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Light Years(56) : Roots Revisited

 フュージョン部3年生男子、田宮ソウヘイは大学入試に向けての勉強中、後輩でギターの弟子である折登谷ジュナから送られてきた、LINEメッセージに困惑と同情と爆笑を禁じ得ずにいた。
『ちょっと契約関係でゴタゴタがあって、映画出演はナシになりました。写真はその帰りに、ファミレス前の国道に落ちてたチクワです。』
 トーク画面にメッセージとともに表示されていたのは、アスファルトの上に横たわる1本のチクワの写真だった。なぜアスファルトにチクワが。ソウヘイはTMネットワークの名曲、"Get Wild"の歌い出しを思い起こしていたが、あっちで切りつけられていたのはタイヤであって魚肉の練り物ではない。
 報告内容は残念ではあるが、こんな写真を送ってくる余裕があるなら大丈夫なのだろう、と思う事にした。ちなみに後日、関係者全員が、2年生からチクワの写真を受け取っている。

 その、映画出演がなくなったフュージョン部2年生は、身構えていたイベントが突然なくなってしまったため、「やる事がないので宿題を片付ける」ということになった。ミチルはだいぶ久しぶりに同じ科のマヤの自宅を訪れ、雑談を交わしつつ課題をこなしていた。
 もう宿題も残り少ない所にまできて、比較的勤勉なマヤも気がゆるみ始め、PS4の電源を入れた。
「このゲームのBGMがいいんだ。BGMがいいゲームは8割がたハズレはない」
 そうマヤが絶賛するゲームのタイトル画面が表示された。禍々しい赤い空の下に広がる湖にそびえる悪魔城。「Bloodstained -Ritual of the night-」とある。ミチルもゲームはやるが、基本的にビッグタイトルばかり遊ぶ一般ゲーマーである。
 なんというか、いわゆるゴシックホラーだ。横スクロールのゲームって自分の世代じゃあまり見ないな。でもなんだか既視感がある。悪魔と戦う主人公の女の子の性格は、なんだか親近感を覚えるな、とミチルは思った。
「この音楽の作曲、山根ミチルっていうんだよ。あんたと一緒」
「なんかミチルって名前の作曲家、多くない?大島ミチルに山根ミチル」
「あんたが3人目になってみせなさいよ」
 言いながら、マヤは恐ろしいほどのコントローラーさばきでノーダメージで敵を倒して行く。ようやくわかってきたが、マヤはどうもゾンビとか悪魔をやっつけるゲームが好きらしい。あとよくわからないが、なんかクエスト依頼のおばさんが「ぶっころしておくれぇー!!!」と絶叫している。怖い。
「ゲーム音楽を作りたいんでしょ、あなたは」
 ミチルも宿題はすでに放り出して、一緒にディスプレイを見た。ゲーム音楽というのも特殊な分野ではある。そのほとんどは、ループを前提にして作られる。
「そうだね。いつか、ビッグタイトルのサントラを出せたら、それで夢はひとつ達成できる事になる」
「目標にしてる人って、誰?」
「うーん」
 マヤは、真っ赤なドレスに傘を持った女性のボスを倒すのに集中して、いったん言葉を途切れさせた。
「たくさんいて優劣はつけられないけど、指標にしてる人を挙げろって言われたら、田中公平かな。そもそも『Gravity Daze』の音楽にショック受けて、音楽始めたからね、私は」
 そのタイトルは知っているというか、マヤに「やれ」と言われて借りたはいいが、操作が難しすぎて断念したやつだ。
「サントラ制作は、あなたにサックスを入れてもらおうかな」
「ギャラは高いよ」
「同じバンドならノーギャラでやってよ」
 二人はケタケタと笑う。夢を語るだけなら、誰にお金を払う必要もない。叶う、叶わないはともかく、語る事それ自体が楽しいし、何かの間違いで叶ってしまう事もあるだろう。
 軽々しく夢を歌うのは残酷で無責任だ、という意見もある。その見方は、ある面においてそれなりに正しいとは思う。夢をかなえられる人間は一握りで、ほとんどの人間は糧を得るために、やりたくもない仕事に従事するか、上手にどこかで折り合いをつけて生きていくか、あるいは別な生き甲斐を見付ける以外にない。ミチルたち自身がそうなる可能性もあるだろう。
 では、夢を見る事に価値はないのか。ミチルは、そうは思わない。夢を見て、追った人間でなければ、見る事のできない景色が確かにある。清水美弥子先生のように、たとえ叶わなくても、夢を追っていたと言われる方がミチルには素敵に見える。
 気が付くと、マヤはすでにセーブポイントでチェックして、ゲームを終えていた。
「宿題もだいぶ見えてきたし、どっか行こうか」
「うん。いいよ」
 マヤと出かけるのもだいぶ久しぶりだな、とミチルは思った。

 それまで何かと目まぐるしい日々だったせいか、何の目的もなく街をぶらぶらしていると、感覚の落差がものすごい。むしろこっちが普通の女子高校生の感覚のはずである。
「次のライブまでは、だいぶ間が空くね」
 ジェラート片手に銀杏並木通りを歩きながら、ミチルは呟いた。次の予定となると、10月あたまの文化祭である。11月には、小さい公園で行われる小規模な街角ライブがある。例によって声はかかっており、たぶん出る事になるだろう。
「ねえ、ミチル。このあいだの5曲、ミニアルバムってことで、配信したらどうかな」
「あっ」
 ミチルは、口をぽかんと開けてマヤの方を向いた。
「そうだね。なんでその事に思い至らなかったんだろう」
「うん。音源、改めて聴いてみたけど、あのまま正式な音源にしても十分だと思うんだ」
「録り直しはしない?」
「前に、ホワイトアウトのおじさんが言ってたけど、録り直すたびに演奏から勢いとか、面白味がなくなる事がある、って。初期の演奏が一番いい、っていう事は、バンドやってると頻繁にあるそうよ」
 ベテランの有名インディーバンドのおじさんが言う事には、説得力がある。ミチルも、そういうものかも知れないと頷いた。
「配信か」
「といっても、先輩達も配信してみたけど、あまり芳しくはないみたいよね」
 マヤは、音源配信サービスに登録されている、3年の先輩たちのオリジナル音源ページを表示した。トータル12曲のアルバムで、バンド名は「Electric Circuit」、タイトルは「12 Resistance」となっている。再生数ははっきり言って少ない。どちらかというとハードロック、プログレ寄りのインストが中心で、ボーカル入りの曲は3曲だけというコアな内容なので、あまりウケないのは仕方ないが、聴けばなかなかの大作である。
「改めて聴くと、やっぱ先輩達ってめちゃくちゃ上手いんだよなあ」
 スマホから流れる強めのディストーションのかかったギターソロを、二人は感心するように聴いていた。しかもこの演奏は、先輩達が2年生の時のものである。
「作品のクオリティは高いのに、受けないのはモヤモヤするね」
「先輩達は好きにやれればいい、って言ってるけど、受けた方が嬉しいに決まってるよね」
 ミチルは、残念そうに木の葉が遮る青空を見上げた。楽曲のクオリティが高ければ受け入れられる、というものではない。それが惨酷な現実だ。たまたま大衆受けして100万枚ヒットしただけの駄作がある一方で、どうにか10万枚だけ売れて精一杯の名曲、なんていう事は枚挙にいとまがないだろう。売り上げと中身のレベルは比例しないし、それどころか低次元な作品のほうが、かえって低次元な共感を得る事だってある。作品のレベルを上げれば上げるほど、人は離れていくというジレンマだ。
「そもそも、私たちがやろうとしている、というよりもう始めている音楽は、フュージョン。少なくとも今の日本では、売れると思う事が間違いの斜陽ジャンルよね」
 自嘲ぎみにマヤは笑うが、ミチルもそれは否定しない。それが流行しているという「空気」がなければ、人は集まって来ないのだ。空気を無視して我が道をゆく、ランキングなど目もくれず自分の好きな音楽を掘り起こす、なんていう変人は、千人に1人いれば多い方だろう。
「”春待ちファミリーバンド”って、知ってる?」
 唐突にミチルがそんな名前を出したので、マヤは「何それ」と訊ねた。
「そっか、マヤ達にも教えてなかったか。神戸の、1976年に結成されたジャグバンド」
「ジャグバンドとはまた」
「そう。その界隈では有名な人達なんだけどね。閉店するレコード店の、1枚100円のアルバムワゴンセールを漁ってて、5千円くらい買い込んだ中に、その人たちのファーストアルバムがあったの」
「あんたも普通のスラッとした女子高生に見えて、実はマニアックよね」
 マヤの表情は呆れるような、というより確実に呆れている。
「うん。とにかくそういう、ひたすら我が道を行ってる人達ってのも、カッコいいって思うんだ。ジャグバンドだよ。雑貨で作った楽器で音楽を何十年もやるって、すごくない?」
 ミチルは、道路に落ちていた空き缶を缶入れに放り投げた。極端な話、空き缶でさえ楽器にしようと思えばできる。ジャグバンドが、空き瓶や洗濯板を楽器にするように。
「売れる音楽にも価値はある。一方で、好きにやってる音楽には、やっぱり価値がある。やりたい音楽をやって成功できるなら、それが最高だよね」
「できるなら、の話ね」
 マヤは、ジェラートのコーンを包んでいた紙を丸めてポケットに突っ込んだ。
「でも、マヤだって同じでしょ、基本的には」
「そうだけど。私だって、それなりに保険かけてる所はあるよ。だから、今の学校でプログラミングとかの資格を取ってるわけだし」
 保険。それは取りも直さず、音楽の道に進めなかった時のための保険だ。清水美弥子先生がヴァイオリニストを諦めて、IT関連の資格を取り、教壇に立っているように。マヤは見るからに教師向きの性格でもある。
「難しいところね」
「うん。…あっ、ちょっと楽器見ていこう」
 ミチルは、アーケード街の楽器店「ローラーコースター」の前まで来たのに気付いた。ここは地下にある、フュージョン部がわりと顔なじみの店である。

 そこそこ広い地下のスペースに、ジョー・サンプルが流れていた。ミチルが店内に入ると、スキンヘッドに口ひげ、一重まぶたで恰幅のいい店主のおじさんが声を張った。
「おう!音楽祭、見てたぞ!泣き虫!」
「うっ、うるさいわよ!」
 ミチルは、会うなり罵声を浴びせられた腹いせに怒鳴り返す。この恰幅のいいおじさんは、その体躯に似合わず実に軽やかなアコギの弾き語りをする事で有名である。音楽祭にも1日目に出演していたはずだ。
「ギターはいい加減覚えたのか」
「残念。この子がサジ投げてる間に、弟の方がギター上達してるわよ」
 マヤが意地悪く笑うと、おじさんも笑ってくれた。
「いかんな。サックスとウインドシンセだけじゃ」
「ねえ。私としては、鍵盤も覚えて欲しいわよ」
 ミチルが無言で抗議の視線を送っていると、壁掛けのディスプレイに誰かの来日公演の記者会見が映っていた。アメリカのシンガーソングライター、ステファニー・カールソンだ。白いジャケットに、流れるようなブロンド。ちょっと前まで無名だったが、チャリティー関連のライブでとあるベテランの前座を務めたことで注目を集め、初の来日公演まで果たした。日本で言うところのシティ・ポップ的なサウンドが特徴である。
「ステファニー、日本に来てるんだ」
「行けるなら行きたかったけどね。こっちもこっちで色々詰まってて、うかつにチケットも買えなかった」
 すると、おじさんは笑った。
「なんなら直接会いに行けよ。バックバンドならやれます、ってな」
「いいわよ。おじさんも一緒に出てよ。ギターなら弾けるでしょ」
 マヤは、モデル体型のステファニーがポップナンバーを歌う隣で、腹の出たおじさんがレスポールを鳴らしている様子を想像した。
「けど真面目な話、バックバンドという意味では、お前たちみたいなインストグループって貴重だぞ。ミチルが好きなキャンディ・ダルファーだって、プリンスとかメイシオ・パーカーのサポートやってただろ」
「バックバンドか」
 ミチルとマヤは、ふいに真面目な顔で考える。誰かのバックバンドを自分達が務める、というのはちょっと考えた事がない。だが、やろうと思えば出来そうではある。ただ、キャンディはバックバンド活動から結局はオリジナルに軸足を移して、自分自身の楽曲で成功を収めた。バックだけでは、文字通り表舞台には立てないのだ。
「サポートでなきゃ、オープニングアクトとかな。このステファニーだって、そうやって注目されたんだしな」
 ディスプレイを見ると、ステファニーは日本の印象について質問を受けていた。まだスシやサシミは苦手らしい。音楽では、意外なことに日本の民謡や唱歌に興味があるという。音楽シーンについては、先日動画で見た音楽イベントが印象的だったらしい。ロックフェスとか、そのへんだろうか。
 いつか、自分達もこんなふうに、ライブ前の記者会見を受けるなんて事もあるのだろうか。現段階では、夢想もいいところだ。何しろ、映画のモブ役に出る出ないでレコード会社ともめた挙句、おじゃんになったような有り様である。
「あっ、そうだ」
 マヤは、思い出したように手を叩いた。
「ねえおじさん、ここで私たちのCD-R販売してもらうこと、できる?」
 その提案に、横で聞いていたミチルは「なるほど」と頷いた。そうだ。配信だけではない。古典的な物理メディアで販売する手段もあった。
「おお?音源できたのか」
「ミニアルバムだけどね。5曲。1枚いくら位が妥当かな」
「5曲か。まあ、インディーズ扱いなら、1000円くらいが相場じゃないのか」
 それは、マヤ達が想定していたとおりの値段だった。
「用意できるなら、カウンターにでも置いてやるよ」
「うん。考えてみる」
 すでにミチルたちの頭の中では、CD-Rの形でのインディーズ盤がイメージされていた。それほど大げさなものではない。よくライブハウスで見るような、5mmケースに雑なデザインのジャケット写真が挟まったCD-R。ひとまず、ああいうのでも十分だ。
「よし。そうなると、ディスクの調達だな」
「安いやつ探しに行こう」
 すると、おじさんはミチルに「チッチッ」と指を振った。
「粗悪なディスクはやめとけよ。出入りするバンドの奴らに評判がいいのは、このへんだ」
 おじさんはタブレットを持ち出して、台湾製で比較的安く、品質も安定しているものを教えてくれた。昔は日本のメーカー製で最高に信頼できるものがあったのだが、光学ディスクの需要が減って来て撤退したのだそうだ。
 ディスクが決まったら、次はレーベルとディスクのデザインだ。これはマーコが得意そうなので頼んでみよう。ちょうどヒマになったタイミングで、やる事ができたのは良かった。
「こっちはこっちで、配信についても考えてみよう」
「先輩にでも相談してみる?」
「そうだね。ミチルから、ユメ先輩にでも訊いてみてくれる?」
「わかった」
 活動に意気込む少女たちを、おじさんは微笑ましく見ていた。この人にもきっと夢があったか、あるいは現在進行形の夢があるのかも知れない、とミチルは思った。いつか、訊ねてみよう。

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