Light Years(184) : いくつもの奇跡
そこからは、昨年秋ごろにはすでに完成していたナンバーが続いた。ドラムを叩くのは楽しい。今の所これ以外の楽器は、やろうとは思わない。
ドラムは、ある意味でその空間を支配している楽器だ。音楽にはリズムがある。そのリズムを、他のどの楽器よりも明確に体現している。まだ理屈はわからないものも多いが、頭ではなく、腕と脚で覚えている。一度覚えた曲はおそらく、忘れる事はない。
マヤは、リズムの理論を覚えろ、という。耳と腕と右脳の感覚だけではなく、左脳で。理論は後輩のアオイの方が、覚えているかも知れない。そのうち勉強しなくてはならないのだろう。マヤからはキーボードの基本も覚えろ、と言われているのだが、それならマヤもドラムスの基本を覚えないと不公平ではないのか。しかし、マヤが鍵盤以外の楽器を演奏している光景も、まったく想像できない。
まだまだ課題があることは自覚しているけれど、ひとつだけ確信している事がある。この4人と、本当にリズムを合わせられるのは自分だけだ。5人でステージにいる時、自分が迷う事なく自分でいられる。みんなと一緒にやれる事が、楽しい。マーコがドラムを叩く一番の理由は、ひょっとしたら、それだけかも知れなかった。
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たいして関心もなかったのに、家族や友人に勧められた結果、勧めてきた当人よりもハマってしまう、という事がある。
マジで可愛いからライブ行こうぜ、と高橋恭弥15歳は中学の友人の進藤に誘われて、ザ・ライトイヤーズのレコ発ライブにやって来た。ライトイヤーズの存在は知ってはいたが、可愛くてもフュージョンというジャンルには興味がないので、断ろうかと思った。が、友人の誘いを無碍にもできない。
進藤はメンバーが可愛い、としか言っていない。それはそれで、ある意味ストイックだ。偉いかどうかはともかく。恭弥はライブハウスというものが初めてだ。メジャーなアーティストが来る、南條サンプラザホールや市民会館とは雰囲気が違う。フュージョンという音楽も含めて、初めてだらけだ。
ところが、オープニングで恭弥は頭をガーンとやられてしまった。なんだ、これは。ジャズとかフュージョンって、オッサンが聴く眠い音楽じゃないのかと思っていた。へたなロックより、何倍もロックだ。それとも、この人達だけなのか。
そして、恭弥はギターを奏でるヘアバンドの女性に、一目惚れしてしまった。カッコいい。こんなカッコいい女性のギタリストが、他にいるだろうか。レスポールがあまりにも似合う。
カッティングも、リフも、ソロも、とても2つかそこら上の人だとは思えない。ギターを馬に例えるなら、飼いならし、かつ自由に走らせる事を知っているような、名ジョッキーだ。
カッコよくてギターも超絶上手いとか、神様はちょっと遠慮を知らないのではないか。帰ったら、すぐにこの人の活動をチェックしよう。たぶんこれも、勧めてきた進藤より自分の方がハマってしまうパターンだな、と恭弥は思った。
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今日はミスらない、安定した演奏を、と金木犀マヤは心に誓ってステージに臨んだ。
普通の、安定した、無難な演奏は面白くない。レーシングラインギリギリを攻めるような、あるいはランオフエリアに飛び出すぐらいの演奏をしたい。そう思って弾くと、本当に飛び出してしまう。
次の曲は、ライブ前半を締め括る重要なバラードだ。トリッキーな構成は一切ない、演奏のクオリティーが全ての直球勝負。マヤのピアノと、ミチルのサックスに、ほぼ全てがかかっている。
そのときマヤは、これまで感じた事のない緊張を覚えた。ジャズフェスで数十万のオーディエンスを前にしても、これほどの緊張はなかったはずだ。理由はわからない。
だがその時、ふとロフト席の、カリナ先輩と目が合った。
マヤはフュージョン部に入部した時点で、独学で音楽を勉強していた。歌はそれほど得意ではないが、演奏と、譜面の読み書きも基礎的なところは身に付けていた。
だが、フュージョン部に入って、当たり前の事に気がついた。ライブでは人前で弾かなくてはならない、という事だ。
対人恐怖症というわけでもないが、誰だってステージに立つのは緊張するだろう。部室で練習している時は良かった。だが、演奏に慣れてきた二学期の始め、マヤ達は初めてライブハウスでステージに立たされた。
その時知ったのは、バンドマンというのは案外普通というか、社交的な"いい人"が多い事だ。ステージ裏では緊張もなかった。だが、ステージに立った瞬間、5人をフロアの、確か100人近い視線が射抜いた。
マヤは、その時カリナ先輩が言い聞かせてくれたアドバイスを覚えている。
『内向的な自分を、そのままステージに持ち込みなさい』
それが、カリナ先輩からのアドバイスだった。自分を変える必要はない。変えずに、そのまま自分の演奏をしろ。内向的な人間にしか出せない音もある。
マヤは、その言葉で目が覚めた。ステージにも堂々と立てるようになった。そして、その時から、マヤという人間自身にも変化が起きた。なんとなく、まだ他のメンバーともぎこちなかった関係性に、終止符を打つ決心がついたのだ。思えばその時、この5人の本当の結束が生まれたような気がする。そこからの、バンドの成長は早かった。先輩達が出してくる課題曲も、きっちり覚える自信がついた。
あの時の気持ちに立ち返ろう。ありのままの自分を、そのまま旋律に乗せるんだ。マヤは、透明な気持ちで鍵盤に向き直った。
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カリナはロフトから、ステージに立つマヤを見た。初めてライブハウスに出させたあの時、マヤはフロアの客を前に、怖気づいていた。独学で音楽を学んできたという少女。その知識量と演奏技術は、入部した時点で大したものだった。将来バンド活動をするうえで、必ず中核的なポジションにつくだろうと思ったが、その予想通りになった。ザ・ライトイヤーズの核は、いまキーボードの旋律を奏でている、自慢の弟子だ。
マヤの演奏には当初、情感が欠けていた。まるで、打ち込み音源のような固さがあった。基本的にインドア派で、内向的な性格だった事も一因だろう。だが、ステージに慣れた時から、自分の出し方も学んだようだ。いまステージから流れて来る旋律は、流麗そのものだった。ミチルのサックスと、マヤのキーボード。”Twilight In Platform”。名曲だ。いつか、自分たちのバンドでも演奏してみたい、と思う。
そろそろ、ライブも半分を過ぎる頃だろうか。なんだか、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。マヤ達はいつか、もっと広いステージで、もっと長いセットリストをこなす日がくるのかも知れない。その時、自分たちはバンドを、音楽を、続けているだろうか。
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『だいたい私達のステージっていうのは今まで、野外が8割近くて。こういう、屋根のついた所でやるのはわりと珍しいんですけど』
ミチルのMCで、フロアに笑いが起きる。どうも、笑いの取り方を自分たちから受け継いでしまったらしい、と田宮ソウヘイは内心で少しだけ反省した。いつぞやの、小さな街角ライブのMCは、ほとんど漫才だった。
『でも、最初にこの5人でやったライブは、もう少し小さなライブハウスでした。お客さんも、もっと少なくて。少ないって言っても、たしか100人以上はいたんですけど。あの、ロフト席にいる先輩達に、半ば強制的にやれって言われたんです』
おいバカ、やめろ。こっちを指差すな。350人の客が、一斉にソウヘイたちを見上げる。ユメたちは知らん顔をした。
『真面目な事を言うと、そういう経験があって、いま私達はここにいるわけで。今さらですけど、先輩方、ありがとうございました』
唐突に5人が頭を下げる。なんだ、なんだ。フロアからも拍手が沸き起こった。なんで、ゲストの自分たちが拍手されないといけないんだ。ミチルは、さらに続けた。
『先輩方は、”Electric Circuit”っていうプログレ・フュージョンバンドをやってます。どマイナージャンルで、変拍子当たり前の変態じみた曲ばっかりなんで、まあ9割がたドン引きされるとは思うんですけど、良かったらサブスクで検索かけてみてください』
だいぶ癖のある紹介だ。もうちょっと先輩に対する敬意というものを教育するべきだったかも知れないが、上下意識が希薄なフュージョン部なので仕方ない。それにしても、自分のライブでよその宣伝をするバンドなんて、いるものだろうか。
気の抜けるようなMCをはさんで、ライブは後半に入った。”Midnight City”。これはソウヘイも好きな曲で、何度も繰り返し再生している。デイヴ・グルーシンのような、落ち着いたアダルト・コンテンポラリー・サウンド。ジャズのような雰囲気ではあっても、やはりサウンドはフュージョンだ。年配の客たちが、うんうんと頷いている。いま若手で、こんなサウンドを聴かせるバンドは少ないと思う。ソウヘイ達は気が付いたらプログレ系に傾倒してしまい、軌道修正ができなくなってしまったが、こういう曲もやってみたい、という気持ちはある。
ミチルがわざわざ自分たちを紹介したのは、ソウヘイ達にバンドをやめて欲しくないからだ。それはソウヘイにもわかる。だから、こうしてリスナーが増えるように画策しているのだ。まったくいい後輩を持ったと思うが、はたして大学に進んでから、このバンドは今までのように活動できるだろうか。それを考えると、頭が痛い。まあ、何とかなるだろう。
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続くナンバーは、さるイギリスのコンペティションに応募したものの、最終選考で落選したといういわくつきのナンバーだ。ハリー・ポッターのテーマみたいなイントロから、イギリスの探偵ドラマみたいな雰囲気の、ちょっとヨーロピアンなジャズ調サウンドが展開する。市橋菜緒は、この曲が好きだった。
大原ミチル、そして金木犀マヤに、コンポーザー=作曲家としての才能がこれほどあるとは、さすがに菜緒の予想を超えていた。菜緒も、作曲まではやった事がない。譜面の読み書きはできるので、やろうと思えば作曲もできるのかも知れないが。
もっとも、ライトイヤーズで現在、譜面を完全に読み書きできるのは、マヤただ一人だ。彼女が、このバンドの作曲とアレンジの柱と言っていい。おそらく実質的に全ての楽曲が、マヤのアレンジを通して出来上がっているだろう。いずれメンバー全員で、音楽の基礎を学ぶ予定ではあるらしいが。
順風満帆のようでいて、実のところこのバンドは、先行き不安な所もないわけではない。まず単純な問題として、楽曲のアイディアがいつまで持続するか、というのが最大の不安要素だ。ミチルとLINEで会話していると、やっぱり曲のアイディア出しで、相当悩んでいたらしい。1曲2曲でそんなに悩んでいるようだと、今より本格的にミュージシャンとしてスタートした時に、対応できるのか。それとも、こういうのを余計なお世話というのだろうか。
菜緒は、音楽の基礎理論についてはすでに、ミチル達よりも深く学習していると思う。もし、自分が力になれる場面があったら、協力してやりたい。そこまで考えて菜緒は、どうしてこうも先輩という生き物は、後輩のやる事に首を突っ込みたくなるのだろう、と自問した。
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落ち着いたジャズ調のナンバーが終わって、突然フロアがざわつき始めた。カナメは、となりのリオに「ねえ、あれ」とステージを指差す。そう、ステージの背後に最初から居座っていた、ヴァイオリンをいよいよ大原ミチルさんが手にしたのだ。ミチルさんは真剣な表情でヴァイオリンを肩にかけ、慣れた様子で弓を手に取った。
「ヴァイオリンも弾けるんだ」
「かっこいいね」
16歳の少女の、素直すぎる感想だった。自分たちはそれぞれキーボード、ベースと1種類の楽器でアタフタしているのに、アルトもEWIもヴァイオリンも扱えるなんて。そう思っていると、さっそく演奏が始まった。もう、アルバムで発表されている新曲だ。タイトルは”Tricolore (トリコロール)”。
ミチルさんのヴァイオリンが、楽しくも品格のあるメロディーを奏でる。驚くのはドラムだ。マーコさんはどこからか取り出した、高さ50センチメートルくらいの木箱に跨って叩いている。マイクが繋がっているのだろう、アンプを通して小気味よいリズムが流れてきた。
「あれ、なんていうんだろう」
「さあ」
ふたりがキョトンとしていると、ローゼス・ミストラルのドラムス担当、サヤカさんがあれは”カホン”という楽器だと説明してくれた。木箱に穴をあけただけの、恐ろしくシンプルなペルーの民族楽器で、スネアだとうるさくなるのでこの楽器を選んだのだろう、という話だった。
ライトイヤーズのサウンドは、本当に千変万化する。なんていうか、フュージョンって自由でいいな。それとも、ロックでも同じように、自由にやっていいのだろうか。ステージの5人を見ていると、音楽は自由なんだ、決まりなんてないんだ、と教えてくれているような気がした。
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先輩達らしい曲だな、とリアナは思う。ヴァイオリン、ピアノ、ギターがそれぞれ同じメロディーを奏でる、3部構成。デパートのBGMのために作られた曲だ。ともすれば同じ音が繰り返される短調な曲になりがちなので、あえて3つのパートでメインの楽器を変える。とくに最初のパートがヴァイオリンなのは、すごい度胸だと思う。ミチル先輩がヴァイオリンの演奏を本当に掴んだのは、ごく最近の事なのだ。
それにしても、先輩たちの楽曲を作るペースは凄い。本人たちは遅いと言っているが、冷静に考えると、5人がオリジナルを作り始めて、まだ1年も経っていないのだ。せいぜい8か月というところだろう。その間に、いったい何曲作ったのか。
先輩達は、自分たちが凄いことをやっている、という自覚がない。ステファニー・カールソンのオープニングアクトに始まって、本当にいろんな出来事を駆け抜けてきた。リアナに言わせれば、その全てが、いくつもの奇跡だった。本人たちに自覚がなさすぎるから、周りにいるリアナ達も、その凄さを忘れがちになる。この5人は、3年生になってもこんな調子なんだろうか。
けれど、これだけは言える。いま、私達は伝説を目の当たりにしている。だからこそ、いつか胸を張ってこう言える日を、私達は楽しみにしている。
ザ・ライトイヤーズの名付け親は、私達だと。