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Light Years(28) : 炎の導火線

 それを最初に目撃したフュージョン部員は、自宅が学校に一番近い戸田リアナだった。登校時、徒歩で校舎に近付くと、何やらフュージョン部の部室のあたりに赤い巨大な四角形の物体が見えた。それが消防車だと気付くまで、数秒を要した。
「えっ!?」
 唐突にリアナの心臓が鼓動を速めた。まさか。とたんに駆け足で校門をくぐり、部室に猛ダッシュで走り寄る。だが、とりあえず部室のプレハブが何ともなさそうなのは一目でわかり、わずかな安堵感を覚えた。
 消防車の周りには野次馬の生徒がおり、教師たちが教室に戻るように指示している。教員の一人が、消防士と何か確認を取り合っていた。パトカーもパトライトを点灯させており、警察官が右往左往している。
「どいて!ごめんなさい!」
 ふだん物静かなリアナも、唐突な不安に追い立てられて、人波を押しのけるようにして部室に駆け寄る。すると、天然パーマの顧問、竹内先生がそこにいた。
「あっ、せっ、先生!」
「ん?おう、誰だっけ…戸田だな、新入部員の」
「なっ、なにかあったんですか!?」
「ああ、実はな」
 困惑と憤りと不安が混じった表情で、竹内顧問は部室前を指差した。そこには、二つの燃え尽きた黒い塊が立っており、放水された状態で水を滴らせていた。
「お前たちのPAが誰かに燃やされた」
「なっ…」
 リアナは絶句した。昨日までライブで鳴らしていたPAが、見る影もない黒い炭の塊になっている。まだ周囲には煙の臭いが残っていた。周囲を見渡すと、ライブの常連のオーディエンスたちが心配そうに見ている。よく右後ろで腕組みして聴き入っていた、真面目そうな3年生の男子も両手をだらりと下げている。
「ぶっ、部室は!?」
「部室は無事だ。燃えたのはPAだけだ」
 すると、警官の一人が近寄ってきた。
「この施設の関係者の方ですか」
「えっ?あっ、はい、この、部室の…部員です」
「そうですか。明け方、この部室前で火災が発生しているとの通報が、消防に寄せられました」
「げっ、原因は!?」
「まだ調査もしていないので確定していませんが、状況からみて、おそらくは放火であろうと見られます」
 その報告に、リアナは絶句した。放火。いったい誰が。
「確認しますが、このPAはアンプは内蔵していませんね」
「ええ、はい。アンプは別です。その日の演奏が終わると、他の機材は部室内に片付けています。PAだけは重いので、結露と防雨対策をして屋外設置したままにしております」
 リアナは、動揺しながらも整然と説明できる自分に、内心で驚いていた。警官はメモを驚くほど速く取りながら、状況を理解していった。
「なるほど。PAに電源は繋がっていなかった、と…ちなみに、ゆうべここを締められたのは何時ごろでした?」
「ええと…たしか、6時過ぎくらいだったと思います」
 リアナが応対しているところへ、よく知っている声が聞こえてきた。
「リアナ!」
 その声はマヤだった。クレハも一緒だ。二人も同じように、蒼白で駆けよってきた。その後間もなくフュージョン部の全員が村治薫少年も含め集合し、驚きの中で警官や消防士の確認に答える事になったのだった。

「部室や機材の管理の状況は確認しました。ご協力ありがとうございます」
「あのっ、ここって今日は…」
 遅れて駆け付けたミチルは、例の黒と黄色の”KEEP OUT”テープで封鎖された部室前を見て、不安そうに警官に訊ねた。警官は頼もしかったが、回答はミチル達を奈落に突き落とすのに十分だった。
「はい、たいへん申し訳ありませんが、火災現場の保存が必要になりますので、この場所はいったん封鎖させていただきます。部室への出入りは、あの脇を通るようにしてください」
 それはPAとともに、ライブ活動の場をフュージョン部が失った事を意味していた。
「なんてこった。どこのバカ野郎だ、見つけて叩きのめしてやる」
 ジュナが物騒なことを言い出した横で、マーコが俯いたまま肩を震わせた。小さく嗚咽が聞こえ、目には涙がにじんでいる。
「なんでこんな事できるんだよ。みんなで頑張って組み立てたPAなんだよ」
 その肩を、ジュナが強く握りしめる。全員が同じ気持ちだった。クレハは、目に怒りの色を湛えつつ、腕を組んで現場を観察していた。1年生たちは、ただ不安そうに困惑していた。改造を手掛けた薫も、さすがに憮然としている。

 消防がひとまず鎮火を確認して現場をあとにすると、警察と教頭先生を含む教員が数名残り、生徒たちは速やかに校舎に入るよう指示された。単に邪魔なのもあるが、今日は遠征試合に出発するバスケットボール部、バレー部の壮行式が授業に先立って行われるためである。
 被害者のフュージョン部の面々はショックを隠せないまま、呆然として壮行式に並んでいた。壇上の校長先生の激励も、一切耳には入らない。
 
 誰が。何の目的で。

 その2語が、メンバーの脳裏でリピートされた。

 昼休み、PAのない部室に薫を含めた10人が集まった。気落ちと不安のなか、それぞれが昼食を広げる。
「こんな時だけど、さっき竹内顧問には薫くんの加入について話をしておいた」
 ミチルは毅然と立って、メンバーにそう言った。部長がしっかりと立っていなければならない、そう自分に言い聞かせた部分もある。
「顧問は何て?」
 マヤもまた、"参謀"として冷静になるよう努めていた。二人の態度にはいくらか効果があったようで、特に1年生たちは入部早々の事件に対して毅然と振る舞う様子に、勇気づけられた。
「うん。いちおうその話は顧問が預かるけど、部員内で了解が得られているなら、部活の存続は問題ないだろう、って。ただひとつの不安要素を除いて」
 それは、もう言わずと知れた事だった。
「教頭か」
 苦々しげに、ジュナは卵焼きを口に運んだ。
「うん。どうなるか、わかんないけどね。教頭も勝手すぎる、っていう意見もちらほら教員の間から出てるらしい」
「そりゃそうだ。10人揃えばOKだっていう約束だったんだからな。こっちはそれを形のうえでは達成したんだ」
「うん」
 けれどね、とミチルは言った。
「ユメ先輩にも相談したんだけど、話が通らなかった時に備えて、ちょっと計画してる事がある。その事について、みんなの意見を聞きたい」
 ミチルが改まって説明を始めたので、何事だろうとメンバーは耳を傾けた。

「…マジでそんなこと考えてんのか」
 呆れたように、ジュナが半笑いした。その図々しい計画に、放火のショックも薄らいでしまう。
「けど、それをやるにしても、PAがないんじゃどうにもならないだろ。それに、場所はどうする。警察があの黄色いテープを剥がしてくれないうちは、ライブできる場所はないんだぜ」
 ジュナの言う事はもっともである。だが、そこで1年生の獅子王サトルが、確信めいた顔でひとつ意見をした。
「ライブの場所が確保できればいいんすよね」
 サトルが当たり前のことを言うので、メンバーはキョトンとした。
「そりゃそうだけど、その場所がないでしょ」
 指摘するまでもない事実をマヤが言った。だが、そこでミチルが「あっ」と声を上げた。全員の視線が集中する。
「体育館か」
「ビンゴっす」
 サトルは、クールそうな外見に相応しいとは言えない、軽い調子でミチルを指差す。
「ちょっと待ってよ、放課後はバレー部とかバスケ部が…あっ」
 マヤも、ようやく気付いたようだった。連鎖的に他のメンバーも理解し始めた。
「そう。バスケ部もバレー部も、すでに遠征試合に向けて出発した後。つまり、体育館が今日明日、使えるってことよ」
「なるほど。しかし、許可は取れるのか」
「取れるのか、じゃない。取るのよ。運動部が使えて、文化部が使っちゃいけないなんて道理はないわ。ちょっとステージを借りるだけよ」
 ミチルはそう言うと、弁当の残りをかき込んで突然立ち上がった。
「ちょっと出て来る!」
「走って吐くなよ!」
 食事中に気の利いたジュナの注意を背中に受け、ミチルは竹内顧問のいる第二職員室に向かうのだった。
 ミチルがいなくなった後、当然のように部員たちは、放火犯について話し始めた。
「一体どこの誰なんだろうな、こんな事やりやがったのは」
「愉快犯なのは間違いないわね。私達、いまちょっとした話題のグループだもの。攻撃する相手は、知名度が高いほどいい」
 マヤは冷静だった。すると、リアナが感心しているのか、不安なのかわからない表情で訊ねた。
「先輩達、怖くないんですか」
「え?そりゃ怖いわよ。何しでかすか、わからない相手なんだから。この部室に火をつけられたかも知れないんだし」
 そう言いながらも、マヤをはじめ2年生は堂々としている。1年生の前では剛毅に振る舞おうという事なのか、それとも実は大して怖がっていないのか。
 すると、静かに昼食をとっていたクレハが、ルイボスティーともローズヒップティーとも言われる真っ赤なお茶らしきものを一口飲んで言った。
「犯人像はだいたいわかる」
 どこの名探偵だ、というような澄ました表情で、クレハはきっぱりと言った。ジュナは、ボトルのブラックコーヒーのキャップを閉めてまじまじとクレハを見る。
「マジで言ってんのか」
「ええ」
「どんな奴だ」
 すると、クレハはその場の全員を見渡して言った。
「3年生」
「なに?」
「模擬試験も含め、成績はあまり良くない。進路も不透明。気は小さいタイプ」
 クレハが行っているのは、いわゆるプロファイリングだ。犯行の状況から犯人像を推理する。その推理内容に、マヤは「なるほど」と頷いた。クレハは続ける。
「愉快犯の犯行動機は主にふたつ。ひとつは、犯行そのものを快楽とするサイコパス的発想。もうひとつは、日頃の憂さを晴らすため」
「今回は後者、ということ?」
「ええ。けれど、部室に火を放つほどの度胸は持っていない。本物のサイコパスなら、私達がここにいる時を狙って、扉を封じて火を放つでしょうね」
 ゆるふわロングの美少女の口から恐ろしい犯行が淡々と説明され、一同は肝を冷やした。外に警官がいる事が、非常にありがたく思える。
「あの教頭って事もあるかもよ、犯人」
 いくらか元気を取り戻したマーコの、推理というにはお粗末だが、1パーセントくらいは可能性があるかないかという話にクレハは小さく首を振った。
「阪本先生は扱いづらい人ではあるけど、裏でコソコソやるタイプじゃないわ。ルール変更にしたって、職員会議で公然と言ってのけたわけでしょう。少し偏見があるにしても、それを隠そうともしない人間よ」
 その、褒めてるのかどうかよくわからない評価に、一同はうーんと唸った。
「じゃあクレハは、あくまで生徒の誰かだと思ってるんだな」
「ええ。それも、私達のライブを聴きに来ている生徒」
「なんだって」
 ジュナがわずかに眉をひそめる。クレハは少し考えを整理して、順を追って展開した。
「さっき言ったように、犯人はおそらくストレス発散のための愉快犯。そして、気は小さいけれど小手先の知恵は働く。PAを狙ったのは、最小限の作業で私達の活動を止めさせるため」
「…なるほど」
「電子楽器がメインのフュージョン部は、PAがなければライブができない。そのPAは、搬出入の問題で常に外に出してあった。それを知っているのは、少なくとも何度かライブに足を運んでいる人間。教員は例外を除いてほとんどライブに来ていないから、生徒の線が濃厚」
 クレハの推理をまとめると以下のようになる。

・学校の生徒である
・ストレス発散が目的
・上の理由と期末考査後という時期を併せて考えると、進路、それもおそらくは進学について悩んでいる生徒。つまり3年生の可能性が高い
・何度かフュージョン部のライブに足を運んでおり、メンバーが顔を見ている可能性がある
・機材のみで部室に放火していない点から、部員に危害を加えるほどの意志または勇気はない。
・明け方という犯行時刻を考えると、徒歩で通学できる範囲に住んでいる可能性が高い。

 ここまでまとめた段階で、薫がひとつ推理を追加した。
「アセトンとかメタノールとか、揮発性が極めて高い燃料を使って火をつけた可能性が高いね」
「どうして?」
 マヤが訊ねる。
「灯油は揮発しにくいから、うっかり手や衣服につくと匂いを取るのに手間がかかる。犯人はおそらく、ウーファーユニットを刃物で裂いて、キャビネット内部にアセトンやメタノール等を染み込ませて着火したはずだ。着火に時間がかかれば、犯行がバレるからね」
「アセトンなんて、学校にいくらでもあるぜ。なんせ科学技術工業高校だからな。先輩いわく、学校の薬品があれば爆薬なんか作り放題だそうだ」
 ジュナが真顔で言う。そんな物騒な事を言っているのは、どの先輩なのだろう。通報した方がいいのではないか。薫は話を続けた。
「そう。つまり、そういった薬品を扱う学科の生徒の可能性がある。そんな学科はひとつだけだ」
 的中しているのかどうかはわからないが、犯人像がおおむねまとまってきた。推理する薫の眼鏡が、窓からの明かりに白く反射しているのが不気味だった。

 第二職員室の竹内顧問のもとを訪れたミチルは、ある意味予想していたというべきか、捉えようによっては、渡りに舟とでもいえる報告を受けることになった。本題に入る前に顧問はまず、朝の放火事件について切り出した。
「朝は大変な事になったな。気落ちしていないか、みんな」
「はい、なんとか大丈夫です」
「そうか…10人揃ったという事を、学校側に報告した。基本的に職員は、部活の存続に賛成だ。清水美弥子先生もな」
 その最初の内容は、ミチルを安堵させるものではあった。しかし、待ち構えていたかのように「だが」という文言が続いた。
「教頭が、面倒な注文をつけてきた。新入部員を含めてどんな活動ができるのか、審査するというんだ」
「審査!?」
「ああ。部費を拠出する以上、それを求める必要がある、ってな」
 何かしらハードルを設けて来るとは思っていたが、審査ときたか。だが、それはある意味でミチルの思惑と合致する事でもあった。ミチルがあたかも我が意を得たかのような顔を見せたので、竹内顧問は軽く面食らったようだった。
「どうした。何やら自信あり気だな」
「いいえ。ドキドキして心臓が停まりません」
「停まってちゃダメだろうが!」
 顧問と部員は互いに笑い合った。何事かと周りの教員が視線を向ける。
「竹内先生、それじゃ審査の場所は、こちらで指定させていただいて構いませんか」
「なに?」
「今日明日は、第二体育館が空いているはずです。フュージョン部の、ステージの使用許可を頂きたいんです」
「なるほど、そう来たか。それはまあ掛け合ってみるが…PAはどうするんだ。体育館の、あのしょぼいスピーカーじゃろくな音にはならんだろう。それとも放送部からでも借りるか?」
 自分のあずかり知らないところで酷評された気の毒なスピーカーはさておき、ミチルは何の根拠もない自信があった。のちに思い返すと、どこからその自信がきたのかミチル自身にもわからなかった。
「ご心配なく。私たちには頼もしい”部員”がいますので」
 それは、ミチルたちにとって熱い感情とともに永く記憶される日々の、終幕へ向けた前奏曲だった。導火線に走る炎が、出番を今かと待ち構えていた。

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