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Light Years(177) : SHADOW

 穏やか、というほどでもないが、それまでのレコーディングで混沌とした日々が、嘘のような数日間だった。ザ・ライトイヤーズの面々は、レコ発ライブへの準備と練習にひたすら集中していた。
 セットリストは、アルバム制作に入る前にほとんど決まっていた。半分は過去に何度も演奏した曲で、もう半分はつい最近練習した曲である。
 とは言ってもライブはトータルで1時間半を超える予定で、アンコールがあれば2時間に迫るだろう。今までで最長のステージだ。
「長いステージを乗り切るコツってありますか、って昨日LINEで風呂井リンさんに訊いたらさ」
 アルトサックスをスワブで丹念に拭きながら、ミチルは隣でレスポールのメンテナンスをするジュナに言った。
「なんて?」
「頑張ればできる、だって」
 妥当すぎて文句の言いようがない。ジュナは「なるほど」と、神妙に頷いた。頑張ればできる。大概の物事はそうである。ぶじ大学に受かった人が言うから説得力もあるが、ミチルが訊きたいのはそういう根性の話ではない。だが、ジュナは気楽なものだった。
「去年の暮れに、ミストラルとの対バンで1時間やっただろ。あの2倍弱って考えれば、どうって事ねーよ」
「でた!ジュナ・マーコ理論」
 ジュナ・マーコ理論とはごく最近提唱され始めた最新の学説で、"すでに乗り越えた課題の2倍くらいまでなら何とかなるだろう"という仮説を基礎にした研究である。ちなみに3倍を超えると"ちょっと厳しい"らしい。
「おーい、不毛な会話してる君達」
 キーボードの向こうから、哀れな生き物を見るような目でマヤが言った。
「そのステージだけど、やっぱり今までで一番の長丁場だからさ。リハも、入念にやっとくべきだと思うんだけど」
「まあ、そうだね」
「ジュナ、例のスタジオ。前の日に3時間、予約入れといてくれる?」
 マヤの指示に、ジュナは頷いてスマホをタップした。
『石井材木店ですー』
「お世話になってます、折登谷と言いますけど。あっはい、スタジオ。30日に借りたいんですけど。えっ?マジすか。…んじゃ、その時間でいいです。はい、3時間。お願いしまーす」
 電話するジュナを、メンバーが不安そうに見た。「マジすか」とは何の事だ。
「なんかあったの」
「うん、午後が埋まってて、午前にしてくれって。9時から」
「あそこに9時か。となると、私は8時前には家出ないといけないな」
 ミチルは当日朝の移動をシミュレートしてみた。自宅近くにスタジオがないミュージシャンの宿命である。
「ま、仕方ない。午前中のうちリハ終わらせて、午後はゆっくりするとしよう」
「部室でも、ある程度は通しでやっておこうよ。何回やっておいてもいいじゃん」
 マーコの言うとおりだ。一曲まるまるやらなくても、セトリの流れを掴むだけでも意味はある。
「そうだね。あっそうだ、クレハ。例のコンペにはもう提出したの?」
「ええ。いちおう、レーベルにも話を通した上で、例のフォーミュラカーのプロモーション事業本部あてに音源ファイルを提出済み」
「よし。そっちはもう、ある意味関係ないな」
 ミチルは、さっそくカレンダーの予定のうち、"コンペ音源提出"の項目にフェルトペンで二重線を引いた。もう、コンペに通るかどうかは向こう次第である。
 ただ、このコンペは例の元フュージョン部OBが在籍する、大学のAIテクノロジー研究室も参加している。なんでか知らないが、室長である宮本信一郎教授は、ライトイヤーズを目の敵にしているらしい。
「コンペ、どうなるかな」
「人工知能の曲が採用されたらどうする?」
 マーコがボソリと訊ねた。みんな一瞬黙り込む。もしそうなったら、少なくとも例の教授は、「ライトイヤーズに人工知能が勝った」という実績を手にする事になる。だが、ジュナは首を傾げた。
「だから何だ、ってあたしは思うけどな」
 まったくもってジュナらしい。
「そもそも、あたしらに勝ったら、なんかいい事あるのか?勝ち負けが存在するとしたらの話だけどさ」
「そもそも、あの教授ってどんな人なわけ?」
 もうその日は練習するには時間が押しており、ライトイヤーズは機材のメンテナンスをしつつ、雑談モードに入っていた。するとクレハが、スマホをタップしはじめた。
「実は、レコーディングの邪魔になるから伏せておいたんだけど」
「あー、また小鳥遊さんに調べさせたな」
 ミチルのツッコミに小さい咳払いで返すと、クレハはドキュメントアプリにまとめられた、宮本教授に関するデータを説明した。

 宮本信一郎、現在52歳。岐阜県下呂市出身、学生時代の成績は極めて優秀。米カーネギーメロン大学・計算機科学部を卒業後、内外の研究機関を転々とし、初期はロボット制御技術の優秀な研究員として活躍、いくつかの特許も取得している。しかし、当時のロボット制御技術の可能性に限界を感じ、ソフトウェア、特にAI研究に邁進する。
 その後世界的な"第3次AIブーム"が起きるが、宮本は主流のディープラーニング技術に対して異論を唱え、学会では異端児となり、現在は洋華大学という中堅の大学で、ほとんど独自の研究を続けている。

「ふうーん」
 クレハのスマホを横から覗き込んだマヤが、感心したように言った。
「立派なもんじゃない。異端児、ってのは引っかかるけど。ロボット制御から、現在はグラフィックとか、音楽の生成技術に研究対象が変わったってわけか」
「どういう事だろうね」
 ミチルは頭をひねった。
「ロボットと音楽、どういう関係があるの?」
「それはわからないわ。けれど、ちょっと気になるデータがある」
 クレハは文書を下にスクロールさせた。そこには【補足事項】という項目があった。
「ここは、プライバシーに関わるかも知れないから、誰にも口外しないこと。いいわね」
 クレハに釘を刺され、メンバーは話を聞いて大丈夫なのか、と身構える。が、クレハは構わず話し始めた。
「宮本氏はご両親がものすごく厳しかったらしくて、幼少期にあまり娯楽に触れる事がなかったそうなの」
「漫画とか、ゲームとか?」
「そう。そして、小学校でも"遊ぶ"ということに、あまり縁がなかったらしいわ。ただし、囲碁だとかは父親に言われて、やっていたみたい。スポーツもある程度は出来たらしくて、とにかく相手に勝つように、と言われ続けて育ったらしいわ」
 それを聞いて、ミチル達はなんだか薄ら寒いものを感じた。つまり、「勝つ」という根本原理だけに基づいて、思春期を過ごして来たということだ。
「28歳でお見合い結婚。30歳のとき長女、32歳のとき次女を授かる。けれどその数年後、当時の妻が不倫のすえ、娘を連れて離婚。その後何人か関係を持った女性はいたようだけど、宮本の人格的な問題もあって、ずっと独身のままね」
「うわあ…」
 ミチル達は、げんなりした様子で互いの目を見た。そういう生々しい話を淀みなく語るクレハも怖い。
「人格的問題って、なんだ」
 ジュナが、恐る恐る訊ねた。聞きたいとも思わないが、聞かないとそれはそれでモヤモヤするのだろう。クレハは構わず説明する。
「情緒感覚がまるで欠如欠落していて、恋愛も何も実は楽しんでいない、という事らしいわね。結婚も、子供を授かる事も単なる世間体。恋愛や結婚どころか、"趣味嗜好"というものが欠如している。衣服は体温調節と身体の防御手段、味覚は摂取するうえでの安全性の判別手段、車は移動手段、趣味らしい趣味はない、というわけ。最後に別れた女性は、その異常性に気付いて、デート中にカフェから文字通り逃げ出したらしいわ」
 やっぱり聞かなきゃ良かった、とジュナの顔に書いてある。ミチルもはっきり言ってそう思う。彼氏にコップの水をぶちまけた、なんて話は聞くが、逃げ出すなんてのは普通ではない。
「若い頃の写真を見たけど、イケメンよ。スタイルも抜群。ただし、服も車も何もかも、良質ではあっても、宮本自身の嗜好は一切なかったそうよ。合理的か、もしくは流行しているか、それだけだったみたい。自慢も一切しなかった、って。これは小鳥遊さんの、宮本氏をよく知る人達からの聞き込みだけど」
「自分がない秀才の美男子、ってことか」
 口に出して、ミチルは不気味に思った。なんというか、実体のない影のような人物だ。趣味嗜好の権化みたいな兄を持つ、ジュナには信じ難いだろう。そこへ、マヤが訊ねた。
「それがなぜ、科学の道に進んだの?勝ち負けにこだわるなら、よくいる実業家とかにでもなれば良かったんじゃない?何やってるかわかんないけどお金だけは持ってる人達、いるでしょ」
「そこまでは、さすがにわからないわ。けど、自身の研究に関しては、プライドみたいなものがあるみたいね。私達を妙に目の敵にしている事と、どう繋がるのかはわからないけど」
 さしもの名探偵クレハも、現段階でそこまでは分析できないらしい。しかし、小鳥遊さんはいつの間に、これだけの事を調べたのか。むしろ小鳥遊さんが一番怖い気もする。
「そういう特殊な人間像が、私達に絡む事と無関係であるとも思えないわね。私達の音楽ないし活動が、宮本の中の何かを刺激した」
 ミチルの結論に、全員が頷いた。だが、それを知ったところで、今のミチル達にはもはや何の関係もない。コンペを通過したい気持ちはあるが、仮にこの宮本という人物の研究にコンペで"負けた"ところで、すでに多数のファンを抱えるミチル達にとっては大した意味もなかった。
 
 後日、ミチルのもとに久しぶりの人物が顔を見せた。ジャズ音楽誌「レコードファイル」誌の、京野美織さんだ。相変わらずのロングヘアは、今はグリーンに染められていた。よく会社から何も言われないな。
 学校に許可をもらって、取材は放課後に食堂を借りて受ける事になった。
「いよいよ待望のファーストアルバムですけど、手応えはいかがですか」
 さっそく、京野さんはストレートに訊いてきた。
「そうですね、何しろ大急ぎで作ったもので」
「ファンの間では、不穏な憶測も一部であるみたいですよ。2年生のうちにアルバムを仕上げて、解散しちゃうんじゃないか、って」
「あはは、それはないですよ。っていうか、そんな事になってたんですか?」
 ミチルは半分本気で驚いた。まったく、ネットの流言飛語というのは放っておくとどんな事になるか油断ならない。要するに巨大な週刊誌である。
「まあ、ちょっと周囲から急かされたっていうのも正直あるんですけどね。鉄は熱いうちに打て、って言うし」
「いい刀が打てた自信は?」
「1曲目から、切れ味鋭いですよ!これは自信を持っています」
 ミチルは、スマホに入れた楽曲をCDラジオのAUX入力に入れて聴いてもらった。京野さんの目が光る。
「これは何と言うか、まるでF1マシンが疾走するようなイメージですね!ほうほう…」
 音楽ライターは、ちゃちいCDラジオで聴いても曲の良し悪しがわかるようだ。全部聴いてもらうわけにも行かないので、2曲目以降は再生しながらインタビューを続行する。アルバムのコンセプトについて語ったあとは月並みに、ここ数か月の間にあった出来事などについて色々と話をした。
 そのあと、やはり「バンドの今後は」という話になった。ミチルは、もう話してもいいだろうとマヤ達からも了解を取ったうえで、卒業後に音楽の学校に通う事を京野さんに説明した。
「なるほど、音楽理論を学ぶために」
「はい。やっぱり曲を作ってて悩むのは、フレーズだとかを思い付いて、それを形にするプロセスなんです。私の先輩たち…”Electric Circuit”っていうバンドのメンバーは譜面の扱いにも慣れてるし、音楽理論も音大出たのか、って思うくらい詳しくて。その後輩の私達が、譜面の読み書きができるのが一人だけっていうのは、ダメだと思ったんです」
「そうなると、その間の活動は縮小する事になるのでしょうか」
 やっぱり重要なポイントを京野さんは訊いてきた。
「そこについてはまだ考えている所なので、今明確に答えることは出来ないんですけど。理想を言えば、今と変わらずに活動できるような選択ができないか、と思ってます」
 ミチルは正直な所を言った。実のところ、まだ専門学校に行くか、短期の音大に行くかも決めていないのだ。のちにミチルたちは、音楽理論を学ぶ事は変わらないが、音大とも専門学校とも違う選択をする事になる。当然この時のミチルには、選択にそんな変化が起きる事など知りようもなかった。
「以前はプロとしてやっていく事に、まだ戸惑いがあったように見受けられます。現在はどうでしょうか」
「戸惑いが全くない、と言ってはウソになります。けれど、もうメンバー全員、この道をとにかく進んでみよう、ということで同意しています。もっとも、今の状況だと、仮に引き返したくてももう無理ですけど。公式のファーストステージが3万人の野外ライブの前座とか、いま冷静に考えると、どうしてこうなった、っていう」
「あははは!」
 またまた京野さんは盛大に笑った。
「そうですよね。ニューヨークのレーベルに所属して、アルバムも出して、こんな状況でやっぱりやめます、なんて言ったら」
「もう袋叩きですよ。ネットも炎上」
「もう、この道を行かざるを得ないという事ですね!運命ですよ、これは!」
 なんだか京野さんも熱くなるタイプらしい。そのあとゲリラライブやローゼス・ミストラルとのライブ、最近出て来た注目のミュージシャンなどの話をしつつ、インタビューは終わった。

 そのあとミチルは1年生のいる第2部室に赴き、例の物販に出すCD-Rについて薫と相談していた。もう、記録用のディスクは用意してある。
「とりあえず、ライブでは200枚限定ってことになるけど」
「チケットは350人分売ったから、当日は早い物勝ちだね」
 薫とミチルは、ドンと置かれたCD-R100枚入りのスピンドル2本をはさんで、今後のシミュレーションを行った。その横には5mmのスリムケースが置いてある。
「ライブまでに200枚焼いて、ジャケットをケースに入れないといけない」
「ずっと前に大先輩バンドが、スピンドルに印刷もしないで書き込みだけしたCD-Rをカウンターに置いて、欲しい人は勝手に持って行ってください、ってやってたなあ」
「それでいいなら仕事は楽になるけど」
 さすがにそうも行かないでしょ、と薫は肩をすくめた。まだ世界的というわけでは当然ないが、ジャズ・フュージョン界隈で確実に知られてきているバンドが、不織布ケースすらないCD-Rを販売するわけにもいかない。
「ミチル先輩たちは、リハーサルに専念しないといけないでしょ。こっちで何とかするよ」
「お願いしていいの?」
「うん。ギャラはこの間もらった分に含めておいて」
「助かる!」
 ほんとうに助かる。いい後輩たちだなあ。そういえば自分達はこんなふうに協力的な後輩だっただろうか、とミチルはふと思った。ライブハウスの受付だとかは何度も手伝った事はあるが、これほど献身的にユメ先輩たちに力を貸した事はあっただろうか。とりあえず、その辺は考えない事にした。


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