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Light Years(42) : Twilight In Upper West

 空は深い青に変わりつつあり、対象的に赤く染まる西の空が、灯りがともるビル群のシルエットを作り上げていた。
「奇跡のような選曲ね」
 客席に座るフュージョン部3年、佐々木ユメは小さく呟いた。見上げるステージでは今、自らがサックスを指導した少女、ミチルが堂々と、雄大で抒情的なメロディーを響かせている。まるで空と街の全てが、この演奏のためのセットであるかのように思えた。
 
 大原ミチルがフュージョン部の部室を訪れたのは、ユメが2年生の一学期、各部の勧誘活動が始まりかけた頃だった。中学では吹奏楽部に所属していたという。
「キャンディ・ダルファーが好きなんです」
 キラキラしているというよりは、何か切迫感が漂う目をユメに向けて、ロングストレートの少女はそう言った。今にして思えば、それは吹奏楽部からの、具体的には市橋菜緒からのラブコールを振り切るための切迫感だったのに違いない。
 その後、結局ミチルはフュージョン部に入部する。それからは親しかった市橋菜緒との間に、険悪とまではいかないまでも、ディストーションがかかった空気の障壁が張られてしまった。

 その菜緒が今、ユメと隣り合って、ステージにのぼったミチルのサックスを聴いている。ミチルの存在によって張られた障壁が、ミチルの活動によって取り除かれた。結局、周りのユメ達が勝手に関係をこじらせていただけである。
 菜緒との関係に多少の後ろめたさはあるものの、ミチル達との1年数か月は、ユメ達3年生にとって宝物だった。部室で教え、語り、ともに奏で、笑い合った。特にユメにとって、ミチルはフュージョンアーティストとしてのサックスプレイの方法論を伝えた直接の後輩である。何より、ミチルの才能は間違いなく、ユメ自身より抜きん出ている。いつか、彼女の才能が花開いて欲しい。そこに至る後押しが少しでも出来たのなら、それでいい。ユメはいつしか、そう思うようになっていた。他の4人もたぶん、同じように思っているだろう。
 ミチルのサックスを聴いているうち、熱いものが込み上げてきて、ユメの頬を涙が伝った。菜緒は何も言わず、肩に手を載せて頷いた。

 夕焼けに響くドラマティックなバラードに、全ての人が心を奪われていた。音楽とは、その空間を支配する魔術なのだ。
 マヤのピアノが最後のメロディーを奏で、その黄昏の時間に、静かに幕を降ろす。ミチル達は全てをやり遂げ、オーディエンスに向かって頭を下げた。空を揺るがさんばかりの拍手と歓声は、数十秒間止む事がなかった。
 ようやく拍手の潮が引くと、ミチルは背筋を伸ばし、メンバーの一人一人を手で示した。
『ベース、千住クレハ』
 夕焼けに波打つ髪をなびかせる少女が、ジャズベースを手にお辞儀をした。
『ドラムス、工藤マーコ』
 マーコは、突然の短いドラムソロで紹介に応える。
『キーボード、金木犀マヤ』
 マヤは両手を重ね、丁寧に深くお辞儀をした。
『ギター、折登谷ジュナ』
 ジュナもまた、エディ・ヴァン・ヘイレンじみたギターソロを好き放題に鳴らして、ヘッドバンギングのように勢いよく頭を下げる。
『そしてサックス、大原ミチルでした。2日間出演された、全てのミュージシャンの皆さん、お疲れ様でした。あとは、プロの皆さんにこの場を締め括っていただきたいと思います。今日は本当にどうもありがとうございました!』
 再び、全員が揃っている頭を下げる。マヤは気をきかせて、わずかにキーボードで演出してくれた。拍手が鳴り止まない中、ゆっくりと照明が落とされる。

 ミチルは、いつもならすぐに緩んでしまう涙腺が、今日はまだ踏ん張っている事に気付いた。ジュナに泣き虫と言われずに済むのは助かるが、あとあと、それは何らかの予感だったと振り返る事になる。
 機材の片付けに入ったが、まだMCの女性がステージに出て来ないのはなぜだろう。そう思ったとき、客席から信じられない合唱が聞こえてきた。
『アンコール!アンコール!』
 それを聞いた瞬間、ミチル達の背筋を悪寒と電流が同時に走った。アンコールとは何のことだ。誰に対して言っているのだ。ミチルはジュナと顔を見合わせたが、手振りで片付けにかかるように全員に指示した。
『アンコール!アンコール!』
 しかしコールは鳴り止まない。ミチル達は困り果ててしまった。出演順があるのに、アンコールを要求する奴があるか。
 そう思っていると、突然運営スタッフのお兄さんが、何やら切迫した表情でステージに上がってきて、ミチルに駆け寄ってきた。
「すみません、片付けをいったんストップしてください!!」
 ミチルは一瞬、何を言われたのか理解するのに間を要した。早く片付けろ、ではない。ミチルは即座に手振りで、全員に手を止めるよう指示した。

 円陣のように集まったメンバーに、そのスタッフから告げられたのは、およそ信じられない言葉だった。
「…ほんとですか」
 ミチルは、今説明された事を聞き返す。スタッフは真顔である。
「はい!このあと出演予定の木吉レミさんが、体調不良で出演できなくなってしまったんです!」
 ミチルは蒼白になった。なぜかというと、何となく、この後に起こる事が予想できてしまったからである。参謀長マヤの顔色をうかがうと、何かを察したらしく、すでにキレかかっている。まずい。
 小学生が考えてもわかる。機材の片付けを突然ストップされたこと。後に出演する予定のアーティストが、出演できなくなった事。点と点が、線どころか鉄筋でボルト締めされて連結されている。運営スタッフは、期待を裏切らないセリフを言ってくれた。

「なので、皆さんに残りの時間、ラストまで演奏して頂きたいのですが、可能でしょうか」

 でしょうか、ではない。もうその目が「やってください」と懇願している。何を考えているのだ。
「…ラストって」
「ええと、できれば7時過ぎまでなんとか…」
 ミチル達は一斉に、公園の時計を見た。現在、夕方6時7分くらい。少し休憩してからやるとしても、ラストまで40分以上はあるだろう。
「体力もたねーよ」
 ジュナのぼやきに、ミチルは鋭い視線を向けた。
「体力より、セットリストの方が問題よ」
 そのとおりだった。40分以上となると、1曲5分として、間にMCをはさんでごまかしても7曲は必要だ。
 だが、そこでメンバー全員が、あの学校でのストリートライブを思い出していた。急場に曲を覚えて、半分ぶっつけで演奏する。今から思い返すと、狂っていたとしか思えない。
「…あれに比べたら、こんなのどうって事ないかも知れないけど」
 ミチルの呟きに、ジュナが突然吹き出した。それにつられて、全員が笑い始める。
「ふふふ」
「あははは」
「くっくっく」
 唐突に5人の少女が笑い始めたので、運営のお兄さんはドン引きしつつ返答を待っていた。そこへ、もう一人のスタッフが駆け付けて、お兄さんに何事かを耳打ちする。お兄さんは頷くと、ミチルを向いて言った。
「引き受けていただければ、みなさんの飲食屋台の代金は全て運営が持つ、との事です」
「やります」
 クレハ以外の全員が、見事なユニゾンで承諾した。あの時の一体感は忘れない、とマヤは後に述懐している。

 突然ステージに照明が戻り、アンコールの声は歓声に変わった。しかし、メンバーが演奏する気配はない。すると、ジュナが突然マイクを手に、客席最前列を見た。
『1年生!ステージまで全員来い!』
 その、鬼軍曹ばりの呼び出しに、5人の少年少女がビクリとして起立したかと思うと、一斉にその場をダッシュで駆けて行った。わりかし体育会系なのかと観客席が若干引く中、3年の田宮ソウヘイは、ユメに向かって半笑いをしてみせた。
「お前の仕切り方も受け継がれたみたいだな」
「誰がよ!」

 ドリフの軍隊コントばりにステージに整列した1年生たちは、鬼軍曹ジュナを前に直立した。ジュナは、薫を指差すと「楽屋に行ってミチルの話を聞け」と指示した。薫は、何の事やらという表情をしつつ、駆け足と歩きの中間くらいの速度でその場を立ち去った。
「残りの4人」
 ジュナは、楽屋から持って来た予備のオリジナル花柄テレキャスターを戸田リアナに手渡しながら言った。
「10分でいい。場を持たせろ」
 ジュナはステージ上の楽器を指差した。使っていい、ではない。使って何か演奏して10分つなげ、と言っているのだ。
「ええええ――――!?」
 PAを通さなくても後方まで聞こえる声量で、4人の1年生は絶叫した。

「場を持たせろ、って。何すればいいの」
 浴衣に綿アメ片手で完全に一般客仕様の長嶺キリカは、ショートヘアをかきむしった。ジュナはすでに楽屋に引っ込んでいる。色違いの浴衣の鈴木アオイは、比較的落ち着いていた。
「なんかあったみたいね」
「それはわかるけど」
「どうすんだよ」
 獅子王サトル、アオイ、キリカの動画配信チーム「こりあんだー」の3人は、しゃがみ込んで唸った。すると、リアナはテレキャスターを手に、ひとり立ち上がる。
「私が1曲やってるから、その間に考えておいて」
「おっ、おい!」
「ここは私に任せて」
 少年漫画の死亡フラグ的なセリフを残し、リアナは一人ステージ中心に向かうと、ジュナが使っていたシールドをテレキャスターに挿した。オニギリ型ピックも拝借すると、音の出方を確認する。マルチエフェクターの使い方は、この間ジュナから教わっている。ギターを手にマイクの前に立つと、PAを通して言った。
『南條科技高フュージョン部1年の戸田リアナといいます。いま先輩方から10分もたせろとムチャブリされたので、聴いてください』
 多少の抗議も含めた、それは自己紹介であった。客席から笑いが起きるなか、リアナはディレイとリバーブをかけたテレキャスターを奏で始めた。それは、誰もが聴いた事のあるメロディーだった。暮れゆく空をバックに切なげに奏でられたその曲は、溝口肇”世界の車窓から”である。

「すげえ…」
「ほら、聴き惚れてないで!考えて!」
 アオイはサトルの背中をバンと叩く。
「なんかすぐ考えないと!」
「なんかって言われてもな。そもそもポジションはどうするよ」
「キリカがキーボード!私はドラムス!」
「お前生のドラムいけんの?」
 サトルの問いに、アオイは真顔で答えた。
「何とかなる!要領はデジタルパーカッションと同じでしょ!」
「ほんとかよ」
 訝るサトルは、呆れ半分に笑った。
「わかったよ。俺はベースだ」
「よし、すぐやれる曲は何か思いつく?」
 すると、キリカが手を挙げた。
「リアナが溝口肇やってくれてるから、なんかテレビ番組のテーマで繋げるってのはどう?」
 なるほど、と他の二人が頷いた。というかもう時間がないので、それでいい。
「旅番組つながりで…」
「世界ふれあい街歩き!」
 それだ、と3人は互いに指をさした。しかし、アオイが首を傾げる。
「ドラムいらなくね?」
「てきとうにアレンジしろ!メインのメロディーは私!サトルはベース!OKだ」
「キリカ、先輩たちの生霊取り憑いてるよ?」
 どの先輩の生霊なのかは不明だが、今まで土壇場で演奏の準備をしてきた2年生の姿を見て、1年生たちも多少感化されていた事は確かだった。何より、そういったギリギリの作業に少なからぬ快感を覚え始めていたのが、この時期のフュージョン部の救われがたい側面だったと、その当時を知る人間はのちに口を揃える。

 リアナの演奏が終わると同時に、アオイたち3人は急いでポジションについた。緊張度がハンパではない。曲自体はみんな何度もやっている事だけが救いだ。
 3人は迷う事なく演奏を始めた。正確に言うと、キリカがさっさと弾き始めたので迷う時間がなかったのである。サトルは若干慌ててベースを奏でた。アオイは曲の前半では、とりあえず要所要所でバスドラムを適当に入れる。長寿番組の有名な曲なので、客席からの反応はそれなりにあった。キリカはツインキーボードのおかげで、音に厚みをもたせる事ができ、演奏そのものは即興のわりに、多少の暴れは見えつつも一応音になっていた。10分もたせろと言われただけなので、それ以上の事はこの際どうでもいい。あとは先輩たちに任せた。

 その先輩たちはと言うと、リアナたちが演奏している間に、休憩を済ませて急場のセットリストを決めるという、相変わらず特殊部隊並みの無茶苦茶なミッションに当たっていた。
「なんで僕が呼ばれたの」
 薫は訝りつつ訊ねる。すると、ミチルが真顔で言った。
「あんたは何となくいいアイディアを出せそう」
「そういうの、ムチャブリって言うんじゃない」
「いいからなんか考えて!40分…いやもう35分でいい!」
「だったら、スクェアでいいんじゃないの。それとも、先輩の好きなキャンディ・ダルファーでもやる?」
 すると、ミチルが反応した。
「なるほど。1曲目はキャンディにしよう。キャンディの…”Candy”、あれならついこの間やったから、すぐできるでしょ」
「わかった!1曲目はキャンディ・ダルファーね」
 参謀マヤがすぐにメモを取る。すると、薫が意見を入れた。
「さっき、スクェアのアルバム「NEW-S」から2曲やったでしょ。どうせなら、あのアルバムからもっとやればいいじゃない。夜のシティ・サウンドっていう感じだから、この会場の雰囲気に合ってるよ」
「なるほど。じゃあ決めて、薫くんが」
 ミチルのさらなるムチャブリに薫は背筋を伸ばす。
「なんで僕が!」
「言い出しっぺでしょ!ほら!」
「うーん…じゃあ」
 急かされて薫は、"Little League Star"、"Nab That Chap!"、"Romantic City"の3曲を挙げた。真ん中の曲以外は、ついこの間やっている。
「全部できるよね」
「あのアルバムは部活の定番だから、いつでもできる」
 それも凄い話だな、と驚きながら薫はわずかに微笑んだ。
「じゃあもう、ラストは”It's Magic”あたりでいいんじゃないの」
「アンコールがあったら?」
「そのための"TRUTH"でしょ」
 ベタすぎて、ぐうの音も出ない。もう時間がないので、いま挙げた5曲を後半に持って来る、ということでメンバーの意見は一致した。そこへ、マヤがさらに意見をはさむ。
「なんかボーカルものも、1曲入れたいわね」
「盛り上がる系?」
 マーコが訊ねる。薫も頷いた。
「なんか、フュージョン部の定番ボーカルもの、ないの?J-POPでも何でもいいから」
「うーん」
 ミチルとマヤは、必死にフュージョン部の定番ボーカルナンバーを脳内のライブラリーから探した。
「ユメ先輩になんかいい案ないか訊いてくるかな」
「そんな余裕あるか!」
 ミチルにツッコミを入れようとしたマヤが、「あっ」と膝を叩いた。
「ユメ先輩で思い出した。ほら、あの曲。鈴木結女の"PARTY NITE"」
「あー、あったあった」
 パーティーナイト。1997年の鈴木結女のシングルだ。軽快なポップ・チューンで、サックスも入るのでフュージョン部にうってつけのナンバー、事実フュージョン部にあるボーカル曲定番リストの一曲である。ストリートライブで何をやるか悩んでいた時に、どうして候補に出て来なかったのか。ともかく、現在これで7曲が出そろった。
 だがそこで、薫はひとつの提案をした。
「ねえ、みんな疲れてるでしょ。最初はゆっくりした、難しくないナンバーで小休止したらどうかな」
「なるほど」
「例えば"ガーティの夢"を頭にもってきて、そこから…そうだな、例えば"Fantasic Story"とか」
「2010年のアルバムか」
 ミチルの脳裏には、T-SQUARE2010年のアルバム「時間旅行」の1曲目のサウンドが流れていた。
「しばらくやってないけど」
「できるでしょ。あれもまあ、定番といえば定番に近い。そんな力入れなくてもできる曲だしね」
 マヤは、いちおう確認を取るために全員の顔を見た。首を横に振る者はいない。
「よし、決まりだ。これでいいね」
 改めて曲目をまとめると、マヤは全員に提示した。

 1.ガーティの夢/T-SQUARE
 2.Fantasic Story -時間旅行-/T-SQUARE
 3.Candy/キャンディ・ダルファー
 4.PARTY NITE/鈴木結女
 5.NAB THAT CHAP!!/T-SQUARE
 6.ROMANTIC CITY/T-SQUARE
 7.It's Magic /THE SQUARE
 8.TRUTH/THE SQUARE(※アンコール対策)

「キャンディと鈴木結女がスクェアの間に挟まれてるの笑う」
 マーコが苦笑しながらリストを見た。だが、もう時間はない。もうすでに外の演奏が終わろうとしている。会議に必死で、誰も何の曲だったのかまで注意を払っていなかった。あとで1年生たちにも好きなだけ食わせてやろう。
「よーし、行くよ!」
 ミチルが力強く立ち上がると、全員がそれに続いた。
「薫、助かった!それじゃ行って来るね」
「行ってらっしゃい」
 薫に見送られながら、ミチルたちはプロのアーティストが空けた穴を埋めるため、ステージに向かう。
「別に何もしてないけどな」
 残された薫は一人呟いた。だが、セットリストのほとんど全てが薫の意見で決まったという事実を、この時彼自身が自覚していない。この楽屋でのやり取りが、その後のミチルたちに浅からず影響を及ぼす事を、この時は誰一人として知らないのだった。今は全員が、目の前のミッションを片付ける事に集中している。空はさらに一歩ずつ、夜の気配が近付いてきていた。

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