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Light Years(27) : カウント・ダウン

 陽が傾く中、部室に戻ったミチルを迎えてくれたのは、9つの笑顔だった。
「部長、お疲れ様でした」
 リアナに続いて、全員が立ち上がる。
「ちょっ、ちょっと何よ」
「ミチル、悪いけど今みんなで決めさせてもらった。あんたは今から正式に、フュージョン部の部長だ」
 ジュナは、ぽんとミチルの左肩を叩いた。それに合わせて、全員が拍手する。唐突な空気の中、ミチルは困惑していた。
 すでに事実上、次の部長はミチルという流れにはなっていた。その点は確かである。だが、今ここでそれを決めるのか。
「仕方ない、お前以外の2年生が全員やりたくないって言ってんだから」
「そのうちの1人はあんたでしょ!」
 ミチルはジュナに詰め寄った。笑いが起きる中、マヤが意地悪そうに微笑む。
「大丈夫よ、部長がパソコンソフト使えない時はサポートするから」
「それ、年中サポート必要になるよ」
 マーコのツッコミに再び爆笑が起こる。ミチルは憮然としながら、座り込んで少しぬるくなったコーラをあおった。
「それで部長さん、顧問の話って何だったの」
 クレハが手付かずだったポテチの袋を開けると、ミチルはそれをつまみながら、渋い表情で教頭からの提案について説明した。

「何だよ、そりゃあ」
 ジュナが、胡座をかいて憤慨する。その横に、リアナが行儀よく膝を折って座っていた。
「一度決まった事をホイホイ変えようとしやがって」
「大人なんて、そんなもんよ。スポーツのルールだって、シーズン折り返しも過ぎてからコロコロ変わるでしょ」
 マヤの態度は若干ニヒルなものではあったが、一面の真理ではあった。組織とか体制の中では、正論や約束事が「都合」に容易に服従させられる。
「いち学生の部活動、しかも時代遅れの音楽部なんか、あっても邪魔なだけって事でしょうね、本音は」
 クレハもまた、穏やかそうな顔をして言う事は辛辣である。
「それで、どうするの部長さん。あと1人、確保する見込み、あると思う?」
 いよいよ参謀じみてきたマヤである。ミチルは、腕組みして考え込んだ。単純に部員が入れば、とりあえず10人という条件は揃うので、ぐうの音も言わせず黙らせる事ができるはずである。だが、ミチルには漠然とした不安があった。
「…それで本当にカタがつくんだろうか」
 それはミチルの独り言だった。主語も何もない謎の呟きに、ジュナたちは怪訝そうな顔を向けた。
「なんだって?」
「え?ああ、ごめん。独り言」
「カタがつくだろうか、ってどういう意味だよ」
 ジュナは食い下がった。こういう時のジュナはしつこい事を、ミチルは知っている。仕方なく折れて、胸の内の不安を説明することにした。
「仮に例えば今、10人揃ったとして。やっぱり廃部にします、って向こうが言い出さない保証、あると思う?」
 ミチルの問いかけは、その場の全員の肝を冷やすのに十分だった。
「教頭はすでに一度、保留になったとはいえ、こっちが条件達成間近になったところで勝手な妥協案を出してきたのよ。この一件でもう、教頭は私達の"敵"だという事がハッキリしたわ」
「どうなのかな。清水美弥子先生の一件の時は、教頭先生が場を収めたんでしょ?聞いた話だけど」
 マーコが言うのは、単なる伝聞ではあった。ミチルはそれも加味して話を続ける。
「竹内顧問と清水先生の言い争いが加熱したのを見て、単純に職員会議が長引くのを止めたかったって事でしょ。あるいは、竹内顧問に同調する教師が増えるのを危惧したのかも」
「情報がなさすぎて憶測になっちゃうわね、どうしても」
 クレハがそう言ったとき、黙っていた1年生のひとり、おかっぱ眼鏡の鈴木アオイが手を挙げた。
「今の話なんですけど。軽音部を潰したの、教頭だって聞いた事があります」
 その言葉に、全員が一斉に耳を傾けた。アオイは一瞬怯んで、話を続ける。
「春に、軽音部があったら声をかけてみようか、って話をしてたんですよ。でも、軽音部はないって言うじゃないですか。フュージョン部も関心はあったんだけど、この間言ったとおり、敷居が高そうなイメージがあって。いっそ、自分たちで同好会立ち上げようか、って話もあったんです」
 アオイの話に、ミチルがごく小さな反応を見せた事に、そのとき気付いた者はいなかった。
 すると、隣のキリカも話に加わった。
「軽音部はどうしてないのか、って何の気なしに担任に訊ねたんです。そしたら、"バンド嫌いの教頭"が、3年前に裏で動いて潰させた、って」
「それ本当なの?」
 マヤが多少訝りつつ訊ねる。教頭がバンド嫌いなんて聞いた事がない。だが、そもそも教頭の人となりについて関心など誰も持った事はなく、教師からの情報という点は信ぴょう性の補強材料でもあった。
「でも、それならどうして清水先生が私達の活動に反対した時に、動かなかったのかしら」
 クレハの疑問について、ミチルは即答した。
「仮に私達の活動を快く思っていなかったとしても、表立って反対を唱えれば公正を欠いたとして非難される。それを回避しつつ、面と向かって私達に反対する役は、そのまま清水先生に押し付けたのよ」
「なるほど。ところが清水先生を私達が説得できたことで試みは失敗した。そこで、せめて部費をカットできる同好会に落ち着かせよう、というところかしら」
 クレハの推測はいちおう、筋が通るものではあった。だが、仮にそれが正鵠を射ていたとして、ではここからどうするのか、という現実的な問題が立ちはだかっていた。
「つまり、私達は何をしなくちゃいけないと思う?部活を存続させるために」
 マヤは、ミチルに思考を促した。彼女自身にその時明確な考えがあったわけではないが、ミチルを理知的に補佐するのが彼女の、いつしか自然に形成された立ち位置だった。ミチルは、コーラを飲み干して言った。
「薫くん、ちょっといいかな」
 ミチルが薫を連れて外に出たのを、残された面々は互いの顔を窺いつつ眺めていた。

 二人は、部室から少し離れた木陰で風に当たっていた。
「薫くん、ストリートライブに裏方でずっと参加してきたよね。レコーディングと、機材設置で」
「はい」
「その役を、この先も続けて行く、という提案があったら、乗る?」
 それは、薫にとって青天の霹靂でもあり、何となく予想できた話でもあった。薫は、驚きと冷静の中間の表情を見せた。
「正直言うと、あなたの部活がなくなるっていう話を聞いて、私に火が付いたの。今だから言うけどね」
「…そうなんですか」
「うん。自分がいた部活がなくなるって、なんだか寂しいな、って」
 ミチルは、入部してから今までの出来事を思い返していた。フュージョン部のメンバーを探すところから始まって、吹奏楽部の市橋先輩の再三のスカウトを断り、佐々木ユメ先輩の所へ入部届けを書きに行った。
 入部してすぐ、クラスメイトのマヤが興味を持って加入し、ほどなくジュナがやって来た。遅れてクレハ、マーコが訪れて、今の2年生5人が揃ったのだ。
「それでね。もう私達にとって、本来は部外者の筈の薫くんは、すでに仲間になりつつあるの。ううん、もうとっくに、私達のメンバー」
「…えっ?」
「そう思わない?自分でも」
 ミチルに言われて、薫の表情に明らかな戸惑いが見えた。
「…裏方としてフュージョン部に在籍する気はないか。そう提案されてるって事ですね」
「うーん。初めは、それも考えてたんだけどね」
 薫は首を傾げた。それ以外、何の提案があると言うのか。オーディオ同好会は廃部が確定している。そのタイミングで薫を引き抜くのは、少なくとも理には適っている。それ以外、何か選択肢があるのだろうか。
「正直言うとね、まだ明白な作戦があるわけじゃないの。だから、作戦を立てるための前提として、薫くんが私達と一緒にやる、っていう意志があるのかどうかを確認しておきたい」
「つまり先輩は、10人揃っただけではまだ学校というか、教頭がノーと突っぱねてくる可能性がある、って考えてるんですか」
 薫の問いに、ミチルは頷いた。
「現に一度、取り決めを反故にしようとしてきた以上、可能性はないとは言えない。最後の加入者が純粋な演奏者としてではない、という点を突いてくるかも知れない。だから、その可能性を狭める手を打つ必要がある」
 そこで、薫は何かピンときたようだった。
「…なんとなく、先輩が考えてる事、わかってきました」
 薫は、神妙な表情でミチルの考えをなぞってみた。そして、それが大まかに見えてきた時、ミチルはさらに驚くことを言った。
「うまく行けば、いまのオーディオ同好会の部室もそっくりそのまま継続使用できるかも知れない。これは理想的な場合だけどね」
「はい?」
 さすがにこれは薫も鼻白んだ。フュージョン部として存続するだけでなく、オーディオ部の部室まで残す。そんな事ができるのか。
「これは賭けだからね。スピーカー、捨てずに済むかも知れないよ」
「そっ、そんな事が…」
「できるかって?わからないわよ、やってみなくちゃ。だから、やるの」
 ミチルの、その堂々たる態度に薫は感動しているようにも見えた。それに影響されたのかどうか、ようやく薫は頷いた。
「…わかりました。そんな可能性があるっていうのなら、先輩に賭けてみます」
「賭けてみる、か。なかなか、格好いい表現ね」
 ミチルはニヤリと笑うと、「わかった」とだけ言って、再び薫とともに部室に戻った。

 部室に戻ったミチルは、薫といま話し合った事を包み隠さずメンバーに伝えた。薫も条件次第で、10人目のメンバーとして加入する意志がある事を説明した。
 やはり問題は薫のポジションだ。ミチルはまずメンバーに、演奏者ではない形で参加するという事に、納得できない者はいるかと確認を取った。
「別にいいんじゃないの」
 マヤはあっけらかんとしたものだった。
「むしろ歓迎よ。レコーディング技術といい、音響の調整といい、私達の素人作業とは段違い。私は賛成」
 ミチルの参謀ポジションのマヤがそう言うと、仮に反対の者がいたとしても意見を言うのは難しかったかも知れない。しかし、ほとんどこの時点で9人の"面接官"達は同意をみていた。ジュナも、ごく真面目な表情で頷く。
「そうだな。あたしもマヤに同じ」
「私達はいいとして、1年生はどう?」
 クレハはキリカ、アオイ、サトルの3人に視線を向けた。3人は目線を合わせたあと、頷きあってアオイが代表して言った。
「私達も異論なし、っていうか。むしろ、裏方の人がいてくれると助かると思います。レコーディングに気を取られずに、演奏に集中できるし」
 なにやら、とんとん拍子に事が運びすぎて、ミチルは喜ぶというよりむしろ落ち着いており、そして落ち着き以上の不安が心に巣食っているのを感じていた。
 その不安に明確な根拠はなかったが、のちにそれが形を取って現れる事に、その時の誰もが気付いてはいなかった。

 南條科学技術工業高等学校の教頭、阪本敬三56歳は実直な人間だった。より正確に言うと、学び舎の在り方という自らの理念に対して実直だった。豊かな白髪の下にある顔は、決して厳めしくはないが、目つきに性格の頑なさがうかがえた。
 その日、教職員の中で一番遅く職員玄関を出た阪本教頭は、駐車場の一番端に駐めてある、高級だが古いデザインのセダンに向かった。そのとき、教頭の目にフュージョン部の部室、傍目には後ろの農家の物置きとも取れる大きなプレハブが目に入った。明かりはついていない。すでに部員は退校したようだ。
 教頭は、なんの気なしに部室前に近寄ってみた。この、手狭なアスファルトのスペースが、件の少女たちの自己表現の場であるらしい。部室寄りの場所に、発泡スチロール板とビニールシートのカバーをかけたPAが、神社の灯籠のように左右に置いてある。重量物なので、移動できないのだろう。発泡スチロールは結露から防ぐためだろうか。
「……」
 阪本教頭は無言でそのスペースを眺め、しばらくすると年代もののセダンに乗って校門を出た。

 その夜、帰宅したミチルがとある人物にメッセージを送ったところ、すぐにアプリでの通話着信があった。そっちで来るとは思わなかったので、慌てて通話に出る。
「もっ、もしもし」
『ミチル?こんばんは』
 声の主は、佐々木ユメ先輩である。サックスの先輩でもあり、何かというとやはりユメ先輩を頼ってしまう。
「先輩、いま時間いいですか」
『いいよー』
 気の抜けるような返答に、ミチルは脱力しつつ本題に入った。
「ちょっと、相談したいんですけど」

 ミチルの相談内容に、ユメ先輩はいつもより少し真面目なトーンで答えた。
『うん。ミチル、この間も言ったかも知れないけど、もう、あたし達にお伺い立てる必要ないからね』
「…はい」
『まして、あなたはもう部長でしょ。あたし達はご隠居。相談はいくらでも乗るけど、決定権はあなた達にある』
 それは、厳しさをともなってミチルの胸に届いた。ミチルは、もう自分たちで決めなくてはならない、ということだ。決めるということは、その結果も自分で負わなくてはならない。
 そんな気持ちを察したのかどうか、佐々木ユメ先輩は少し気の抜けたトーンで返した。
『ま、要するに部活の事でしょ。何か間違えたからって、うちの父親みたいに社長じきじきに誤発注して要らない在庫増やして、社長のくせして専務兼奥さんに叱られるなんて心配もない。気楽にやりなよ』
 もうちょい気楽な例え話だと助かる、ところで先輩の家って何の会社なんだっけ、などと思いながら、最後の言葉にいくらか気分も和らいだミチルだった。
「あの、じゃあ。お伺いじゃなく、部長として部員に意見を聞きたいんですけど」
『おっ、そういう話術できたか。いいよ』
 ミチルは、ある提案についてユメ先輩に意見を訊いてみた。ユメ先輩は少し考えたらしいが、比較的すぐに返事があった。
『うん。なかなかに興味深い。なるほど、ね』
「…どう思いますか」
『うーん。目的というか、目指している到達点はすごくいいと思う。正直、私たちの時にそんな環境があったら良かったな、とさえ思う』
 けれどね、と先輩は言った。
『どうせ賭けに出るなら、到達点に辿り着くための、もっとストレートな方法もあるんじゃない?』
 そう言ってユメ先輩がアドバイスしてくれた方法は、ミチルも頭の片隅でちらりと考えたものの、無理だと考えてすぐに引っ込めた考えだった。

 ミチルたちが「戦い」と呼んだ日々は、その終わりに向けて確実に近づきつつあった。だが、なんの因果か、ミチルをリーダーとしたフュージョン部はまだ安寧を与えてはもらえない。それはフュージョン部のストリートライブが、残り2日となる朝の出来事だった。

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