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Light Years(179) : クレハ・アームストロング

 大原ミチルはアルトサックスを手に、大きく息を吐いて肩の緊張を解いた。
「こんなもんかな」
 ライブ前日、ザ・ライトイヤーズは"石井材木店"ガレージ2階の練習スタジオにて、リハーサルを全曲通しで終えた。あとは午後のうちに、機材搬入の準備である。
「一部、新曲で不安な所はあるけど」
「もうここまで来たら、ちょっとミスるくらいどうって事ないよ。間違ったものはしょうがない」
 マーコは、相変わらずのザ・ライトイヤーズの精神を言葉にした。ちょっとドラムが走ろうと、メロディーが2小節くらいすっぽ抜けようと、わずかなミスは起こり得る。間違ったものは仕方ない。2時間、7200秒のうち5秒や10秒ていど間違えても、どうという事はないはずだ。たぶん。
「けど、これがロックバンドだったら、歌詞の間違いも出てくるからな。なかなか大変だぞ」
「そっか、ジュナはロックバンド出身だもんね」
「つっても、あたしがいたのは流行りのナンバーのコピーばっかりだったからな。半分カラオケみたいなもんだった」
 ロックバンドからフュージョンバンドへ。変遷としては面白いが、ミュージシャンはたいがい、本家のバンドとは別のバンドでも活動する。もっとも、ライトイヤーズはジュナがリーダーになると"THE JALFEE (ザ・ジャルフィー)"という、地球上で最も語呂の悪いロックバンドに変身できる、リバーシブルなバンドでもある。そのうちロック限定のコピーライブでもやるか。
「また小鳥遊さんがバン出してくれるのよね」
「ええ。なんだか楽しそうにしてるわ」
 クレハは苦笑しながら答えた。
「それはまた。いつもはボディーガードかスパイみたいだけど」
 ミチルがそう言った時、ジュナが「あっ」と、手をポンと叩いた。
「そうだ、クレハ。ボディーガードで思い出した。この間、あのパクリバンドとひと悶着あった時、お前すごい掌底で、殴りかかってきた奴を弾き飛ばしただろ!あれ、なんだ!?」
 そういえば、とマーコも思い出したような顔をした。ミチルとマヤは何の話かわからない。
「そんな事あったの?」
 マヤの問いに、クレハは少し困ったように笑う。ジュナは、その時の記憶を辿るように目を泳がせつつ、ひとつ質問した。
「変だと思ったんだ。男5人に女子高校生3人が絡まれてるのに、小鳥遊さんは一向にバンから出て来ない。あれはつまり…」
「助けに入る必要はない、って判断したんでしょ、小鳥遊さんが」
 マヤが呆れたようにキーボードに頬杖をついた。クレハは観念したように肩をすくめる。
「その通りよ。私は小鳥遊さんから、護身術を教わっているの」
「なるほどね。ようやく、あんたが時々見せる常人離れしたスキルの正体がわかったわ。あの推理能力といい、その護身術といい。子供の頃から、プロのもとでトレーニングしてたわけだ」
 マヤは、半ば呆れたように笑った。
「ええ。最初は小鳥遊さんが、部下の人と組み手みたいなのをやってたのを、何してるんだろうって見てたんだけど。拳の型を真似事でやってたら、部下の人が「スジが良さそうだ」って小鳥遊さんに言っちゃったのね」
 すると、ジュナが突然立ち上がり、クレハに向かってポーズを取った。
「この間のやつ、カタだけでいいから、あたしにやって見せろ」
 もう、がぜん興味を持ってしまったらしい。クレハは珍しく、少し声を出して笑った。
「もう、スタジオの利用時間も終わりよ。そうね、駅前の公園でちょっと型を披露して、お昼にしましょうか」

 突然、昼の公園に楽器を背負った女子高校生5人が現れて、ゆるふわロングの美少女とヘアバンドのセミロング少女が対峙すると、周囲はざわめき立った。普段、あまり目立つ行動は控えようと言ってきた張本人はクレハである。マヤが、キリカに映像素材を売り付けると言ってスマホで撮影し始めたのを、芝生に座り込んだミチルとマーコは呆れた目で見ていた。マーコが、ワクワクしながらミチルに訊ねた。
「どっちが勝つと思う?」
「いや、ガチでやるわけじゃないから」
「クレハの顔、遊びに見えないのは気のせいかな」
 そう言われてみると、クレハの表情はなんだか気迫が感じられる。一方のジュナはというと、なんだかタチの悪いチンピラっぽく見えてしまう。
 あたかも対戦格闘ゲームのごとく、ジュナがジリジリとクレハに歩み寄った。どうするつもりなのかと思っていると、ジュナは柔術の要領でクレハの襟を取ろうとしているようだった。殴るわけにはいかないので、芝生に組み伏せるつもりなのだろう。驚くほどのスピードで、ジュナの手がクレハの喉元に襲いかかった。
 だが、クレハは優雅にその場を一歩下がると、右手の甲でジュナの右腕を払いながら、ジュナの右サイドに出た。クレハはそのままクルリと一回転しながら背後を取る。そのままクレハの左の掌底が、ジュナの腰骨を捉えてトンと押した。
「うわわっ!」
 クレハはご丁寧に、ミチルの方にジュナを押し出してくれた。ジュナは受け身を取る事ができず、完全に油断していたミチルは、文字通りガラの悪い黄金の龍が刺しゅうされたジャージの女を、真っ正面から受け止める事になった。
「ぎゃああ!」
「のわーっ!」
 ジュナの胸がミチルの顔を塞ぐ。友人の胸で窒息死というのは、あまり恰好良いとも思えない。ふたりは芝生の上で、だいぶ情けない様子で動けなくなってしまった。姿勢を完全に崩されたジュナは、立ち上がるのに時間を要した。
「ぶはっ!」
 ようやく息ができるようになったミチルは、ジュナを思い切り押しのけた。
「死ぬだろ!」
「お前が避けねーからだよ!」
 ほとんど小学3年男児のレベルである。その様子をマヤは余さず録画し、クレハはクスクスと笑っていた。マーコはギターケースの隣に座って拍手している。
「すごいすごい」
 マーコと一緒に、公園を通りかかったおじさんおばさん、春休みを満喫している小学生男児や女子高校生たちが拍手していた。クレハは優雅に一礼して、ジュナに歩み寄る。
「あなたなら胸に大きなクッションついてるし、大丈夫かなって」
「お前それ、完全にオヤジのセクハラ発言だからな」
 そう言いながら、ジュナは立ち上がると懲りずにクレハの喉元を狙う。今度はクレハも面倒なのか、同じ要領でジュナの背後に回ると、身体を密着させて両腕を封じてきた。
「ギタリストが腕をケガするような事しちゃダメでしょう?」
「ニコニコしながらホールドするな!わかった、ギブ!降参!あたしの負け!」
 ようやくジュナが観念すると、クレハは笑いながら解放した。やっぱり怖い。推理能力と格闘能力を持ったアニメオタクのベーシスト女子高校生。情報量が多過ぎやしないか。
「お前すげえな」
「ジュナ、あなた手加減してるでしょう?」
 唐突なクレハの指摘に、ジュナは目に見えてギクリとしていた。なんだと。
「動きを見ればわかるわ。私の動きを引き出すために、わざと隙を作らせたわね」
「お前は少年漫画の主人公か」
 なんかそういうキャラいるよな、とミチルも思った。バトル系の漫画で、色んな理由でわざと手を抜くキャラ。だが、ジュナは答えた。
「違うよ。お前と同じだ。ライブの前にケガさせるわけにゃ行かない」
「そう。次を楽しみにしているわね」
「やる気満々かよ!」
 ジュナは、クレハが出した手をがっちりと握った。あまり接点らしい接点もなかった二人の意外な共通項に、ミチル達も呆れながら拍手を送る。そのあと、小学生や女子高校生たちに握手を求められ、ザ・ライトイヤーズだとわかると今度はサインを求められた。

 ひと段落して、みんなでファミレスにでも行こうという話になった時だった。クレハは突然、あらぬ方向に神経を尖らせて振り向いた。
「どうした?」
 ジュナが訊ねると、クレハは怪訝そうに、まだ水は出ていない噴水の向こうを見ていた。
「気のせいだったかしら。誰かがこっちを見ていたような」
「勘弁してくれ。いよいよ格闘漫画のキャラになっちまう」
 ジュナのツッコミにも反応を見せず、クレハはしばしその方向を見ていたが、どうやら気のせいだろうと言ってハードケースを背負い歩き出した。駅近くのファミレスで昼食を取ったあと、5人は小鳥遊さんのバンに機材を積み込むため、クレハの自宅に移動した。明日は、いよいよライブである。

 その少し前、市内はずれの村治薫の自宅では、もうじき2年生に進級するフュージョン部1年生が、内職に勤しんでいた。
「あと何枚?」
 悲愴感漂う長嶺キリカの問いに、薫は無表情で答えた。
「あと30枚くらい」
「出口の光が見えてきた!」
 キリカは生気が戻った目で、5mmのスリムケースにCD-Rと、コピー用紙に印刷した、手作り感100パーセントのブックレットを挟んでゆく。ブックレットといえば聞こえはいいが、ジャケット写真と、裏面に曲目が印刷されているだけである。サトルが、ほとんど作業マシーンと化した手付きでコピー用紙を折り畳んでいった。
「これ、いくらで売るって?」
「2千円だって」
「安くね?」
 サトルは、CD-Rをしげしげと眺めた。白いプリントレーベルに、"Lightning The Light Years"とだけ黒字でプリントされた、驚くほどシンプルなデザインだ。シンプルな理由はただひとつ、時間がなかったからである。
「先輩たちいわく、けっこう考えた末の価格設定らしいよ。安すぎれば文字通り安っぽく見られるし、かといって、この仕様で3千円取るのも考え物だ、って」
 アンジェリーカの説明に、全員なるほどと頷きながら、黙々と作業は進んでいった。
「これくらいのを、プレスするといくらになるの?」
 アオイは薫に訊ねた。
「先輩たちも調べたらしいけど、ケースからブックレットまで全部そろった、いわゆる完パケ状態だと、業者にもよるけど6万から8万くらいだって」
「高いのか安いのかわからないな」
「プレスだけの料金だよ。それ以外にもデザイン費とか、ブックレットを何ページにするか、といった要素が絡んでくる。参考までに、例のローゼス・ミストラルが以前出した自主制作盤は、完パケ500枚作って15万円ちょっとかかったらしい」
「高いな!」
 高校生の感覚だと、確かに10万を超えてくると、やっぱり次元が違うと感じる。単価は1枚300円くらいか。だが、今薫たちが内職しているCD-Rは、スピンドルのCD-Rが200枚で3千2百円。スリムケースは4,000円。コピー用紙は500枚入りで300円とすると、紙代はせいぜい百数十円だろう。インク代はざっくり500円。トータルで9千円弱。これに、薫たちのギャラも多少加味すると。
「僕らの今作ってるこれの単価は、たぶん80円くらいかな」
「安いな!」
 アオイが驚く横で、リアナが無言で1枚1枚CDを作ってゆく。そしてようやく、最後の1枚のケースがキリカの手によって閉じられた。
「おわった―――!」
 全員が拍手する。時刻は11時50分。昼食には丁度いい時間だ。みんな、農家が収穫物をコンテナに収めるような手つきで、丁寧に段ボールにCD-Rを詰めてゆく。明日はサトルとアンジェリーカ、リアナの3人で、ザ・ライトイヤーズの物販を手伝う予定である。
「これがインディーバンドの作業なんだなあ」
「厳密に言えば、本来は先輩たちが自分自身でやる筈だった作業だけどね。世の中のインディーバンドはみんな、演奏から何から何まで自分でやってるんだ」
「…それで、ふつうは1枚いくらで売ってるんだ」
「いくらだろう。1500円くらいかな。中には500円とかで売るバンドもいるらしいよ」
 薫が挙げた数字に、サトルたちが愕然とする。これだけ作業した挙げ句、そんな安く売ってしまっていいのか。そう考えると、ミチル先輩たちのファーストアルバムが2千円というのは、全然高くないどころか、安い。
「これはレーベルと話し合って、マスタリングは僕がやったバージョンになる。だから先輩達が価格を自由に設定できるんだ。メジャーレーベルだったら、アーティストが勝手にCD-Rで売りさばいたりしたら、大問題になるだろうね。契約違反になるし」
「ふーん。インディーはそういう所で自由があるわけだ」とアンジェリーカ。
「デメリットも多いけどね。メジャーな会社が全部持ってくれる費用のかなりの部分を、自分達で捻出しなければならないわけだから。それでも、アルバム1枚あたりの取り分が、メジャーに比べると多くなる。誰もが知ってる大物アーティストが、実はインディーレーベル所属っていうケースはざらにあるからね」
 薫の説明になるほどと頷きながら、CDと緩衝材を詰めた段ボールに、クラフトテープで封がされた。
「それじゃ、昼食を用意させてくる。悪いけどリアナ、先輩達に連絡してくれる?CDの用意が終わったって」
「はーい」
 薫が部屋を出ている間、リアナはミチル先輩にLINEを送った。ひとまず、これで大きな作業は終わりだ。明日の物販なんか、今までの作業に比べたら何でもない。2千円という価格設定は、お釣りがほとんど発生しないためのものでもあるだろう。そのあと、リアナ達は薫の家のお手伝いさんが作ってくれた、トマトソースとニンニクのスパゲティーで満ち足りた気分を味わったのだった。

「そういや、さっきリアナから連絡きてたけど。CDの作業、終わったって」
 ミチルは、ドリンクバーから持って来たホットココアを熱そうにひと口飲んだ。もうちょっと冷まそう。
「2百枚か。売れるかな」
「売れるんじゃない?」
 ジュナとマーコは、ライブ前の皮算用に熱心だった。冷静に計算すると、そこそこの金額である。
「最初は、千五百円くらいにしようって思ってたんだろ、ミチル」
「うん。けど、ユメ先輩に相談したら、それじゃ安いよって言われた。自分達の作品のレベルと、知名度をよく考えろ、って」
「なるほど」
 ジュナがコーラを吸いながら頷いた。ミチルは、価格設定ではだいぶ悩んだ。折ったコピー用紙を挟んだだけのCD-Rで、2千円取っていいのか。だがユメ先輩に言わせれば、きちんとプレスしたら当たり前に3千円取れる内容なんだから、2千円くらい高くもなんともない、堂々と売れ、という話だった。
 いろいろと考える事は多い。だが、こうやって悩む事もそれはそれで楽しいな、と思うミチルだった。


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