確認して、その日はそれで解散となった。
市民音楽祭当日の昼過ぎ。ミチルは竹内顧問とともに学校から、音楽祭会場に向けて出発するところだった。竹内顧問は若干ゴールドっぽく見える上下のスーツに、Vカットのシャツの胸元にチョーカーを下げ、天然のパーマにティアドロップのサングラスという姿である。教師というよりは、そのスジの人と言う方が違和感がなかった。
そのスジの先生はニコニコして運転席についた。ミチルも、慣れないハイエースの助手席につく。ところが、である。そのとき異変は起きた。
「ん?」
運転席に座り、エンジンをかけようとした顧問の呟きが、ミチルの不安センサーを刺激した。
「あれっ」
何があれっ、だ。不安センサーのインジケーターは黄色からオレンジ色に変わった。
「おかしいな」
何が。不安センサーが赤色の点滅を始めた直後、今いちばん聞きたくなかった言葉が、鈴木雅之と具志堅用高のハイブリッドである竹内顧問の口から紡ぎ出された。
「エンジンがかからない」
「はい?」
聞き間違いだろうか。すると、親切な竹内顧問はもう一度言ってくれた。
「エンジンがかからない」
「えーっ!?」
その後悪戦苦闘したのち、竹内顧問が知り合いの車屋さんに電話して訊いたところ、ディーゼル車にありがちな、グロープラグの寿命だろうという事だった。何のためのものなのかミチルは知らない。
「要するに、出発できないって事ですか」
「…そういうことだ」
申し訳なさそうに顧問は、ハイエースのフロントガラスに突っ伏した。
「しかし、何とかしないといけない。ちょっと待ってろ、知り合いのレンタカー屋に問い合わせる」
なんだか各方面に知り合いがいるなと思いながら、ミチルは念のためマヤに電話をかけた。
『マジで!?』
マヤの裏返った悲鳴が、スマホから響く。
「うん、今レンタカーを先生が手配してる。とりあえず、遅れるかも知れないけど絶対持って行くから、みんなには予定通り現場に向かうよう伝えておいてくれるかな」
『わっ…わかった。そっちは頼んだよ。こっちでも車の手配できないか、掛け合ってみる』
「頼む」
通話を切ったミチルに、力無く顧問はうなだれて見せた。
「ワゴンタイプは今貸し出せる車両がないそうだ」
「マジですか」
ミチルの顔にも軽く絶望の色が浮かぶ。しかし、冷静に考えてみれば車の手配くらい、あちこちに相談すれば何とかなるだろう。
「タクシーを手配しよう。それしかない」
顧問が電話をかけようとしたその時、ミチルのスマホに通知がきた。LINEメッセージが2件。ジュナとクレハだった。
「待って、先生」
「ん?」
ミチルは、メッセージを読んでニヤリと笑ってみせた。
「ジュナのお兄さんとクレハの家の人が、家の車をこっちに向かわせてくれるって。2台に分ければ機材も何とかなるでしょ」
「おう…」
連絡を聞きながら、クリスタルコーティングまでかけたオンボロのハイエースの隣で佇む顧問の姿は切なかった。そしてその時、ミチルはとある事を思い出したのだった。
「ジュナの兄貴の車…」
南條科学技術工業高等学校の校門を、異様なシルエットのミニバンらしき物体がくぐったのは、ミチルと顧問が校門近くの縁石に腰を下ろしてから17分ほど経ったころだった。その、カモノハシのようなフロントと、龍のツノのようなリアウイング(たぶん)が飛び出した、メタリックパープルのミニバンは、ミチルたちの目の前で静かに停車した。勢いよくウインドウが開いて、ブラウンの髪を逆立てたサングラスの青年が、太陽に劣らないほど明るい笑顔を見せた。
「よーうミチルちゃん、大変だったな!なに、機材ぐらいこの流星号に任せときな!」
その御仁は他に誰あろう、折登谷ジュナの兄でペンキ屋に務める、折登谷流星21歳であった。流星の奥には、助手席でやはりサングラスをかけたジュナの姿がある。
「うえーいミチル、大変だったな!兄貴に任せとけ。ほら、あっちだって兄貴」
「よっしゃー!」
竹内顧問が呆気に取られる中、不審なミニバン流星号は、フュージョン部の部室に向かって走り去った。そこへ、守衛さんが駆け付けてきた。
「ちょっと、竹内先生、今の何ですか」
「あっ、大丈夫だと思います、はい」
顧問が棒立ちになっているところへ、さらにもう一台の車がやってきた。
「あっ、クレハかな」
ミチルがそう思って入って来た車を見ると、それは何やら黒塗りの、何というか高級そうで、お父さんが道路で遭遇したらいつも距離を置いているようなタイプのセダンだった。ミチルの姿を認めると、その車は驚くほど静かに停止した。助手席が開いて、上品なブラウス姿の千住クレハが現れた。
「ミチル、話は聞いたわ。あいにく自宅のバンが出払ってしまっていて、このセダンしかなかったの。どれだけ積めるかわからないけど」
「あっ、はい、いえ、手伝っていただけるだけで御の字です」
「急がなくてはね。龍二さん、あの向こうに見えるシルバーのハイエースの中の物を積むから、お願い」
「かしこまりました、クレハ様」
運転席にいた黒服にサングラスの男性は、恭しくクレハに頷いたのち、竹内顧問にも深々とお辞儀をした。その光景はどう見ても、若頭に頭を垂れる構成員である。
黒塗りの高級車は、静かにその場から移動していった。クレハは、さも当然といった風である。いよいよクレハの家がどういう家なのか謎の一端が見えてきたものの、それを問うのは怖い気がするミチルだった。
パープルの改造ミニバンと黒塗りの高級車が同時に停まっている様は、なかなかに物騒な趣きだった。そこへもってきてサングラスの竹内顧問と、サングラスのジュナの兄貴と、クレハの付き人的なサングラスと黒服のお兄さんが並んでいると、どう見てもそのスジの人達の集まりとしか思えない。行き交う運動部員たちの視線が突き刺さる中、ミチルは一刻も早く機材を積み替えてこの場を去らなくては、と思うのだった。